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レンタルDVDで、森達也監督の『i-新聞記者ドキュメント-』。
森監督は『FAKE』で、対象に同情しすぎない冷静な取材姿勢に好感をもち、『A』『A2』も良かった。今作『i』は、反権力的な取材姿勢で名を馳せる、東京新聞社会部の望月衣塑子記者が対象だ。さて、どうなるのか。結果、森監督への信頼は崩れずにすんだ。
望月記者は辺野古への基地移転問題、森友学園問題を取材し、主に前者について菅官房長官に長々とした「質問」を行い、官邸側から「質問は簡潔にお願いします」と何度となく注意を受ける。やがて望月記者は、自分への質問が制限されていること自体を問題にして、辺野古問題はそっちのけ、官房長官に質問を制限しないよう「質問」をするようになる。
森監督は望月記者に同情的で、自らも官邸へ乗り込んで撮影しようと試みる。もちろん、警備している警官に制止される。だが、森監督はブチきれたりはしない。やむなく、選挙活動の場で言い争う安倍総理支持者と批判者たちを撮り、最後には「僕は反原発だし、いわゆるリベラルだ。しかし、暴走した正義は過ちを犯してしまう」と、ナチスの独裁から解放された後、ドイツ兵と恋愛していたフランス人女性たちが私刑にあった様子を振り返る。
森監督は、望月監督を取材しても何も得られないことが分かって、それで仕方なく自分の考えをナレーションで述べるという、ドキュメンタリー映画としては悪手をとらざるを得なかったんではないか。
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しかし、望月記者という人の薄っぺらさには、かなりの驚きを感じた。真っ先に想起したのは、女優の室井佑月さんだ。
室井さんも激しい政権批判で知られるが、あまりの不勉強や無知、短絡的な思い込みや勘違いゆえ、幼稚な失言が多い。その失言を批判されているだけなのに、室井さんは「ネットいじめを受けています」と自分が不当な被害を受けているかのように偽った。
望月記者も、気味が悪いほど同じ行動パターンをとる。脅迫電話を受けたのは映画で録音テープが流されたように事実であろうし、官邸から質問を短く、少なくするよう勧告されたのも事実だろう。
だが、そこで戦略的に対応を練ることなく「権力者から不当な弾圧を受けている」「国民の知る権利が脅かされている」などという感情的で単純な図式に当てはめる。挙句、新聞労連らによる「記者イジメをやめろ」デモに参加する始末だ。
室井さんであれ望月記者であれ、まずは「巨大な権力の欺瞞に、敢然と立ち向かう私」を設定し、その単純な図式に事実を当てはめているだけに見えてしまうのだ。
(余談だが、共産党系の団体「日本婦人の会」さんが自衛隊の兵器を掲載した絵本を重版不能に追い込んだとき、その行動を批判した人たちを「改憲と排外主義の極右勢力」と決めつけた。この人たち、みんな同じ。自分の幼稚さ・粗暴さをとがめられているのに、政治的対立に当てはめて被害者サイドに立ちたがる。)
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望月記者は、官房長官の記者会見で、膨大に質問を浴びせる。あまりに発言内容が長すぎ、もはや質問ではなく、室井記者の意見発表会になってしまっている。当然ながら、「時間がないので質問に入ってください」と注意される。
僕もインタビュアーだが、質問は短い。相手にバカと思われてもいいから、質問はなるべく簡潔に。すると相手は「そんなことも知らないのか、では説明してやろう」と話す気になってくれるわけだ。シーソーのように、こちらが引き下がれば、相手は「ちょっと待った」と後ろ髪を引かれる。
ところが、素人は自分の考えを長々と自慢げに述べたうえで「……について、どう思いますか?」と、最後に聞く。まず、長い話を聞かされる相手の負担を考えてない。人として未熟だ。
そして、シーソーの原理を分かっていない。こちらが押せば押すほど、相手は引いてしまう。それは相手が卑怯なのではない。恋愛に例えると分かりやすいかも知れない。こちらが熱烈にアプローチすればするほど、相手はウンザリして逃げる。逃げた相手に、「そんなに僕のことが嫌いなのか?」と詰め寄っても、ますます嫌われる一方だろう。それは人間関係の原理であって、政治でも恋愛でも仕事でも同じことだ。
仕事の出来ない人は、ダーッと長文のメールをよこして、それだけで相手を疲弊させることに気づかない。相手が自分の長文を読むのは当然と思っているから、人として嫌われる。
望月記者は沖縄にまで足を運んで、結構いい取材をしているのではないかと思う。
ところが、記者会見での質問は、その取材の成果を長々と述べて、「……これは政府の落ち度ではありませんか?」と、最後にちょろっと聞く。そんな長い一方的な独自取材の話、いちいち覚えてられるわけないでしょう? 相手がゲンナリすることを自分から仕掛けておいて、「どうしてゲンナリするんですか?」と因縁をつけている。そして、「政治家として何かやましい裏があるから、私に指摘されて逃げたんでしょう?」と、自分があらかじめ用意しておいた物語に当てはめる。
程度が低い。仕事のレベルが低いから、僕は望月記者を嫌悪する。議論が成り立たないような難癖をつけて、相手が嫌がると「政治的に不利なんだろう」「どうせ裏で癒着してるんだろう」と誰にも検証不可能な推測をするんだから、チンピラじゃないか。
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やり玉にあげて悪いんだけど、KuToo運動の石川優実さんも、まったく同じ。
ヒール・パンプス強制に反対するところまでは分かる。もっとよく知りたいとも思う。だけど、「私が!」「私が!」「私が!」って主張が一方的に長くて、とても聞いてられない。自ら多くを語らなければ、「石川さんの主張は、どういうものなんですか?」とこちらから聞きたくなるのに、自分から相手を疲れさせておいて「私の主張を聞いてもらえない」という図式をつくり、「女性であるだけで不当に差別されている」というテンプレに当てはめる。
そして、Twitterで自分への反対意見が多いこと自体を問題化してしまったので、もはや石川さんの最初の主張なんて誰も問題にしてない。Twitterで議論したり誹謗中傷に対して裁判している人、というイメージしかない。
あまり左翼って言葉は使いたくないんだけど……ツイフェミと呼ばれている人たちも反権力の人たちも、どうにかして“片想い状態”を維持したがる。
僕が反原発デモに通っているとき、当時は野田政権だったから「野田ブタ、やめろ」みたいな主張が多かった。で、野田総理がやめて安倍総理になったでしょ? 翌週から「安倍、絶対許さん」に変わった。反原発が反TPPへ、秘密保護法反対へ、デモのテーマも知らないうちに変わっていった。権力なんて消えてなくならないんだから、次から次へと政府に反対していれば、「こんなに頑張ってるのに、このままでは権力が暴走してしまう、もっともっと頑張らなくては!」という戦闘状態を維持できる。
戦闘状態をキープしてないと落ち着かない人たちが、たまたま左翼とかフェミとかのスキンをまとっているだけではないのか。交換可能なのではないか。……権力との戦いって、そういうもんなのかな。僕は、いま僕の戦っている問題をボヤかしたくないけどな。そして、相手との和解であれ妥協であれ、早く戦闘状態を終わらせて優雅にコーヒーを飲みたいと思うけどな。