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2019年12月12日 (木)

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「マイマイ新子と千年の魔法」は、積み重なった世界を“鏡”で指し示す【懐かしアニメ回顧録第61回】
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10周年記念上映で観て、気になった「鏡」について書きました。
10年も経ったことだし、「初興行時には不入りで、熱心なファンが活動したおかげで……」といった枕詞は、今後は不要と思います。10周年記念でアートブックを作ることになったときも、「当時どういうことが起きたのか記録しておきたい」という案に、僕は賛成しませんでした。他の映画と同様、純粋に作品の価値だけで生き残っていってほしいからです。


最近レンタルして観た映画は、ロバート・レッドフォード監督『ミラグロ/奇跡の地』、フランシス・コッポラ監督『タッカー』、そして市川崑監督『現金と美女と三悪人』。
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『現金と美女と~』、これが圧倒的に凄い。タランティーノの原型みたいな感じ。
このバージョンは短縮版で、原題は『熱泥地』だそうだけど、ラストに地獄のような泥火山が出てくる。もちろん、本物ではなくて特撮。その特撮の泥火山が、ひとつの見せ場になっている。主人公の男とヒロインを追ってきた男が、馬からふり落とされて、泥火山に転落する。『ターミネーター2』みたいに、片手を伸ばしたまま沈んでいく。特撮としては稚拙な部類なのだが、表現としては破天荒で力強い。

つくづく、「泣ける映画」=「優れた映画」という考え方が、いかに狭量で偏向しているか思い知らされる。泣ける要素などひとつもなくて、ショボい銃撃戦や殺し合いばかりだし、ヒロインは変にエロいしドラマはないし、ミニチュアからマットペイントから、ヘンテコな特撮シーンが満載。だけど、その天衣無縫のムチャクチャさが“熱い”んだ。
冒頭が客船の中で(セットと特撮のみ)、途中から山の中に舞台が移るんだけど、狼が遠吠えしてるカットがある。明らかに、普通の犬なんだよね。笑ってしまうけど、だけど「これは狼なんだよ、本物なんだよ!」と映画が訴えているかのようで、かえって感動する。


カット割りも出鱈目で、ラストで主人公たちを追ってきた男が馬に乗っているわけ。馬の走る足と、乗っている男の顔がカットバックするんだけど、ぜんぜん繋がってない。俳優が馬に乗っておらず、スタジオでそれっぽい演技をしているのがモロバレ。だけど、そのほうが「意図」は強烈に伝わってくる。
黒澤明なら、何としてでも俳優を馬に乗せるじゃん? あとクリストファー・ノーランだとか、やたら現物主義だよね。本物の戦闘機を飛ばすと、映画の格が上がる、みたいな即物的な価値観。

だけど、そればかりが映画じゃないんだよ。低予算ゆえの事情が露呈しているからこそ、さっきまでセットだったのにカットが変わるとロケになったりするからこそ、現場の、生身の熱気が伝わってくる。きっと、企画の段階でも撮影現場でも、思うようにいかなかったんだろう。
思うようにいかなかった映画には価値がないの? 監督のイメージを完璧に再現するのが映画なの? 「完成度の高い」映画ばかり観ていると、歳とるのが早くなるよ。


友人とDMでやりとりしていて、たまたま、シュナムルさんの話になった。
彼は、自分から『魔方陣グルグル』の幼女キャラがアカウント名の由来だと告白しておきながら()、「主食はナムル」とか「朱奈」とか、由来を曖昧にして二次ロリコン疑惑から逃れようとしているよね。でも、彼が描く小学生の娘のイラスト()って、このキャラに似てない? 写真は一枚もなくて、奥さんも娘もイラストばかり。
しかも、奥さんは学者で料理が上手くて、娘は小学生で本を読むのが好きなんでしょ? 彼の知性に対する憧れが、イラストに仮託されているように思う。奥さんや娘にこうあってほしいのに、実際は奥さんはお笑い番組見てゲラゲラ笑っているし、娘はハナクソほじってる……って話ならリアルだし、そういう作り話が出来るなら、器がでかいと思う。だけど、理想を理想のまま絵にしてしまっている未熟さが、(嫌味でもなんでもなく)シュナムルさんの魅力だと思うし、そういう意味ではファンなのかも知れない。

