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2019年10月27日 (日)

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片渕須直監督の「マイマイ新子と千年の魔法」を救った小さな映画館「ラピュタ阿佐ヶ谷」の支配人が10年前を振り返る【アニメ業界ウォッチング第59回】
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10年前、『マイマイ新子と千年の魔法』の上映回数が次々と減らされていく中、社会人でも見やすい夜の時間帯を設定し、映画にマッチした上映形態を模索してくれたラピュタ阿佐ヶ谷さん。石井紫支配人に、初めてインタビューしました。
石井さんが、クールといってもいいぐらい冷静に事態を見ていたことが分かり、かえってホッとしました。こういう落ち着いた視点があってこそ、『マイマイ新子』は延命されたのでしょう。
岩瀬智彦プロデューサーにも10年目にして初めてインタビューしましたが()、こういう、作品を素直に愛している作り手たちが、美談とは言い切れない苦い気持ちを我慢しながら、火を消すまいと努めてくださったのだと思います。

『この世界の片隅に』がヒットした時、名前の通った映画関係者の方が「『マイマイ新子』ってあんな傑作なのに、公開当時はどうしてヒットしなかったんですか?」なんて言っていたけど、「あなたこそ当時、どこで何してたの?」と思います(業界の中にいて、もし当時のことを知っていたら、ネットで広めるぐらいのことは出来たはず)。
他人の残した結果だけを受け取っておいて、「まあ、俺も当然、評価してはいたけどね、言わなかっただけで」的に後だしジャンケンするのは、非常にみっともない。
「すみません、公開当時は『マイマイ新子』の存在すら知らなくて」と言う人のほうが、むしろ有り難いです。当時の状況を正直に語ってもらった方が、後の人が歴史を知る手がかりになりますよね。粉飾して見栄をはるような人には、人知れず消えていく映画は救えないと思います。


コッポラ監督がマーベル批判のスコセッシ監督を擁護「嫌悪すべき」

このニュースを受けて、マーベル映画のファンが「コッポラなんて二流」とツイートしていて、ずいぶんと叩かれた。
その人が他人とやりとりしているツイートを読んでいたら、コッポラの映画は見るには見たけど、「面白くなかった」のだという。面白くないから、価値がない……まあ、一般の映画ファンなら、それで十分だろう。けど、映画評論家ですら、メディアでは「面白かった」「泣けた」レベルだよね?
自分が見てつまらなくても、その作品には価値がある。その価値を言い当てようとすると、他者の評価軸を受け入れざるを得なくなる。すると古今東西の本を読んで、多面的なものの見方を追求することになる。ぼんやりと目の前に飛び込んできた映画だけ見ていても、価値観は磨かれない。大ヒット作か、最新の映画にしか興味が向かわないようなら、かなり深刻な事態。僕も、うっかりしているとそうなってしまう。

「自分の快・不快以外の価値はどうでもいい」という人は、老いるのが早いと思う。萌えキャラがポスターに使われるたび、Twitterに愚痴レベルの批判を書いている人も、自分の快・不快だけで生きている。「泣いた」ことの気持ちよさを持って映画の価値に代えようとする態度も、僕からすれば同レベルだ。
それと、映画って時間芸術だから、またたく間に目の前を過ぎ去っていってしまう。僕は最近、30代までに見た映画をレンタルしてきて、50代の視点から見直そうと試みている。若い頃は経験不足で知識の裏づけがないから、浅い部分で理解しようとしていたんだと恥ずかしくなる。だから、一度見た映画の評価を、やすやすと決めないこと。100点評価で何点なんて書いてしまうと、そこで評価がフリーズして思考も凍結するから、本当にやめた方がいい。
でも、たいていの人は自分の価値意識が変化して、映画への評価がそのつど変わることの流動性に耐えられないわけ。そして、自分固有の、今日ただいまの価値意識を表明することは孤独なんだよね。俺は、その孤独によって得られる何かがあると信じている。自分の価値意識をバージョンアップするには、今日の恥に耐えるしかない。


最近見た映画は、レンタルでハワード・ホークス監督の『リオ・ブラボー』、ジョン・カーペンター監督の『ゼイリブ』。
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『ゼイリブ』は、初めて見た。主人公が非常にアクティブに動いて、自発的に宇宙人(かどうかも分からないうちに)をバンバン撃ち殺しはじめる。でも、見ている側は彼に「頑張ってもらいたい」と思う。少なくとも、彼がピンチになると「ここで死ぬなよ、生きのびろよ」程度には感情移入していると思う。
なぜなら、この流れ者の主人公は、最初の30分ぐらい、ひたすら町で起きている異常な事態を「見るだけ」だから。どんな映画でも事態に関与せずに「見るだけ」のキャラクターは、椅子に座って動かずに「映画を見ているだけ」の観客と同化する。『ダイ・ハード』の暴力的な主人公に感情移入できるのは、彼が人質が殺されるのを「見ていることしか出来ない」シーンがあったからだろう。

『ゼイリブ』に説明なく登場する重要な小道具は、サングラス。主人公がひたすら「見る」ことでしか、観客は事態を把握できない(なにしろ、彼の主観映像でしかドクロのような宇宙人を見る手段はないのだから)。第三者視点にカメラを置くと、そこには宇宙人は映っていないのだ。
この関係、この構造こそが『ゼイリブ』を独特の、他に類を見ない個性的な映画にしているのではないだろうか。その強い個性さえ認めることが出来れば、他の無理やりな展開など気にはならない。

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