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2020年8月23日 (日)

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ロボットアニメの必須アイテム“ヘルメット”を、「伝説巨神イデオン 発動篇」はどう使ったか?【懐かしアニメ回顧録第69回】

アキバ総研さんで連載している、最新コラムです。


木曜から金曜にかけて、泊りがけでプレオープン中の「角川武蔵野ミュージアム」と、すぐ近くで開催している「チームラボ どんぐりの森の呼応する生命」を見てきた。
なぜ泊りがけかというと、夜の回の「どんぐりの森」を見てから、翌朝、武蔵野ミュージアムへ行く日程にしたかったから。知らない街へ泊まって、のんびりと地元の居酒屋で飲むのが趣味でもあるし。

まず、「どんぐりの森」。
結論から言うと、どんな雰囲気の催しなのは、入場料を払って入らなくても、会場の東所沢公園の沿道を歩けば、誰でもタダで見れてしまう。
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会場に入る前、検温と除菌スプレーは良いとして、ビニール手袋をつけさせられるのは、あまりにも過剰に感じた。18時半から入場開始だが、まだまだ暑く、東所沢駅から11分も歩いてきて汗だくなのに、マスクはとれない、手袋をしなければならない……。落ち着いて作品のなかを散策できる気分ではない。
常設展だそうなので、もっと涼しい季節に行ったほうがいいだろう。それに、teamLab / チームラボの作品なら豊洲に行ったほうが迫力ある作品を、ストレスなく見られると思う。


さて、朝霞駅前のホテルで一泊して、翌朝は角川武蔵野ミュージアムへ。朝から酷暑のなか、11分も歩いて到着。
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まるで、外国の遺跡か城砦かと思うような、視界のほとんどを覆う巨大な建築に圧倒される。こればかりは、間近で見ないと分からない。
そして猛暑の中、汗だくで会場内に入ると、1階のギャラリーとラノベ図書館しかオープンしていないという。3~4階の面白そうな図書館などは、一切公開していない。周辺の施設も、ごく片隅がひっそり開いているだけなので、11月の本格オープンまで待ったほうが、断然いい。

物足りなさはあったものの……、唯一開催されていた企画展「隈研吾/大地とつながるアート空間の誕生 − 石と木の超建築」。これは素晴らしいクオリティだった。ミュージアムと関連施設のメイキングなのだが、人に「モノをつくることの意図、価値」を伝える見せ方としては、間違いなく第一級の展示であった。
入り口も出口も、順路もない。どこから見てもいい展示になっている。壁には、めいっぱいギッシリと読みやすい文字が並び、開かれた空間には建築模型が全方位的に(順序をもたず)並べられ、その説明と実際の建物の写真は、柱にレイアウトされている。それぞれの建築模型が、ゆるやかな高低差をもって置かれているのも良かった。


いちばん奥の壁には、隈研吾さんの建築物とその周囲の環境を丹念に撮った写真が、左から右へ流れるように映写されている。
もちろん、めいっぱい大きく。画面のしたの方には、隈さんと写真家の方のやりとりが床にはみ出る状態で書かれており、この展示がいちばん良かった。写真集が売られていたが、この思い切りのいいインスタレーションの心地よさには、遠く及ばない。

実はギャラリーのスペースは大して広くないのだが、満足してミュージアムの外へ出ると、メイキングを頭に入れたものだから、建物の外観が情報をまとってギュッ!と詰まって見えるのだ。
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写真を撮りそこねたが、周囲のベンチまで、この建物にあわせた幾何学的デザインになっているのだから、恐れ入る。
過去に学び、最新技術の建造物というかたちで未来へ手渡す、これこそが文化なのだと思う。


“フェミニズムなる学問は成り立ちからして「批判を避けてフェミニストがフェミニズムが正しい事を確認する為に設立した」学問であり、Twitterでフェミニスト批判として指摘されがちな「まともな査読や検証がない」「根拠がなく個人の主観が全てである」「理論が正しい事を自明としてる」「異なる意見を受け付けない」というのは見当外れな批判であり、もともとがその為の運動なのである。”

この記事からは、教えられることが多かった。
フェミニストを標榜する人たちは多様性を唱えていることが多いし、学問や主義なのだから、僕のような異物とも対話するよね……と、甘いことを考えていた。ところが、自己正当化のための学問や趣味なのだから、都合の悪い意見や批判は排除するのが当然……と。本当にそうなら、合点がいく。

男性にも、こんなことを言う人がいる。
“『#コクリコ坂から』みたいな映画は、注釈なしに放送してはいけないのではないかと思います。
男子生徒たちが好き勝手議論して方針を決めていく中、なぜ女子生徒たちばかりがただ働きさせられているのだろうか。
「1960年代当時を描いたバイアスある描写です」みたいな説明を付けないといけないと思う”

じゃあ、この人がスタジオジブリや日本テレビに具体的な提案をするのかというと、そんなリスキーなことはハナっから考えてないわけです。安全圏から不満やら不愉快やらをツイートして賛同が得られれば、あとは野となれ。そういう無責任でだらしのない意志薄弱なポンコツだから、Twitterで十分なわけだ。
「アベ辞めろ」も「○○法案に抗議します」系ツイートも、フェミニストの萌えキャラ・性表現批判同様、すべて「本気ではない」。少年ジャンプへの署名活動のように、気がすんだら逃げる()。

自分を危険にさらさずに手軽に鬱憤ばらししたいだけな軟弱さが、僕は嫌い。本人たちは硬派で、自分たちは本質的なことをしていると信じているだろうが、自衛隊の演習に反対する人たち()は災害時に自衛隊に助けてもらうのは当然の権利だと思っている。そこを「ダブスタですか」「矛盾してませんか」と責めても、まったく意味はない。本人たちは、そういう態度を卑怯とかみっともない等とは夢にも思ってない。最初からフェアに戦うつもりなどない(それどころか敵に守ってもらおうとしている)から、気軽に抗議ツイートが出来る。
そういう恥知らずのチンピラどもの難癖をどう無効化できるか考えるのは、われわれ合法的に正々堂々と戦いたい者たちの仕事というわけだ。


角川武蔵野ミュージアムへ行くため、間違えて乗り換えの多い朝霞駅前のホテルに泊まってしまったので、珍しく退勤時間に遭遇した。
みんな満員電車をマスク着用で無言で耐え忍び、駅の階段では片側が空いていても、「のぼり」「くだり」と書かれた方向だけを頑なに守る。僕自身、「ちょっとぐらい空いている側の階段を使ってもいいじゃん?」と思いながらも、大勢が右に流れたら、体が右へ向かって歩き出してしまう。

そういう身体レベルでの同調圧力を、猛烈に感じた。こんな毎日を送っていたら、理想的な暮らしを目指す気力など残らない(そのくせ、他人を嫉妬するマイナスエネルギーだけは、しっかり蓄積されていく)。
もし戦争に向かう要因が今の日本にあるとしたら、それは権力の横暴なんかではない。意志と気力を奪う、われわれ民衆同士の無言の同調圧力、意味のない習慣、異物を許さない不寛容さだ。熱中症の恐怖に耐えながら、周囲の目を気にしてマスクをつける無意味な息苦しさが、われわれを滅ぼす。

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