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モデルグラフィックス 2020年11月号 発売中
連載「組まず語り症候群」第95回は、フジミ模型さんのアメリカザリガニ(透明)です。
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「ヒステリックブルー」元ギタリスト、強制わいせつ致傷容疑で逮捕 埼玉県警(■)
どうも、この事件を発端にして、当ブログでも時おり触れてきたフェミニスト(というかリベラル左翼?)の男性アカウント、シュナムルさんが批判にあっているらしい。
最初は容疑者とシュナムルさんの関係が把握できなかったのだが、Twitterで検索しているうち、なんとなく全容が浮かび上がってきた。容疑者がシュナムルさんと似たような萌えイラスト叩き、オタク叩きのフェミ男性アカウントとして活動していて、「彼は過去に性犯罪を犯しているのではないか」という疑いが持たれたとき、シュナムルさんは「そんな情報はデマだ」と断定して容疑者をかばい、結果的に被害にあった女性たちを貶めるような発言をした……ということらしい。
シュナムル氏、「罵倒を引き受ける」発言をしておきながら被害者をブロックする(■)
本件に関しては、23日ごろから、いくつかまとめが出来ているけど、酷いと思ったのは上にリンクしたやつかなあ。性犯罪の被害者が直に訴えでると、さすがに深刻さの度合いが違う。茶化したり笑ったりするムードではなくなるのだが、この後におよんでもシュナムルさんは憎まれ口をたたいて飄々としているらしい(今回の件で、ようやく僕もシュナムルさんにブロックされた)。
すでに指摘している人もいるけど、シュナムルさんは自己愛性パーソナリティ障害だと思う。傲岸不遜で口が悪くて、どんな酷い事態になっても謝罪せず自己保身を最優先するので、たぶん間違いない。
「常に自分の能力を過大評価し、しばしば自慢げに見栄を張っているように見えます。自分は褒められて当然であると思い込んでおり、賛美が得られない時は驚くかもしれません。自分の成功や権力、美しさ、理想的な愛などについての空想にふけっていることもあります。 自己愛性パーソナリティ障害の人達は、自分を理解できるのは特別な人か地位が高い人だと思っていますし、そうした人達と関係があって当然だと思っていることがあります。」(■)
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「めんどくさい」と言えば、やはり萌えイラストを叩いて有名になった岩渕潤子さん。
『ヴァチカンの正体』岩渕潤子氏、いらすとやの女性医療従事者のイラストがステレオタイプな女性らしく描かれていないことに疑問をもつ(■)
言葉の端々で、「自分には医師の友人がいる」「自分は本を15冊も出している」と、優越感(それも通俗化された陳腐な価値観)を滲ませており、やはり病んでいるように見える。
自己愛性パーソナリティ障害は一見すると魅力的で野心的で、大勢のとりまきに囲まれていて華々しく見える。態度も堂々としているので、つい引き寄せられてしまう。だけど、「支配される」という形でしか、彼らとは関係を結べない。
たとえば、自己愛性パーソナリティ障害の人が「あの店のカレー、美味いぞ!」と言ったとする。意志の弱いとりまきたちは認めてほしいから、「うんうん、美味いよね!」と簡単に同調する。そのようにして、支配=被支配の関係が維持される。
さらに、自己愛パーソナリティ障害の人は、たまたま「カレーが美味い」と書いた人を探し出して、勝手に「俺の味方」に組み入れる。「あっ、俺の発言に賛同してる」「俺が影響を与えた」「この人も、俺の力で支配できたぞ」と、そんな些細なことで自分の優越性を実感していたいわけ。ついには「カレー美味いって言わない人、もう絶交するけどいいよな?」みたいな、幼稚な脅しをかけてくる場合がある。
例としてカレーを出したけど、カレーをフェミニズムに置き換えても同じではないだろうか。「賛同が得られる」「肯定してもらえる」ことを優先して、その“燃料”として萌えイラストや性表現を叩いてないか、よく観察してみるといい。本気で腹が立ったら、賛同なんか得られなくても一人で抗議するよね? 最初にリンクしたまとめの中でシュナムルさんにブロックされた被害者の人が、賛同なんて求めてるかな? そういう部分で人間を見ていかないと、共感と同情によって他人に支配された人生を過ごすことになる。
(余談ながら、シュナムルさんがフォローしているアカウントって、ほとんど女性では?→■ なんだか、彼の理想とする世界観がよく表われているような気がする。)
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最近レンタルで見た映画は、1954年版の『十二人の怒れる男』、伊丹十三監督の『静かな生活』など。
『十二人の怒れる男』の機能的なカメラワークについては、Twitterで少しだけ書いた(■)。僕は1950年代にピークを迎えた劇映画の表現に興味があるのであって、4DXだとか3D上映が映画の本質だと思っている人たちは、どうぞ楽しんでください、という気分だ。
『静かな生活』は、舌ったらずの佐伯日菜子の醸すエロティシズムも凄いが、2~3シーンのみ登場する緒川たまきが凄かった。
障害を抱えた青年を、まずは白い水着姿で魅了する。
つづいて、レストランで青年と同席するのだが、ワインを飲んで顔を真っ赤にしている。座り方もだらしなくて、青年にはより親密そうな話し方になっている。その開放性、油断がエロなんだよね。清楚な女優をエロティックに描くのは、伊丹十三監督の才能だと思う。
でも、だから夢の中でのレイプシーンや、冒頭近くで幼女を茂みに連れ込んでレイプしようとするシーンが、必要以上にえげつなくなってしまう。映画全体、水面の光の照り返しや木漏れ日をふんだんに使って爽やかな雰囲気を出しているのに、一方で中年男らしいアクの強さを隠せない。そこが、映画作家として面白い。