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“やられメカ”から世界観を構築する――。出渕裕の仕事と美学【アニメ業界ウォッチング第57回】(■)
20年前に「東京ロボット新聞」で1回、「月刊モデルグラフィックス」で2回インタビューしたことのある出渕さんに、ご登場願いました。僕らの世代でいうと「ブチメカ」なので、徹底して敵側の話ばかり聞いています。
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月曜までに30ページほど書かねばならないんだけど、こういう時こそ映画を観なくては。
ウイリアム・ワイラー監督の『おしゃれ泥棒』、ロベール・アンリコ監督の『暗殺の詩/知りすぎた男どもは、抹殺せよ』。後者は凄い邦題がついているが、『冒険者たち』の監督作なので、男2人女1人のサスペンスフルで大人っぽい逃亡劇をたっぷり楽しめる。生ハムとワイン、釣りをするシーンもある。
しかし、ここではオードリー・ヘプバーンとピーター・オトゥール主演の『おしゃれ泥棒』に触れておこう。
1966年の映画で、何かアイデアに新味があるわけではない。後半、オードリーは「美術品泥棒」のオトゥールとヴィーナス像を盗み出すが、そのアイデアがとり立てて面白いわけでもない。だが、映画のほとんどでオードリーが右、オトゥールが左に立っていることに気がつくと、俄然、面白くなってくる。
オードリー演じる娘は何もせずブラブラしているだけだが、父親は凄腕の贋作画家だ。父と一緒に映るシーンでも、オードリーは必ず右に立っているか、座っている。オトゥールと一緒のシーンでも、2人はサッと身を交わして、結局はオードリーが右側に落ち着く。
では、いつオードリーは画面左側に来るのだろう? オードリーがオトゥールに銃を向けるシーンでは、彼女はほぼ左側に立っている。後半、ヴィーナス像を盗んでまで欲しいのか、と聞かれて「欲しい」と答えるカット、オードリーは左である。ラストシーンで、オードリーが初めてオトゥールに嘘をつくカット。オードリーは左だ。
ようするに、彼女がイニシアチブを握るシーンでは、彼女は左側にいる。
それ以外のシーンで左側にいるのは、父親かオトゥール、贋作画家と美術品泥棒、どちらも人を騙して手玉にとる役柄だ。気がつけばこの映画、オードリーは男2人にリードされるばかりで、自発的に動くことはない。彼女がわすがながらに主体性を発揮するシーンで、ようやく画面左側に立つ。
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以前にもこういう映画を見たぞ……と思い出したのが、ヒッチコック監督の『泥棒成金』だ(■)。
この映画では、泥棒のケーリー・グラントが画面左側を占めているのだが、グレース・ケリー演じる娘に翻弄されるうち、画面左の「優先位置」をどんどん彼女に明け渡していく。ヒッチコックなら、さすがに俳優がどちら側にいて、どちらへ向かって歩くか計算していただろうと思う。
11年後の『おしゃれ泥棒』が、『泥棒成金』を参考にしていても不思議ではない。それを裏づけるかのように、『おしゃれ泥棒』でのオードリー・ヘプバーンは、「ヒッチコック」というタイトルの本を読んでいる。……まあ、当時のヒッチコックは『サイコ』と『鳥』で、今でいうホラー映画の巨匠のような立場だったので、演出意図はまったく別のところにあるだろうとは思う。
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僕にとって「映画が面白い」とは、画面内の俳優の位置が決まっていたり、あるいは展開に応じてカメラワークや構図が変わったりすることであって、決して「物語」ではない。だが、映画の本質を「物語」にして、ラストシーンが「ネタバレ」するとかしないとか、伏線を回収できているかいないかを評価軸にした方が、観る側は「楽」なのである。
メディアに登場する映画評論家は、まず構図の話などしない。平然と「ネタバレ」がどうのと言うし、あっさり「泣いた」なんて言ってしまう。映画を語る言葉がどんどん痩せていくので、観客は3Dよりも4DXのほうが高級だとか、IMAXで見ないと迫力が伝わらないなどと、自分の体験した上映形式に優越感を見い出すしかない。
僕はつい最近、スマホの画面で映画を観て、ちゃんと面白いことに愕然とした。むしろスマホのほうが、構図をしっかりと確認できる。
スマホでもIMAXでも3Dでも、四角いフレームのどこに何が位置しているかは変わらない。フレームの中に時間があり、時間とともに情報が変化していく。それ以外に、映画を定義づける要素はないと思う。
もし映画の本質が「物語」なら、ゴダールの映画は「伏線も何もない、劣った映画」にされてしまう。
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最後に、またN国党関連の話題。この「さゆふらっとまうんど」さんがNHKの上田良一会長の会見に激怒している動画(■)。
俺が受信料を払いたくないのは、NHKという組織の愚鈍さ、無神経さ、公平さに対する関心の無さを知っているからだよ。「廣田さん、質問に答えてください」とか偉そうにコメント欄に書いてきた人(■)。そんなにNHKを必要と思うなら、あなたが高い受信料を払って支えればいいじゃん。
どうせ「みんなが平等に払ってるんだから、払うべきだー」程度にしか考えてないんでしょ? 本当の自由、リスクを賭けて自由を勝ちとろうなんて考えたことないんだろうな。俺をブロックしながら、そっちはこのブログを見放題、それこそ不公平じゃないのか? 恥を知れよ。
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