■0428■
編集者・柿沼秀樹氏が振り返る、ガンプラ大ヒットへ至るキャラクターモデル勃興の昭和史【ホビー業界インサイド第58回】(■)
柿沼さんとは、ホビージャパン ヴィンテージの打ち合わせで、よくお会いするようになりました。ガンプラ以前の歴史には、私は詳しくないので、“柿沼史観”ではありますが、自由に語っていただきました。柿沼さんは誰かを言い負かそうとか、自分だけが最高とは思ってないので、肩がこりません。
上手とか下手とかではない、世の中の流れに影響されながら右往左往する模型業界を見つめる、語る。最高に贅沢だし、とても楽しい時間です。
■
全世界的な新型コロナウイルス対策が続き……、まぁ、言葉は悪いけど「バカが炙り出されてきている」と思う。
声優の水島裕さんが、また出どころの不明な情報をFacebookでシェアしている(■)。水島さん、これで二回目。悪いけど、騙されやすい。
前回は、「信頼できる人からの情報なので……」と言い訳していたが、こういう甘い人の特徴だよね。自分が信頼できる人は、どこの誰だろうと、赤の他人でも絶対に信頼してくれるはずだという幼稚な思い込み。
どんなに言葉をつくしても信じてもらえない、誠意をつくしたのに全否定されてしまった……という辛らつな体験を飲み込んでこなかったんだろうと思う。水島さんの根拠不明なテキストを安易にシェアしている人たち、全部同じ。経験不足。
そして、なぜかアーティスト、表現者の人が多い。自分の善意が、無限に通じると思い込んでいる甘い人。
ジャズ・トランペッターの辰巳哲也さん。「2週間後の東京は今のニューヨークよりはるかにひどい状況」と書いて、2週間たってしまった。「政府や行政の対応」を批判したいがあまり、大惨事を望んでしまう……。Twitterではよく見かける、「日本は終わりだ」式の破滅願望。欧米や韓国、台湾の対応は素晴らしいのに、他国に比べて日本政府はアベ政権は……と嘆くシナリオがまず先行していて、その予定調和に、現実を沿わせようとする。
「私が間違っていたかも知れない」と、ポーズだけでもいいから、一時的に反省したり撤回したりすればいいのに、それが出来ない。打たれ弱い。「すみませんでした」と、ウソでもいいから頭を下げれば、その一回で得られる対価はものすごく大きいのに、知らないんだろうと思う。気の毒になってしまう。
■
しかし、純朴なアーティストばかりではない。新聞記者やジャーナリストの居直りぶりも凄い。
フォトジャーナリストの安田菜津紀さん(■)。不法滞在の外国人にも、給付金を配るべきと主張しているようだ。こういう気楽で呑気な人を見かけると、「ああ、まだ大した惨事ではないんだな」と、じわじわ実感できる。
まあ、暇があったら、安田さんの他のツイートも見てください。ポエムみたいな、薄甘い言葉ばかり。そこに群がる人たちのリアクションが、また薄っぺらい。あのね、自分が追い詰められて食うや食わずの人は、こんな綺麗事は言ってられないから。だけど、安田さんは悠々食っていけるぐらいのお仕事をなさっているようだ。
つまり、同じ浅さの人たちをつかまえられれば、彼らのニーズさえ満たせば、それで仕事は成立するんだな……と、よい勉強になる。批判的な相手は即座にブロックしているのだから、ようするに「客にならない」「金につながらない」と判断しているのだろう。本気なら、議論につきあうと思う。
そう、どうして腹が立つかといえば、「本気じゃない」んですよ。彼ら。反論・異論に身をさらそうとしない。「ジャーナリストって、そういう職業ですよ?」と言われてしまえば、勉強になりました……と、返すしかない。だけど、自分が傷ついたりダメージを食らうことを想定してないとしたら、人間として甘すぎるよね。
■
僕はFacebookの「喫茶店が好き」コミュニティで楽しくレビューを書いていたのだけど、このコミュニティに東京新聞の記者に関する、政治的なテキストが書き込まれて、驚いた。僕すぐ管理者に報告したし、ただちに削除するよう求めた。
政治的にどんな立場でも構わないんだけど、反体制的な人たちは場所をわきまえない。どこででも、自分たちの主張を聞いてもらえると思っている。甘い。くだらない人生。話を聞いてもらうまでが、まずは大変なはずだが、彼らの世界観はそうではないらしい。反対意見は、「ネトウヨ」「レイシスト」「アベ信者」で処理するんだから、楽なものだ。
「もしかすると、自分の正義や誠意が通じないかも知れない、世の中そんなに甘くはないよなあ」……と覚悟している相手なら、話を聞く気になれるのに。そこで皆さん、大きく損をしている。
「必ず我が願い かなえたしとか 必ず調伏せむ などと力こめるのはかえって危険なのだ」……岡野玲子『陰陽師』の台詞を思い出してしまう。
■
毎日新聞は、どういう新聞か知らない。朝日新聞は昔から左寄り、読売新聞は右寄り程度の認識しかない。というか、地上波のテレビにも紙の新聞にも、僕はもう用はない。
しかし、毎日新聞のアベノマスクに関するニュースは、気になった(■)。汚れたマスクには「関係者提供」のキャプションがあるが、「関係者は語る」式の記事は、眉にべっとりと唾をつけて読む必要がある。名前を出せないということは、それだけ信用度が下がるということだ。
そこで、毎日に「関係者とは誰か」「この写真が本物であることを証明してほしい」とメールしたが、返事は来なかった。やむなく、記事中にある厚生労働省内の「マスク等物資対策班」の連絡先を調べて、取材に応じてマスクを提供することなどありえるのか直接聞いた。二度も電話を取り次いで電話口に出た全戸配布用マスク担当の男性は、ややキレ気味に「ありません」と答えた。
二度ほど言葉を交わしただけだったが、毎日新聞が取材したはずの厚生労働省が「違います」とキッパリ言うんだから、違うんだろう。毎日が何か答えてくれれば、僕はそっちを信用したかも知れないのに、黙っている相手を信用する術はない。
実際にマスクは汚れていたのだろう。その後、マスクは回収されたのだから。
しかし、汚れたマスクが事実ならば尚更、「関係者提供」などではなく、正確に、正直に提供者の身元を明らかにすべきだったと思う。明らかに出来ないのであれば、画像の掲載はあきらめるしかなかったと思う。そんな曖昧な、逃げ道を用意した態度で誰を信用させることができるだろう? (みんな信じていたけどね、世界を簡単に理解したい人たちは……)
録音するのを忘れていたから、僕が厚労省に電話した事実は確かめようがない。
だから、僕の行動で得られる信頼は、たかが知れている。リスクを負ってない情報発信は、それに見合った信頼しか得られない。毎日新聞が「関係者」という逃げ口上を用意して、水島裕さんがテキストの出どころを明かせないように。
リスクを背負っていない、発信者に痛みのない情報には、ほとんど価値がない。
■
僕は、体育の時間のたび、ひどい屈辱を味わってきた。中学、高校と進むにつれて、どんどん苦しくなっていった。
しかし、普通の人はそこまで深刻な、全身で戦わねばならない事態に陥ったことがないんだろうな。だから、今回のような事態を「身にふりかかった災難」として利用して、正当性を主張する、エエカッコシイをするしかない。何の経験の蓄積もないから、適当なデマに食いついて、簡単に世界を理解したがる。それは本当の強さでも理解でもないから、悲劇なのかも知れない。コロナが収まった後も、彼らの単調な人生は変わることはないんだから。