Twitterでアベ政権や性表現、何かしらに対する不満を温存しながら悪態をついている人は、実生活に大きな欠損を抱えている。実際にアベ政権がなくなったり、萌えポスターがなくなったら、彼らは次のターゲットを探して、自分の抱えた欠損から目をそらしつづけると思う。「世界に対して恥だ」とか「日本は遅れている」とか、曖昧とした正論らしきものにしがみつきながら。
それでいいんだよ、それが人間だもの。彼らのことは、僕は本気で憎いとは思えない。

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2019年12月 4日 (水)

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昨日は雨が小降りだったので、国立近代美術館の「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」()へ。
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(スマホを忘れていったので、画像は公式HPより)
ご覧のように、前庭にコンセプトモデルを移設してまで、象徴としての「窓」、概念としての「窓」、モチーフとしての「窓」、物理的存在としての「窓」、古今東西から自由自在に作品を引っ張ってきて、展示方法も多様。「窓」以外の共通項がまったく無い奔放さが良かった。

途中、「西京国」という、架空の国へ行くための税関もあり、そこでは歌をうたうなり踊るなりしなくてはいけない。
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まあ、ちょっと学芸員の自己満足っぽいんだけど、他の展示もかなり好き放題なので、それほど気にはならない。……気にはならなかったのだが、一日たって考えてみると、作品の発想は浅知恵かな。歌とか踊りが平和の象徴とは限らない。

展示物のキャプションに、学芸員の個性や自説が出すぎてしまっている。こんな好き勝手な解釈を書くんなら記名でやるべきじゃないかと思うんだが、それも美術館の個性なのかな。学芸員の意図が見えないほうが、カッコいいとは思う。


映画でもそうなんだけど、「作品を見る」こととは、時間を止めて、自分を幽霊のように透明な認識装置にしたい願望と、表裏一体なのだろう。少なくとも、僕は作品を見ている間だけは肉体を捨てていられる。理想どおりではないこの肉体を、邪魔とも感じている。

映画といえば、黒澤明の『素晴らしき日曜日』。これも大学の授業で観たはずなのだが、すっかり忘れていた。
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ひとつだけ素晴らしいカットがあった。
沼崎勲と中北千枝子のカップルが、ささやかな楽しみを求めてさまよう。電車に乗って移動するシーンで、カメラは並んで座る沼崎と中北をティルト・アップで、足元から撮る。楽しくてソワソワしている中北が、足をパタパタと動かしている。そのまま楽しそうな二人の全身を下から撮って、カメラは二人の頭上へ。すると、そこではつり革が並んで、ゆらゆら揺れていた。
そのつり革の動きは、言うまでもなく二人の急くような期待、喜びを表現している。そのカットが見られたのだから、まあ良いじゃないかと思う。


1月28日(火)「対人恐怖症歴30年の独身中年男は、海外旅行でどんな目にあった?」
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こんなトークイベント、開催します。旅好きな方は、どうぞ。
写真をまじえた旅行記……ということになるんだろうけど、僕の場合、対人恐怖(というかパニック発作に近い)が海外旅行している間はほぼ治ってしまう……という点が売りで、おそらく「生き方」の話になるんだろう。 

でも、この「生き方」をテーマにする、言語化するってのが面倒を呼ぶのかも知れないな。
なんだか、僕の周りには上手く生きられてない人たちが、集まってきやすい気がしている。ネットでの僕の言動に意義をとなえてくる人は、勝手に僕を美化したり、いい加減な感情移入をしていると思う。俺は、俺のために生きている。誰かの期待にこたえるためじゃない。
この半年の間に、二人ぐらいの見知らぬ人に「あなたはあなたの人生を生きてください」とお願いせざるを得なかった。俺のことなんか気にせず生きてほしい。

僕は毎日、好きな時間に起きて、ほとんど一人で誰とも話さずに過ごしている。その贅沢な時間は、自分で手に入れた。友だちとワイワイやるだけが人生の成功じゃないよ。

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