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2020年5月14日 (木)

■0514■

最近レンタルして観た映画は、『ダイアモンドの犬たち』と『カリートの道』。
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『カリートの道』は、アル・パチーノが零落した老いたマフィアを演じており、深く心に沁みる滋味と、素晴らしいカメラワークによるサスペンスを持ち合わせた優れた作品だった。
主人公は、自分の老いを自覚している。味方だった弁護士はコカイン中毒で、次々とトラブルを持ちこんでくる。ダンサーになるはずだった元恋人は、ヌードになって怪しげなクラブで踊っていた。
ジワジワと状況に追い詰められながらも、なんとか脱出口を見い出そうと必死にあがく主人公の姿に、心を奪われた。


#検察庁法改正案に抗議します


このハッシュタグにまつわる、不気味な感覚について。

“件のハッシュタグに関しては某ぱみゅぱみゅ氏の謝罪文に「話が降りてきて」というお仕事感の強い語彙が出てきたり、タグの初投稿者が広告業界勤務であったりと、PR系業界関係者の影が随所に見え隠れしてしまっているので、メディアがこの件を「自然発生」的な体で連日取り上げる様子には違和感を覚える”

この後につづくツイートのとおり、「東京高等検察庁の検事長の定年延長」は、2月に一部で話題になったにすぎない。僕は共産党と仲のいい「新日本婦人の会」アカウントをフォローしているので、なんか野党が「火事場泥棒」と批判しているらしいな……程度にしか知らなかった。
最初にハッシュタグで投稿した女性は、「フェミニズムへの興味」「広告制作の仕事」……本名は明かさず、素性は自己申告にすぎない()。第三者が検証できない情報に、僕は価値はないと思っている。

Facebookに新型コロナウイルス関連のチェーンメールをコピペしていた声優さんにしても、出どころ不明の情報を、どうしてそうも簡単に信用してしまったり、あるいは自分の発信は絶対に信用してもらえると期待できるのだろう?
まず自分の身元なり、発言のバックボーンなりを他人が検証可能な丸裸の状態にする、つまびらかにすることでリスクを背負わないと誰にも信用してもらえないと、フリーランスで生きてきた僕は実感している。だが、SNSの世界では、そうではないらしい。

いや、SNSは関係なくて、平均的な人はそれほど深く考えたり、疑ったり失望したりすることなく、漠然と曖昧に生きているのかも知れないな。理想や正義なんて抱かないほうが、生きていくのには向いている。


“反対するのはいいんだよ ただ内容をよく確認せずに皆が言ってるからやばいんだろうけしからん、って反射的に反対してるだけならその空気の方が怖いなあ 好きな作家さんが乗っかってるのも悲しい(まだ言う)”

この方の気持ちに近いものを、僕も感じている。
別に芸能人や著名人が政権批判をするな、などとは思っていない。騒ぎが収束しかかったころ、「芸能人にも言論の自由はある」という小綺麗な収め方をする人が多かったように思うが、そんな幼稚な話は誰もしていない。綺麗事で、誤魔化さないでほしい。
ハッシュタグを使って、「反対するのが当たり前」「この話題が今、もっとも熱い」という雰囲気を作り出した……根拠も示さず、どこかの誰かのつくった図やハッシュタグを使って。その安易な雰囲気づくりに、信用しているクリエイターがやすやすと乗っかったことに大きく失望した。幻滅に近い。多分もう、自分からは二度と会わない。

政府に反対する意見を示したことは、べつに責めない。しかし、そんな安易な示し方で、他人を説得できると思っているのか? もし説得できると思ったのであれば、貴方が他人をイエスマン、自分を承認してくれるチェスのコマとしか考えてないからだよ。チェーンメールを広めた声優さんだって、そうだ。自分のファンは、自分の思想を無条件に広めてくれる兵隊だとでも思ってるんだろう。ひとりひとりの人生や考えがあるなんて、露ほども思ってないんだよ。その姿勢のほうが、よほど民主主義を否定しているじゃないか。
「なあみんな、俺の作品が好きなら、俺の支持する意見にも、当然同意してくれるよな? 当たり前だよな?」という傲慢さを、あのハッシュタグから感じた。クリエイターともあろうものが、既成のハッシュタグを使うという身振りから。「ああ、バカにしてるんだな」と、侮辱された気持ち。
こうも思った。「あれだけ個性的な作品をつくる人間なら、さぞかし独特の思想を持つものと思っていたが、どうやら見込み違いのようだな」。俺の買いかぶりだったんだ。俺が間違えていた。そういう幻滅だ。


反原発デモに通っていたころ、右翼だけど反原発だ、という方たちの動画を見た。
右翼のイメージといえば、街宣車かネトウヨ。嫌悪感しかなかった。しかし、その人たちの活動は、原発再稼動に賛成した町の議員たちを「弾劾する」ために現地に向かい、自分も顔を出して直接口頭で抗議するという堂々としたものだった。議員が留守で、奥さんしか在宅していない場合は、丁寧に挨拶して帰っていく。
「だけど右翼だよな……」「愛国とか反日とか、そっち系の人たちだよな……」と割り切れないものを感じながらも、僕は感動した。

つまり、意見を発信する手続き、方法が大事なのだ。思想の左右なんて、本当にどっちでもいい。反政権でもフェミニズムでも、本当にどんな考えでも構わない。ただ、リスクを背負って弱点をさらして、それでも堂々として振舞うのであれば。卑怯な逃げ道を、都合よく準備しているのでなければ。空気に便乗し、同調しない者をハブるのでなければ。
恥をかいてもいい。失うのも、まあ仕方がない。魂を売り渡して理想を失うよりは、よほどマシだろう。いつでも負けそうな側に賭け、70億人が賛成しようとも、反対する一人でありたい。

(c)1993 Universal City Studios,Inc. All Rights Reserved.

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