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「ドロヘドロ」の現場スタッフが語る“3DCGアニメ表現の現在とこれから”【アニメ業界ウォッチング第64回】(■)
この取材は、僕がたまたまNetflixで『ドロヘドロ』を見て、MAPPAさんに問い合わせフォームから、直接取材を申し込んで実現したものです。
間に宣伝会社をはさむことなく、MAPPAの広報の方と取材方針を決めて、気持ちよく記事が完成させることが出来ました。
ところが、場面カットを使うために製作委員会各社の許可が必要で、その許可を得る段階で、さらに原稿が直されて、ひとつのエピソードが丸ごとカットされてしまいました。
直接インタビューしたスタッフの方が、技術的な言葉について修正を入れてくれるのは、かえって有り難いんです。
だけど、現場から離れれば離れるほど、誰がどういう意図で原稿に手を入れたのか分からなくなる。誰の責任なのか、分からなくなってしまう。アニメ業界に限った話ではないと思いますが、名前は出さないし責任も負わないけど「俺にも権利がある」って人が、最終的なクオリティに影響を与えてしまう。
他人に言うことを聞かせたり、他人をコントロールすることで仕事をした気になっている。そして、版権元に指示されると、フリーランスは次の仕事が無くならないよう萎縮して、唯々諾々と手塩にかけた原稿を修正してしまう。
そんな風に、誰もが仕事相手の顔色をうかがい、不快にさせないように失礼がないように、関係がギクシャクしないように、勝手に先回りして自粛してしまう。今も赤字が入って送り返されてきた原稿を見ているけど……、申し訳ないですけど、ビビりすぎ。
こうしてみんな、勇気を失っていく。自尊心を犠牲にして、安寧な力関係に屈服していく。
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“事務局からパブリックコメントの内容を口外しないよう通知があり、「情報が漏洩した場合、委員全員の連帯責任となる」旨の書類に署名するよう指示された”(■)
香川県のゲーム規制条例の記事より。
ゲームの良し悪し以前に、日本中の大人、みんなこういうノリでしょ? 「口外するな」「連帯責任」ばかりで、自分がダメージをくらっても誠意を貫こうという大人がいない。そのことの方が、子供に有害だよ!
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最近、DVDレンタルで観た映画は、ゴダールの『パッション』とイタリア映画『もうひとつの世界』。後者はぐっすり眠ってしまい、3割ほどしか覚えていない。
『パッション』は過去にも見た記憶があるが、今回は面白く見ることが出来た。
ビデオ映画撮影の舞台裏と、工場をめぐる社長と労組のいさかいがカットバックするが、ハリウッド的な明快なストーリーやテーマはない。構図やカットに、文芸的な意味が込められているわけでもない(というより、意味など読みとれない……だがしかし、どのカットも美しい。その美しさは劇的効果がピタリと決まったときの美しさとは違う)。
推測にすぎないが、ゴダールは劇映画を使って劇映画批評を行っているかに見える。『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』では、映画であることがバレるような演出をわざと入れて、劇映画が作り物であることを暴き立てた。
『パッション』はそこまで露悪的で分かりやすくはないものの、映画そのものによる映画批評が、さらに高度化したように見える。
少なくとも僕は、普段、どれだけハリウッド的に馴致された、定型的かつ限定的な映画ばかり見ているか実感させられた。
『コンタクト』のセリフ、「なぜ英語ではないのかね?」「英語を母国語としている民族は、全世界の3割にすぎません」というアレ。あの状態に、僕らは浸りすぎている。
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新型コロナウィルスの猛威で、欧州が大変なことになっている。それゆえか、アジア人に対する差別は後をたたないようだ。欧米人には、もともと手を洗う習慣がない、彼らは意外と不潔だとも聞く。
それを言うなら、こんな事態になっても尚、公衆トイレで手を洗わない日本人男性の多いこと多いこと……。小便をした生臭い手で、鏡の前でうっとりと髪をなでつけていたかと思うと、そのまま出て行ってしまう。そもそも、男子トイレの床は、わざとこぼした小便でいつでもベタベタに濡れている。
幼年期にうけた抑圧は、一生を呪縛するのかも知れない。親に怒られそうな悪いことを、こっそりやってしまう癖は、一生抜けないのかも知れない。
間違いを認めて引き返せる準備を、いつでもしておかねばならない。しかし、そこまでの勇気がある人は、とても少ない。多くの人は、頑迷固陋な偏屈な大人になるしかなく、早々と自滅していく。
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