« ■0908■ | トップページ | ■0917■ »

2020年9月11日 (金)

■0911■

■法的な問題は何もなかった“アベノマスクブラ”ポスター【新藤加菜さん独占告白】
Eraknote9  

第1回(
第2回(
第3回(

ひとつの記事として書いたのに、三つに分割されてさらに細かくページ分けされてしまって読みづらいと思いますが、是非ひとりでも多くの方に……。
この選挙ポスターは、萌えキャラ擁護の人たちからも見放されていたような気がします。「NHKから国民を守る党だから、いくら表現の自由でも擁護する必要はない」という冷たい態度の人もいました。
この記事では、自分の体をつかって表現した主体であり、批判されて自主規制に追いやられた主体である新藤さんに、バックボーンも含めてインタビューしました。

新藤さんを標的に、批判キャンペーンを行った池内さおりさんには取材拒否されたので、批判した側の言い分を聞くことは出来ませんでした。こうやって、Twitterで言うだけ言って投げっぱなし、特に目的も結論もなし……という無責任なパターンが、あまりに多いと思います。ハッシュタグをつくって法案に反対だとかTwitterデモとか、一時的な賛同を得られて気が晴れればすぐ忘れてしまう人たちばかりで、「しょせん本気じゃないんだな」と溜め息がでます。


「本気じゃない」という意味でいうと、昨夜配信で観た映画『ソラニン』。恋人と同棲していて、音楽の才能があるとかないとか程度の悩みしかない若者たち。福満しげゆきさんの漫画に出てくる、簡単に自己肯定できてしまって貪欲になれないバンドマンたちを想起した。
Eraknote9_20200911215201
表現に必然性がないから、ボートから落ちてびしょ濡れになったとか、交通事故でいきなり恋人が死んだとか、何とかして派手に見せようと頑張っている。「日常が満たされてるから、それほど頑張らなくても十分に幸せだ」って結論にはならないんだよね。だから、恋人を前ぶれもなく死なせて、悲劇を構築しないと間が持たない。

言っちゃ悪いけど、人生まあまあ楽しいリア充の人たちが「何か問題意識を持たなきゃカッコ悪い」と焦ると、すぐ反体制・反政権に走る。とりあえず反対していればいいから、楽なんだよね。『ソラニン』はそういう政治的な映画ではないけど、リア充独特の生ぬるさを知るには、よいサンプルと思った(ひでえ言いようだけど……この路線で、生ぬるく満たされた若者たちの空虚な焦りを描く映画はアリではないかと思う)。


左翼という意味では、連合赤軍が仲間に些細な難癖をつけて、「可愛く着飾ってるから」「一人で美味しいもの食べたから」なんていう理由でリンチ殺人にいたった経緯がどうにも理解できず、彼らを描いた映画を探していた。
で、レンタル屋で高橋判明監督の『光の雨』を探し当てた。連合赤軍の山岳ベース事件を描いているのだが、その『光の雨』という映画を撮っている監督や若いキャストたちに着眼したフェイク・ドキュメンタリーのような多層構造をとっている。
20200617_14h37_12
山岳ベース事件は、森恒夫と永田洋子、ふたりの派閥争いの側面もあったわけだが、『光の雨』では(役名が違うとはいえ)森恒夫役に山本太郎。永田洋子役に裕木奈江! ミスマッチというか、ピッタリの配役であった。山本は冷徹な森を演じる一方、「元漫才師の現代の青年」役でもある。森役から離れた彼は、「統括とか革命とか、ほんま意味わからんわー」とボヤく平成の青年だ。(山本太郎さんは、俳優としてはすごく良い。見直してしまった。)

そして、この映画の見どころは、理解しがたい異様な概念だったはずの「統括」を、若い平成の男女が楽しい飲み会で仲間に迫るシーン。連合赤軍の役を演じているうち、映画の中の価値観が現実に染み出してきてしまうわけだ。
「統括」は、身内をいびり殺すのにもってこいのパワーワードなのだ。今なら「キモイ」かも知れないし、「性的搾取」かも知れない。まあ、それっぽい理屈で私刑が出来れば何でもいいわけだ。仲間はずれをつくりたがる残酷な性癖は、昭和も平成も変わらないのではないか……と思わせるところが、この映画のキモだ。

ラストシーンで、リンチ殺人された役も生き残った赤軍メンバーの役も、俳優たちみんなが手をとりあって撮影終了を喜びあう。
それは無邪気な平成の若者たちの姿であり、同時に、あり得たかもしれない赤軍メンバーのもうひとつの姿なのかも知れない。


本日は、東京都現代美術館へ行って来た。
企画展は三つなので、すべて見られる通し券を買った。予約販売ではないせいか、かなり混んでいた。
 Eraknote9_20200911222901
前に現代美術館へ来たのは、皆川明展のときだった。あの時は楽しくてニコニコしてしまったのだが、今回はすべての企画展が説明不足で、ちょっとガッカリした。オラファー・エリアソン個展『ときに川は橋となる』は、最後のふたつの作品が良かった。
Eraknote9_20200911223901
ひとつは暗い室内に霧を発生させて、たったひとつのスポッライトで虹を見せるというもの。
もうひとつは、上の写真だ。部屋の中央に水を張って、12個のライトで照らす。水面にさざ波が起きると、12種類の少しずつ違った模様が、天井に照射されるのだ。どんな模様が生じるのか、自然現象なのだから誰にも予想できない。
思いがけずフワーッと美しい模様があらわれると、まるで皮膚の中にさざ波が入り込んで、神経を撫でられているような官能的な気持ちになる。なんて幸せなんだろう。

常設展で、鈴木昭男氏の「作品の上に立って音を聞く」作品、“no zo mi”に再会した。石段のうえに立つと、美術館の外を走る車の音や空調の音が、わずかの間だけ「作品」と化す。
119240338_3278845245542700_2459459802574
つい先日、森美術館で観たばかりの宮島達男さんの壁面デジタル時計も、やはり好きな作品だ。温かみがある。
人生の成功は、別にお金持ちや有名人になることではない。こうした自由な一日を、好きなように穏やかに過ごせること。ネガティブな感情にとらわれ、他人がどうしているか常に気になってイライラするのは、自由ではないからだろうな。

(C)浅野いにお・小学館/「ソラニン」製作委員会

|

« ■0908■ | トップページ | ■0917■ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■0908■ | トップページ | ■0917■ »