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2020年2月23日 (日)

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劇場版『Gのレコンギスタ』は、なぜ“わかりやすい”のか? 富野由悠季総監督に聞いてみた!【アニメ業界ウォッチング第63回】
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今回のインタビューは、最終的には実りの多い、内容の豊かな記事に仕上げられました。

ただ、いくつか問題点も感じました。『G-レコ』一作目のインタビューは、僕がしつこくサンライズさんに交渉して、取材日に時間をとってもらいました(その日は富野監督の単独取材が3件入っていました)。今回の二作目は、外注の宣伝会社が試写に呼んでくれて、「富野監督の取材も出来ますよ」と、声をかけてくれました。
アニメの場合、放送時や公開時にのみ関わる外部の宣伝会社が、インタビューをすべて仕切るパターンが増えました。ところが彼らにまかせておくと、他社との合同取材にされてしまって、「一社につき質問時間は15分」とか、機械的に決められてしまうんです。そんなんで、独創的な価値あるインタビューになりますか? 今回は、それだけは嫌でした。「富野監督の単独インタビューなら、ぜひお願いします」と、念を押しました。
案の定、僕のインタビューの後は、富野監督と荒木哲郎監督の対談(外部の宣伝会社から提案があった企画)で、二社合同取材でした。悪いけど、そんな状況で出来た記事は他媒体にも載るわけで、まったく面白くなりません。


なので、今回は「どうしても富野監督の単独インタビュー」とお願いして、良かったです。
ただ、富野監督は10分も遅刻してきたうえに、最初からムッとしてるんです(笑)。僕が何を聞いても、「(あなたの声が小さくて)聞こえない」「ぜんぜん違う」「間違ってる」って、そっぽを向いて答えるんです。まず、同席したバンダイナムコアーツの担当者たちに、富野監督はすごく文句があったらしい。完成したインタビュー記事でも、ポスターについて怒っている箇所が残ってるでしょ? とにかく、関係者が売り方について、ぜんぜん分かっていない。
それが理由で、富野監督が激怒しているのは、非常に理解はできます。だけど、僕もインタビューするプロなので、取材中は怒鳴らないでほしかった。「富野監督がそんな態度なら、今日は取材になりません」と、席を立とうかと思ったぐらい。だんだん、機嫌がよくなっていって、最後は満面の笑みになってくれました。僕の質問も、監督がムッとするほど的外れではなかったはずです。
頭ごなしに「リアリズムのことを勘違いしている」と言われましたが、僕はネオレアリズモ映画の代表作はすべて見ています。インタビュアーを、あまりにもバカにしすぎですよ。カットのことだって、僕は16ミリ・フィルムの編集経験があるので、分かっているつもりです。でなければ、カットワークについての質問などできません。

……まあ、「こっちはいつでも席を立つぞ」って態度になれたので、緊張感のあるインタビューになって良かったんですけどね。
ただ、富野監督も大人げないと思いました。バンナムの宣伝担当が、どれほど酷いにしても、僕には関係がないでしょう。


それと、僕がインタビューを記事にまとめた後のこと。
赤・青・ピンク・黄色で修正を入れられてしまって、いちど消した文字が復活していたりして、どこをどう直していいのか分からない。
これは富野監督本人だけでなく、関連各社の担当が順番に修正を入れるからです。そうやって手分けしてバラバラに修正するから、どこの誰に責任があるのか、分からなくなる。アニメの取材って、いつもそうなる。今回はマシな方だったけど、もう僕の書いた文章が半分ぐらい直されて、何が趣旨の記事なのか分からなくなってしまう場合もある(そういう場合、僕の名前は消してもらいます。記事内容に責任が持てませんので)。

日本のコンテンツの生産能力が劣化して、創造性が枯渇するのって、こういう主体性のないシステムのせいなんですよ。
僕の取材記事は、自分から立案して、自分で交渉して、たとえインタビューがメタメタであっても、立案したのは自分なんだから、ちゃんと面白く読める記事に仕上げられるんです。
だけど、関連会社が多すぎると、もう僕の企画意図から外れて、誰に責任があるのか、読者さんに何を伝えたいのか、まったく分からない原稿にされてしまう。アニメの場合、そんなのばかりですよ。宣伝を、アニメのことをまるで知らない代理店に丸投げするからですよ。

だから、何だか知らない広告代理店が仕切りはじめたら、僕は取材を取りやめます。ひどい原稿にされるのが分かっているから。それぐらい、アニメの広報って粗雑になっている。富野監督が激怒するのも、よく分かります。


で、製作委員会方式だけじゃないと思うけど、「ウチが全責任を負うわけじゃないけど、だけどウチにも権利はありますので」と、いびつな権利意識だけが肥大していく。コンテンツ・ビジネスで「公式」って言葉が、やたらハバをきかせてますよね。「公式が許可したからOK」とか、「公式ガイドブック」とか、変に権威的な意味をまとってしまっている。一緒に仕事している対等の相手に、やたら「様」をつけるのも同じだと思う。
ようは、「権利元に失礼だろ?」「ちゃんと“様”をつけろよ!」と怒られたくはないわけ。だけど、「ウチにも権利があるから言わせてもらう」と主張もしたいわけ。日本社会に特有の、自尊心の形成の失敗。
自分で主張できるだけの自信は、自分でトライして、自分で失敗しながら育てるしかないんですよ。なのに会社が保有している権威に頼ろうとするから、ちんけなサラリーマンとして控えめに威張るようなことになってしまう。

日本のコンテンツが弱体化しているとしたら、しなやかで強固な自尊心を、現場の人間たちが持っていないからですよ。
冒頭の、富野監督がバンナムの担当者に怒ったのも、彼らが心からの自信を持っておらず、監督の顔色をうかがいすぎなんじゃない?と、邪推してしまう。失礼ながら。うまく行く現場って、誰もが経験に裏打ちされた自尊心から意見を言う。だから、「アンタの言うことなら聞いてみよう」と、建設的な関係を築ける。どっちが上でも下でもないですよ。自尊心をもって仕事しているという点では、対等なんですよ。自信がないから、権威に頼るんですよ。
みんな、ビビりすぎ。楽しく、中身のある仕事ができるよう、自尊心を育んでください。

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