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ホビージャパン ヴィンテージ Vol.2 30日発売
今年2月の月刊モデルグラフィックス誌の『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は60ページほどの特集でしたが、作例が半分以上を占めていました。なので、僕が独力でつくったページは1/3程度で、あとは作例ページに入れるコラム類、その他、版権元さんとのやりとりを引き受けていました。
今回の『イデオン』は作例ページをのぞく約40ページをひとりで構成し、樋口雄一さんや湖川友謙さんのインタビューは自分でとりつけ、ランナー状態のキットの撮影も自分でディレクションし、次にはキットをすべて素組みして、二度にたわってスタジオで撮影してもらい、どの写真をどう配置するかページのラフを切り……と、アオシマさんの取材申請以外は、すべて自分でやりました。
何しろ、サンライズへのプレゼンも僕がやって、「まあ、廣田さんの著書的な扱いなら、何も口出ししませんよ」と(笑)、その約束は守られて、アニメ記事に付き物の「版権元からの理不尽な直し」は一文字もありませんでした。
アオシマさんの信頼も得られて、パーフェクトな仕事ですね。
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これが、僕なりの「模型誌」です。
【模型言論プラモデガタリ】でも『イデオン』を取り上げ、あの時の取材がベースにはなっていますし、表紙は【プラモデガタリ】会場に持ち込まれたタンゲアキラ氏の「作品」をそのまま使わせてくれってお願いしましたので、読者が参考にすべき「作例」とは違います。もうひとつの「作例」?には、僕はまったく関与していません。
模型雑誌が惰性のように続けている、「どんなスゴイ作品だったかストーリーとキャラ解説を少々」、「では後はお待ちかね、有名モデラーたちによる作例です、どーぞ」。さもなくば「監督のロングインタビューつけました、ここに正解が書いてありますよ、多分」といった、怠惰で無責任な誌面構成に抵抗があった……というより、いつまでそんなことやってんの?と、おそらく千人以上のアニメ関係者にインタビューしまくって、ここ数年はあらゆるジャンルのプラモデルを素組みして、模型メーカーにどんどん取材するようになった僕に、やることはただひとつでしょ?
アニメーションの構造と、プラモデル製品の構造に、関連性を見い出す。探す。検証する。理解する。
これは、アニメに詳しいだけじゃ出来ないんです。また、模型界の常識だけではアニメ媒体に深くダイブすることは出来ない。「作画」までは気づいても「演出」には踏み込めない。言うまでもなく「プラモもアニメも大好きです」程度では仕事、ことに新しい仕事はできません。
アニメとプラモの隙間を埋めるのであれば、紙媒体だって、まだまだ使えるじゃないか。作品数の豊富な80年代アニメなら、団塊ジュニア世代が支えてくれている。勝算はある。まだまだ、これからやること一杯あります。
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一昨日は、六本木の森美術館まで「塩田千春展:魂がふるえる」へ。
雑多な店舗が無秩序に散乱した、森タワーまで汗だくで歩いていく。1Fのチケットカウンターで国立新美術館の半券を見せると、200円引きになる。
まあ、それは有難いとして美術館へはどう行ったらいいの? なんとシティビューとかいう展望台と同じフロアにあるので、そっちの客と一緒にエレベーターに乗らないといけない。静かに美術館に行く客と、展望台へ行くノリノリの観光客がゴッチャ……で、まず気持ちは削がれるよね。
フランス料理を食べに来た客と、ホッピーとモツ煮を食べに来た客を混ぜてしまうぐらい、無神経だと思った。
美術館を出ると、展望台も見られる。景色は最高に素晴らしい。だけど、あちこち入っちゃいけないスペースがあって歩きづらいし、静謐な美術館を出てきた客に何を感じさせたいの? 国立新美術館は、そこまで考えてるよ。出口から外に出ると、空間が余韻になるんだよ。
森タワーの俗物ぶり、乱雑ぶりが、あれこれぶち壊しにしていく。
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それぐらい、塩田千春展は良かったんだけどね。作品の下をくぐったり、立ったり座ったりして眺められる広大なインスタレーション。単純に、「こんな何千万本の糸、どうやって展示してるんだ?」という驚きもある。赤は血管であり内蔵であり……という直喩が、僕のような無知にも優しい。
泥まみれの風呂で、ひたすら顔を綺麗にしようともがく映像作品も、学生時代に見た実験映像のようで気持ちよかった。映画館より美術館が面白い。毎週、どこかの美術館に行きたい。
六本木の裏手の、安い飲食店も面白いし……。
そして、昨日は全日本模型ホビーショーか! あれこれ「いつ出るんですか、これ欲しいなあ~」などと下品に好き放題を話した後、「連載見てますよ」「本読みました」と言われて、ドキッとすることが何度かあった。取材の成果は、また後日!