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2020年4月24日 (金)

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レンタルDVDで『宮本から君へ』。原作は単行本をすべて揃えており、昨年のドラマ版も視聴済みだった。
しかし、映画版は何かの事故ではないかと思うほど、杜撰な出来である。時系列を変にシャッフルした脚本の問題だけでなく、シーン転換で音楽がバツン!と切れてしまい、何か見落としたか?と戸惑うことがしばしば。
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まあ、そうした常識以前の稚拙さは、ドラマ版から分かっていたこと。
『宮本~』という漫画には、映画という表現とは相容れない、描写上の難しさがある。
漫画にしてはあまりにも、リアリズムを貫徹しすぎるのだ。ものの見方の浅い企画者は、実在する場所を克明に描いてあるのだから、そこでロケすりゃ漫画のとおりだろ?と早合点してしまう。そうではなく、モブキャラにいたるまで、人物造形が(内面的にも外面的にも)写実的すぎるのだ。「映画にするまでもなく映画になっている」漫画なので、映画としてのアイデンティティを持たせることが難しい――というより、すでに映画なのだから、映画化することないじゃん?とまで思ってしまう。


『宮本から君へ』は、本当に容赦のない残酷な漫画で、その不公平さを公平に描くフェアな態度に、僕は感服していた。
主人公の宮本こそいかにも青年漫画の主人公風の、そこそこ整った顔の青年として描いてある。だが、彼は事務用品メーカーの営業マン……という地味な存在だ。原作者の職業差別にも近い視線を感じてしまうのだが、しかし地味な業界だからこそ、大手メーカーに対抗して事務用品を売り込む中盤のドラマが白熱するわけだ。
では何が残酷なのかというと、それは人物の美醜を容赦なく描き分けることだ。

漫画的な「キャラクター」として美人の記号をもって描かれたのは、初期に登場した甲田美沙子ぐらい。後半に登場する綾部栞も、おおきめのコマで宮本をドキッとさせるぐらいには、可愛く描けている。
では、それ以外の女性たちはどうだろう? 宮本が尊敬する敏腕営業マン、神保は美女と結婚しているのだろうか? 彼の奥さんは、背の低いコケシのような女性である。宮本と結婚する中野靖子は「ツリ目の意地悪ねえさん」と揶揄されるほど個性的な顔立ちだが、服装や仕草、周囲の男たちとの関係で「美人として扱われている」印象を演出している。ようするに、“漫画のような”記号的なヒロインは2人しか登場しない。
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そして、各エピソードに一度しか登場しないモブキャラの女性たちは、それはそれは、えげつないほど個性的に描かれている。
僕がもっとも残酷に感じたのは、中野靖子を強姦された宮本が、犯人の真淵拓馬に報復するため、あちこち動き回っているシーンで登場する喫茶店の女の子だ。客と話しているときには作り笑顔で可愛らしく描いてあるのだが、戦慄すべきはタバコの煙を吹かす表情。「これでもか!」というぐらい嫌な顔をしている。なんというか、周囲に無関心な「動物の顔」をしている。社会性のない顔、とでも言えばいいのか。次のコマでタバコをくわえなおす時には、周囲を意識したニコッとした顔に戻る。
現実世界は、まあそんなものなのかも知れない。美人がおどけて、ひどい表情をしてガッカリすることがある。それでも人間には生きる価値がある……というより、そんな人間たちでも普通に生きているじゃん?と、『宮本から君へ』は(作者がその気になれば美人で埋め尽くすことのできる)漫画という媒体で訴えている。僕らの感じている女性の美醜など、はるかに超越したと次元に、世界の実質があるのですよ……と。
それは、「ルックスに恵まれない人でも心は綺麗」なんていうタワゴトではなくて、「ルックスに恵まれない人は、恵まれないことを引き受けて生きるしかない」という当たり前の事実なのだ。


そういう漫画なので、主人公の宮本の彼女(中野靖子)をレイプし、報復にきた宮本を返り討ちにする敵・真淵拓馬は「漫画の約束事の中での強者」ではなく、「現実世界に実在する絶対強者」であらねばならない。
だから、大学のラグビー部で有名人で、外務省に就職決定している大金持ちのボンボンに設定したのだ。大人に守られた社会的強者に。
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(映画では一ノ瀬ワタルが好演していたが、拓馬ってのは「笑顔が可愛いくて愛想がいい」から、社会の中で強者でいられる。その笑顔が足りなかった。まあ、そこだけじゃないけど……。拓馬とマンションのベランダで挌闘するシーンは、唯一とてもよく撮れていた。)
レイプ魔の拓馬が自分の彼女に残すメモ、父親に残すメモ、これらがいかにも頭のいい嫌なヤツが書いた文面で嫌な気分になるのだが、映画では一切オミットされていた。
 
実は、ようやく彼女ができて幸福の絶頂のシーンから取引先の人間関係を通じて拓馬と出会い、カッコよく描かれていたはずの大人たちに幻滅していくシーケンスが重要だ。
お菓子が好きでケンカが強く、誰にでも優しい大野部長は酒を飲むと、別人のように目が据わる。こういう写実的な描写が、この漫画は本当に怖い。酔っ払っておもしろオジサンになるのではなく、醜い部分が表面化する。人間、そんなもんなのかも知れない。
拓馬の父親・真淵部長に幻滅するのは、むしろレイプされた後の靖子のほうだが、真淵部長は漫画的なアレンジが効いているキャラなので、まだ分かりやすい。レイプ事件後も大人ぶって事態に介入しようとした大野部長が宮本にすごまれて、あっさり舞台から退場してしまう構成には、ただならぬ人間への憎悪と現実への覚めた目線を感じる。大野部長と宮本が和解するような、甘っちょろいシーンはない。これが本物のリアリズムなのだと思う。
『宮本から君へ』が「熱い」と言われるのは、女性たちの美醜を容赦なく描き分けたり、フィクションに都合のいい出来すぎたキャラクターを徹底的に排除した結果だ。

ちょっとこの漫画については語りきれないけど……。
営業マンとして一人前になっていく宮本が、お昼ご飯を街中の汚いラーメン屋で、汗だくで食べている。その相席に、ランニングを着た労働者が座っている。また、その顔がね。その労働者には労働者の都合があるので、漫画に合わせていいキャラを演じてなんかいられないよ……って顔に描いてある。差別的でさえあるけど、その飾り気のなさすぎる現実の強度を、この漫画は最大限に利用している。少しだけ、現実が怖くなくなる。フィクションですら汚く描いていたので、現実もそういうもんだ、と思えてくる。
拓馬の居所を探して、東京23区のはずれ(板橋のあたりだろうか)を捜索する宮本は、喫茶店で刃物を使った大喧嘩に巻き込まれてしまう。その乱闘の末、手がかりを見つけた宮本は、自分が怪我していることに気がつく。シャツの胸のあたりに血が滲んでいて、乳首がスッパリと切られている。……漫画がだったら、まあ頬っぺたが切られていたほうが「ダメージを負った」表現になるじゃない? だけど乳首が切られていると、現実だったらどんなに痛いだろう?と、想像せざるを得ない。そういう、ふだん眠っている神経を刺激してくる漫画なのだ。

(C)2019「宮本から君へ」製作委員会

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