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最近、レンタルDVDで見た映画は、『廃市』、『書を捨てよ町へ出よう』、『白昼の通り魔』。すっかりATGめいているが、ヒッチコック晩年の傑作『フレンジー』も観た。
やっぱり、『廃市』のことから書こうか。
前に見たのは7~8年前だろうと思っていたら、きっかり10年前だった(■)。
当時は気づかなかったが、構図がどうのカット割りがどうの、という映画ではない。やたらカメラを傾けたり、オプチカル処理したがる大林監督の趣味は控えめで、オーソドックスなつくり。オーソドックスというのは、1942年に『カサブランカ』が築き上げた話法と、次元が一緒という意味だ。
ロケおよびロケセットなので、カメラワークも限られている。では何が魅力的なのかというと、被写体。俳優や背景がいいんだろうね。俳優とロケ地さえ美しければ、もう十分じゃん?と、大学のころは思っていた。映画のエの字も知らない、くだらないガキだった。
『廃市』は依然として甘美な映画だが、「綺麗だ、好きだ」だけで映画を観ていると、どんどんバカになっていく。では他に何かあるのかというと、とりたてて何もない映画。その点、構図やカットワークに凝りまくった『白昼の通り魔』は意図の塊のような映画で、大島渚が海外で評価が高い理由が分かる。映画が原理的に持っている機能は、万国共通だからだ。
だけど、50~60年代までに、構図やカットによる話法は、黒澤とヒッチコックが洗練させ、完成させてしまった。だから、大島渚は、少しクラシカルな感じがする(同時期公開の『フレンジー』は、とてもアクティブなニューシネマっぽい映画なのに)。
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『書を捨てよ町へ出よう』。18歳のころだったか、浪人中に吉祥寺ジャブ50の寺山修司特集が初見だった。
あの当時は、翌週上映される寺山作品の予告編が怖くて怖くて、もう後戻りできないんじゃないか?と震えながらも、結局、上映作品すべて観てしまった。根本敬にも通じるような、異様な包容力がある。世界中から排除されても、寺山映画と根本敬だけは受け入れてくれる、まだまだ余白があるように感じていたし、今もその解放感は、体の節々に息づいている。
倫理も正義もないんだけど、自由だけはある。不思議な、不安定な安心感。
映画としては、ゴダールの亜流と言ってもいい。ある程度のスジが決まった劇映画と、街中に繰り出したドキュメンタリーとが入り混じっている。『勝手にしやがれ』の10年後だから、決して新しいわけではない。強いて言うなら、日本映画であることはゴダールにはない強みだ(特に、素人のエキストラが大勢出てくると親近感をおぼえる)。
『書を捨てよ』は、いつの時代も、行き場のない若者を救いつづけるだろう。勧善懲悪でピースフルで、家族や友達の美しさを描いたウェルメイドな映画に疎外感をおぼえたら、いつでも『書を捨てよ』が待っている。この映画が怖いなら、そこから本当の逃走がはじまる。風の中を走って逃げればいい。
『書を捨てよ』がどんなに古くなっても、いや古くなればなるほど、時代から疎外されればされるほど、この映画は孤独の純度を増していく。
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20万円の還付金が振り込まれる前に、三鷹市役所に滞納していた税金12万円分、差し押さえられてしまった。ひさびさに市役所に行くと、差額の8万円はあっさり戻ってくるとのことだった。
(戻るも戻らないも、もともと払いすぎていた税金だ)
僕がうるさく言ったせいか、タイヤロックによる脅迫オブジェは隠し気味にしてあり、個人の財産を競売にかけた結果が、誇らしげに掲げてあった。それ、やっぱり威張るような成果じゃないと思うぞ……個人を迫害せず、安い税金で皆が幸せになれるのが良い社会だろ? 三鷹市役所納税課、そういう理想がそもそも欠けている。
この手のことをTwitterに書くと、「そういう決まりなんだよ」「払えよ! ズルすんな!」など、学級委員みたいな人たちがリアクションしてくる。でも、フリーランスって狩りのように「一仕事いくら」を自分でコントロールして、より楽しく暮らす生き方なので、誰に決められたわけでもなければ、決まりにギリギリ抵触しながら活動範囲を広げるのが楽しんだよ。
「より楽しく生きる」。この理想が根本的に欠けている人が、とても多い。朝は好きな時間に起きたいでしょ? 昼間でも眠たくなったら寝て、食べたいときに食べたいでしょ? どうして皆と同じ時間に、同じ行動をしたがる? ひょっとして、他人に決めてもらわないと自分の人生も楽しめないの? ひょっとして、辛いこと、嫌なことを我慢するのが人生だと思ってる? それは勝手だが、俺を巻き込むな。
俺は20代のころは無能で無能で、普通の人にできる簡単な仕事がひとつも出来ず、体力がないので力仕事も務まらなかった。取材して文章にまとめるのが得意、しかも他人より早く書けると分かったのは30歳をすぎてから。些細な才能だが、お金になるよう、磨きをかけた。
中身のないことでお金をもらいたくない。才能を世の中に役立て、その対価を得たい。自分の能力を生かして、より豊かな人生を楽しみたい。そのための努力や工夫なら、いくらでもする。「そういう決まりだから」なんて理由で、人生が楽しくなるわけないでしょ?
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