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「エクスカイザー」から「ダ・ガーン」まで……谷田部勝義監督が、30年前の「勇者シリーズ」の始まりを振り返る【アニメ業界ウォッチング第62回】(■)
サンライズさんからいただいた、完全独占インタビューです。監督は、このインタビューのために、足をお運びくださいました。僕も、十分に下調べが出来ました。外部の宣伝会社が何社も合同で取材させるパターンが増えましたが、それでは品質の高い仕事は出来ません。
月刊モデルグラフィックス 2020年3月号
●組まず語り症候群 第87夜
●模型で読み解く『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』延長版3
『この世界~』応援企画は、今回で短期連載終了です。最後は、フィギュア造形家、ペーパークラフトの作家さんたちにご協力いただきました。
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アンジェイ・ワイダ監督の遺作、『残像』をレンタルで。
片手・片足を失った知られざる画家、ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ教授の晩年を描いた映画。
冒頭、草原で若者たちが絵を描いている。画面右側に二人の若者がカンバスを立てて談笑しており、画面真ん中、奥からひとりの女性が歩いてくる。その女性の歩みだけが、「縦の構図」を描いている。このカットには静止と運動がある。ドラマを感じさせる。その女性は、やがて教授の弟子となる。
あるいは、教授が部屋で絵を描いていると、カンバスが真っ赤に染まる。つづいて、窓も赤く染まる。そういう演出なのだろうと思っていると、実は建物の外に赤く大きなレーニンの旗がかけられていると分かる。絶えず、フレームの中の情報が洗練された形で示されるので、緊張感が途切れない。
(劇中、教授がゴッホの『糸杉のある麦畑』をスライドに映しながら、画面が四分割されていると学生たちに説明する。ゴッホの絵を分析すれば、我々が視点を移動させながら風景を見ていることが分かるのだという。この講義だけでも、傾聴に値する。もし、こんな意識でアンジェイ・ワイダが構図を決めているとしたら、ますます襟を正してこの映画を見る必要があるだろう。)
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学生たちが、教授の部屋に集まってくる。教授は、「芸術も恋愛も、自分の力で勝負するしかない」といった話をする。
すると、冒頭の女学生の顔がアップになる。彼女は何か言いたそうだ。再び、教授の顔へとカメラは戻る。学生たちは談笑しながら、部屋を出て行く。女学生だけが教授のそばに来て、やはり何か言いたげに、しかし「失礼します」とだけ言って出て行く。カメラは、彼女の動きに合わせてPANする。それは、教授の主観カットなのだ。
教授に恋愛感情をもつ女学生だけを動かし、彼女だけをカメラが追う。それだけで、何の台詞もなくても、ドラマが生じる。もちろん、前後にピタリと静止した、落ち着いたロングの絵が必要だ。構図、被写体の動き、カメラの動きのみで、冷静に感情を描き出していく。それが、映画の機能だ。
確かに俳優の表情も素晴らしいのだが、それは演劇に属する部分で、映画の原理とは遠いところにある。台詞も同様。ロッセリーニの『戦火のかなた』もDVDを買って観たのだが、あまりの台詞の多さに唖然とさせられた。
唯一、黒人のMPがイタリアの貧民窟の惨状に言葉を失い、ジープで走り去るシーンが良かった。
だが、彼が無言で立ち去る直前には、泥棒の容疑をかけられた少年が「パパもママも爆弾で死んだよ。ドカン、ドカン」と擬音を発する饒舌さが欠かせない。
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先週月曜日は、Bunkamura ザ・ミュージアムの「永遠のソール・ライター」展へ。平面(写真)を平面(壁)に並べただけの展示。壁の三面に、時間差でランダムに写真が映される展示のみ良かった。今はスマホという平面が主流の時代なのだから、お金をとる美術館は平面に頼っている場合ではないと思う。
私のトークイベントは、ついに明日火曜日、28日開催(■)。
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