« ■0807■ | トップページ | ■0816■ »

2020年8月10日 (月)

■0810■

レンタルDVDで、『ハイキック・ガール!』。主演の武田梨奈は、『ワカコ酒』でアクションなしの演技でも注目された。まだ20代、いい女優人生だと思う。
640_20200810094001
さて、案の定、ネットでは「ストーリー性がない」「ストーリーが薄い、分からない」といった批判が散見された。映画の本質を物語だと思っていて、あらすじを知ったら「ネタバレ」で面白さが損なわれると信じている人は、歌詞カードを読んで音楽のよさが分かるのだろうか? 僕は、音楽のメロディに相当する部分が構図やカットワークだと思っている。

では、『ハイキック・ガール!』の構図はそんなに凝ったものなのか? 印象的なカット割りやカメラの動きはあるのか? 実は、映画のほとんどが「嘘のないアクションを克明に見せること」に徹しているため、俳優の動きが収まれば十分……というロングショットばかりだ。カットを割ったらアクションを“盗んでいる”(編集時に動きを抜くこと)と疑われるので、長回しがほとんど。

さらには、一度リアルタイムで見せたアクションを、スローでもう一度見せる。『ピアニストを撃て!』で、トリュフォーが俳優が建物から転落するシーンを何度か繰り返したように、そこには「種も仕掛けもございません」と言いたげな見世物性がある。ヌーヴェル・ヴァーグの場合、撮影や編集による作為を排除しようとした結果、素人の撮ったような映画になったわけだが、『ハイキック・ガール!』は(物語や構図よりも)アクションを見せることを優先しようとした結果、ひとつのスタイルを獲得したのだと思う(『マッハ!!!!!!!!』のパクりとも聞くが、パクりは表現ではないのか?)。
理知的な構図だから映画なのではない。文学性のあるカット割りだから映画なのではない。映画の本質は一種類ではない。『ハイキック・ガール!』の場合、若い女優が本当に相手を蹴ったり、自分も蹴られたりする「生の記録」に本質がある。


とはいえ、監督がまったく意図しなかったであろう文学性も、あちこちに垣間見える。
映画の前半では、空撮の高層ビル街がシーン転換に使われていた。後半、武田梨奈の演じる空手少女が敵の罠に落ちてからは、地面から見上げた銀色の曇り空が、もっぱらシーン転換に挿入される。空撮のビルからあおりの曇り空への変化には、明らかな「ストーリー性」がある。……が、映画(というよりバトル)の舞台が都会ではなく山中に移ったため、やむなく空ばかり撮っていたのが真相ではないだろうか。
そうした、現場の都合がことごとくフィルムに影響してしまうところも、ヌーヴェル・ヴァーグっぽい。

もうひとつ、映画冒頭で、武田が神社で練習している男たちの間に、ズカズカと乗り込んでいく。
Pdvd_000
これは、縦の構図であるが、左右方向へ男たちが次々とハケることで、武田が門を開いている(自分の道をつくっている)ように見える。まあ、こういう左右対称の構図と縦方向のカメラワークは、黒澤明の映画によくあるだろう。
なのでやはり、この“上手な” “意図的な”カットも、『ハイキック・ガール!』の本質とは思えない。いい表情の抜き撮りもあるのだが、この映画は「捨て身のアクションの記録」に他ならず、単なる記録が「映画として程度が低い」などとは誰にも言えないはずだ。

その記録性って、僕の言葉でいうと「AV性」なのかも知れない。(先日、『検察側の罪人』の恫喝シーンについて似たことを書いた。→
フィルムで撮られたポルノ映画は、(形式上の制約もあって)明らかに創作、表現の領域に属していた。AVは長回しワンカット、嘘のないセックスの記録が主体となった。作為のないビデオ映像を「表現」と呼ぶには、ちょっと覚悟がいる。
だから僕は、『ハイキック・ガール!』の記録性を語るにはヌーヴェル・ヴァーグを援用せざるを得ない。映画を、「なにか文学的なテーマを伝えるためのツール」と信じきっている人が、あまりにも多すぎるのだ。何らかの意味あるメッセージを伝えるのが表現、という素朴な思い込みがある。我々の信じている古びた伝達手段を壊すことだって、表現の役割ではないだろうか。

それにしても、武田梨奈の大胆不敵なセリフや表情、激しいアクションの中で、人をくったようなユーモアを混ぜる表現力には魅了された。そう、女優の顔だって表現のひとつなのだ。メッセージ性なんてものがあろうが、なかろうが関係ない。


玄関先に“中傷”するビラ 青森の実家に帰省
Bb17jvao
(画像は、上記にリンクした記事より引用)

驚くことはない、人間ってこれぐらい排他的で意地悪な生き物でしょ? 覚えがないとは言わせないよ。
僕が怖いのは、差別してもいい他人をサーチ&デストロイするのは人間の本能なのに、そこをすっとぼけて「法的に取り締まろう」などとその場かぎりの解決策しか思いつかないこと。何を見てもセクハラだヘイトだ、「犯罪として厳罰を課すべきだ」と、新しい武器を欲しがるほうが、俺には恐ろしい。
そういう人たちが、戦闘機を買うな兵器を持つな戦争反対と喚いているのだが、私的制裁という即効性の高い暴力に訴えたがるのは、いつだって彼らの方ではないのか? ハッシュタグをつくってRT数で相手を屈服させるのが暴力でないとしたら、何なんだ?

(C)2009ハイキック・ガール!パートナーズ

|

« ■0807■ | トップページ | ■0816■ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■0807■ | トップページ | ■0816■ »