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2020年4月10日 (金)

■0410■

最近観た映画は、熊井啓監督の『忍ぶ川』、ヒッチコック監督の『ファミリー・プロット』。
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熊井啓といえば、僕が映画に興味をもった頃は『海と毒薬』や『ひかりごけ』。ホラーになりかねないような際どい題材を扱う、当時の言葉でいえばカルトっぽい印象だった。ところが、『忍ぶ川』は救いのある恋愛ドラマで、呆気にとられた。

まず、構図がいい。手前に大きく花や街路樹などをナメて、広角気味に撮る。オシャレだ。
鳥の群がバッと飛び立つカットをあるシーンで使ったら、それをドラマのあちこちにインサートして、心理描写とする。ありふれた演出のようだけど、カットの短さ、音のシンクロ加減などのセンスがいい。キレがある。

黒澤明のように、構図それ自体が何かを語っているような、文語的な構図ではないんだけど、映画に耽美的なムードを与えている。1972年ともなれば、もう映画に出来る新しいことは残されていなかったと思うので、これでいいんだろう。
『ファミリー・プロット』は、すでに『スター・ウォーズ』前年の作品なので、完全にヒッチコックの役割は終わっていると感じさせた。60年代初頭の『サイコ』、『鳥』。この2本で、次世代に最後のバトンを渡し終えたのではないかな。


先日、総理大臣の会見で時間が終わりそうになると、「まだ質問あります!」「逃げるのですか!」と騒いで、頑張って仕事した気になっている記者たちのことをブログに書いた。「ああいう記者は素人」とTwitterに書いたところ、「彼らは逃げるのですかと騒ぐところまで含めてお仕事」「そういう絵をつくるプ専門のプロなので」と指摘された。「やっぱり、ヤラせですよねえ(笑)」と話を合わせてしまってから、猛烈な自己嫌悪がこみ上げてきた。

あのね。「どうせ、あいつらは金もらってんだよ」「しょせん、世の中なんてそんなもんだよ」と白けたところで、何かプラスになるものがあるんですか? それは「しょせん本気ではない」大人の態度を、遠くから肯定しているに過ぎないと思う。
「ああいうお仕事なんですよ」「ある意味でプロなんですよ」と聞いたふうに指摘してきた人たち、どんな仕事をなさっているのか、さっぱり分からない。悪いけど、プロとして仕事を貫徹できてない半端者なんだろうな、と邪推させていただく。

例えば、デモ活動を見るたびに「あいつらは金もらってんだよ」「プロ市民だよ」と指摘して、冷笑する人たちがいる。
僕がデモに腹が立つのは、参加者が「しょせん本気じゃない」から。「アベ辞めろ」というプラカードを掲げている人たちが、じゃあ明日から首相が望む人に代わったら……と、現実的に想定してるだろうか。してないよね。「アベが辞めるわけがない」「明日も今日と同じ日常なんだ」と安心しながら叫んでいるから、耳を貸す気になれない。本気でやってるなら、右も左も関係ない。与党精神と主体性のある人なら、僕は最大限に評価する。
そこまでのリスクを覚悟していない政治活動も、「まあ、あいつらはプロ市民に過ぎないから」という無責任な嘲りも、同じ泥沼に浸かっている。向上心を捨てた、無気力な泥沼に。


「違和感のあることを続けていると、いつかとんでもない事になっちゃうのよ!」――大学四年のとき、そのように僕に叫んだ女性がいた。その一言を聞いた瞬間、僕はゾーッとして、彼女への幼稚な恋愛意識を捨てて、なるべく早く愛憎の泥沼から離れようと決心できた。
「違和感のあることを続けていると、いつかとんでもない事になってしまう」……なんという、ありがたい一言なんだろう。恋愛だけではなく、仕事のうえでもそうだよね。最初に違和感をおぼえると、いつか必ず破綻する。人間関係でも、ちょっと会ったばかりの人でも「?」と欺瞞を感じると、いつかは化けの皮が剥がれる。なので、経験によって培われた感覚は信じていいということだ。(離婚のとき、母が殺されたとき、すべてこの違和感が起点にあった……)

今朝、かなり有名なタレントの方が中国発祥のコロナウィルスについて、一週間ほど前に流行ったチェーンメールをFacebookにアップしていた。「これが例え本当の話でなくとも、大事なことが書いてあります」とのことだった。……え? たとえ本当のことでなくとも……ウソ話でも大事なことは大事……!? 何だ、この怖さ? 
俺は今、「一歩も外に出るなよ」「いま営業している店は裏切り者だぞ」というムードになっているのが、いちばん恐ろしい。とりあえず1日部屋にこもった後、昨日と今日は駅前に出てみた(というより、マンションが駅前にある)。
大手チェーンの店は休業に入っていたが、個人経営のラーメン屋や弁当屋はいつも通りに堂々と商売していて、少しではあるが、行列も出来ていた。
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そこで今日は駅の反対側へ行って、お気に入りの喫茶店がオープンしていたら、ちょっと休んでいこうと思った。もともと会話禁止の店だったが、さらに客数を限定4名にしぼり、客と客との間隔を2メートルほどあけるよう配慮されていた。店の主人は、もちろんマスクをしている。ちょくちょく窓をあけて、換気もしていた。
でも、そんな配慮とは関係なく、「飲食店に入ったヤツは犯罪者だぞ!」と断罪されかねないムードがあり、そのムードに負けてお気に入りの喫茶店へ行かなかったフリをするのが、俺は何より怖い。コロナも目に見えないが、同調圧力も目に見えない。
(チェーン系の喫茶店はギッシリと満席になっており、その人ごみに入っていく勇気は、僕にはなかった。)


感染拡大を抑えるために、なるべく外出せず、人と接触しないよう努めるべきなのは分かる。そのために、国や都が十分な対応をしているとは思えない(まして、三鷹市は何もしていない)。
最終的に自分の身は自分で守りつつ、僕ほどの歳にもなれば、少しは社会のこと(特に先の長い子供世代のこと)を考えて行動せねばならない。そう思っている。

だけど、Facebookに貼られていたチェーンメール、具体的な医療機関名を後から削除したため、不自然な文体になっていたチェーンメール……。政府が配る布製マスク2枚を竹槍に例える文化人、空港に設置されたダンボール製ベッドを見て「日本やばくないですか?」「まるで野戦病院」「まるで戦時中」と感染爆発中の欧米から、わざわざツイートしてくる海外在住の日本人……彼らに対する違和感。
(岩田健太郎とかいう医者だか教授だかが、ちゃっかりコロナ関連の著書を出したり……)
なんというか……、本当は痛くないくせに痛がっているフリというか、はっきり言うと、ウソツキ感。チェーンメールにあった「助けられる命」「できるかぎり家族や友人に」「時間がありません」……この、脅迫めいた綺麗な言葉の数々。この、「逆らわせまい、従わせよう」という支配欲。こんな隅っこでまでイイ子ぶりたい、可愛がられたい、ペテン師に特有の自己愛。俺は今、そんなものとは距離を置きたい。

アルコール消毒液が置いてあれば、必ず使う。スーパーでは前の人と距離をあける。機会があれば必ず手を石鹸で洗う。せっかく家で仕事できる人なんだから、遠出はすまい。
4月の仕事はすべて納品してしまったので、次の取材まで、あいかわらずプラモ本の企画を考えさせてほしい。「圧力をともなった善意」には、ほとほと愛想が尽きた。

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