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2020年2月11日 (火)

■0211■

昨日は、半日まるまるスタジオにこもって撮影で、体調が今ひとつなのにどうなることかと思ったが、照明の熱で体が温まり、思う存分にディレクションすることが出来た。
撮影のとき、僕は意図を端的かつ明確に伝え、良い悪いのジャッジを即座に下す。カメラマンさんが「結局どうしたいの?」「いいのか悪いのか、どっちなの?」と、ストレスを感じないように。そして、素材は多めに押さえておく。後からページをつくるとき、困らないように。
常に、次の工程を考えておく。素材が足りないなら足りないで、ではレイアウトで密度を出したらどうか? コラムを入れて、読ませる記事にしてはどうだろう? そんなことも、撮影の間に考えている。

ちょっと引いた位置から見ていると、最終イメージを決めずにその場の思いつきでジャッジして、後から困るパターンが珍しくないような気がする。
「最終イメージを持つ」とは、すなわち理想があるということだ。僕の場合で言えば、「このプラモデルは素晴らしいので、みんなに知ってもらいたい」「このアニメ作品は、取材して記事にする価値がある」、そのためにはどんな形が最適なのかを考える。それは、「少しでも世の中が豊かになるように」という思いがあるからだ。その思いは、どこからともなくやってきたのではない。若い頃に深刻な挫折や無駄な苦労を味わってきたから、いま、心の底からの確信として言葉に出来るのだ。
しかし、理想を実現するどころが、スタートラインにすら立てない人が、世の中の大半なのではないかと思う。


いい素材が手に入り、時間も思うままだ。あとは一人だけの作業なので、深夜にやってもいいし、朝早くやって、昼間は遊んでいてもいい。「すみません、明日朝イチで!」「なる早で!」などというバカな仕事から距離を置いても食えるように執拗に調整を繰り返した結果、こうして「自由な自分の時間」を持てた。「とにかく寝ないで作業していれば、いずれ終わるだろう」という、濁った水槽から脱け出せたから言えるのだ。
多くの人は、締め切りギリギリに動きはじめて、結局いつものようにバタバタで時間切れになり、「また駄目でした」「もう最悪です」と常套句を繰り返す。仕事の出来ない人は「えー、今回も酷いスケジュールでして……」と切り出す。そうなってしまう原因を突き止めて、根絶しようなどとは考えない。

だが、彼らのせいだけとは言い切れない。
中学校になると、中間テストと期末テストが訪れ、その間につめこむように勉強するスタイルを、僕たちは強いられる。日本人特有の「一夜漬け」「徹夜」文化を、定期テストで刷り込まれる。一種の洗脳だ。この時期、僕たちは「ギリギリで時間がない」「だけど徹夜して頑張った」という美意識を植えつけられる。「もう諦める」「駄目だったけど次がんばる」などの、くだらない根性論、しょせん本気ではない内容空疎な「やる気」もセットで。
14~16歳ぐらいは身体能力も高く、感受性も強い。そんな時期に「どれほど重要なのか自分にもよく分からない定期テストという課題」に向けて、「死ぬ気で頑張る」「間に合わなければ諦める」姿勢を覚えこんでしまう。
そして、周囲の顔色を気にする。隣の席が試験開始ぎりぎりまで参考書を開いていたら、自分にはそんな必要はないと心では思っているのに、同じように参考書を開くポーズをとる。同調圧力に屈していく。「思っていても口に出してはいけない」と、覚えこまされる。


日本の会社は、朝9時に一斉に始業する。だから、通勤電車がすさまじい混雑になってしまう。
なぜか、昼休みも12時から一斉にとる。必然的に飲食店が行列になってしまうのに、やめようとしない。こうして、「みんな」でイライラを蓄積して、「みんな」で耐えて一生を終える。「みんな」が見かけだけ取り繕うために、自分自身には無益なことを努力目標にするのは、小学校の組体操から始まっている。あれを美しい、と心のどこかで思いつづけている。

僕は打ち合わせや取材がないかぎり、毎日好きな時間に起きる。好きな時間に仕事して、二回ぐらい仮眠する。満員電車とは無縁の暮らしだ。
「ずるい」と思っただろうか? 原稿料のみで成り立っている暮らしなので、自尊心がある。
誰しもがこんな風に、自分の得意なことだけを生かしながら、楽しく毎日を過ごせれば、社会を建設的な方向へ改善できるんじゃないかと考えている。まずは「私は私、他人は他人」、この自尊心を獲得することだろう。

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