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2019年7月 9日 (火)

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昨日は、六本木の国立新美術館の、クリスチャン・ボルタンスキー展へ行った。
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ボルタンスキーについては、何も知らない。20代のころ、雑誌『夜想』か何かで、死者を祭った祭壇の作品を見たおぼえがある程度。名も知れない人々のモノクロ写真を集め、電球で囲み、錆びたブリキ缶を積んで祭壇にする。何の説明もなくても、そこから静謐な死を感じずにおれない。
特に気に入ったのは、三脚にランプとコートがかけられた『発言する』という作品だ。ランプの下に行くと、コートの中に仕掛けられたスピーカーが反応して、「怖かった?」「あなたは、風になったの?」など、英語と日本語で聞いてくる。彼らは亡霊ではなく、むしろ生者が僕という死者に、死の瞬間について質問しているのだと気づき、これはヴァーチャルな臨死体験なのだと分かってくる。(上の写真で、やや右側に黒い人影が見える。それが『発言する』だ)


見知らぬ人々の古い顔写真をあしらった祭壇やヴェールなどの儀式めいた、宗教めいた展示物の中、心音や風鈴の音を聞きながら歩いていくのは、まるで墓参りのようだった。
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「出口」という事務的な標識が見えたとき、「ああーっ」と声が出てしまった。それほど没頭していたし、自分の記憶や身体を意識して、鋭敏になってもいたし、心地よくもあった。展示方法や照明について、また現代美術特有の難解さを批判する気は急速に覚めていった。
出口のあたりで、女性が連れの男性に「地下一階で、ボルタンスキーのドキュメンタリーを上映中、1時間だって」と話しかけていたので、迷うことなく地下へ直行した。バラバラの向きに椅子の置かれた休憩スペースで、そのドキュメンタリーはテレビモニターに、エンドレスで上映されていた。最初から最後まで観ていたのは、僕ひとりであった。撮り方や編集の工夫された、非常に優れたドキュメンタリーだった。

ボルタンスキーの父親はパリ解放まで、地下室で二年間暮らしていた。ボルタンスキーは終戦間際に生まれたが、あまりにも異常な家庭で育ったため、アルバムには友達の写真を貼って、自分の人生を互換性・普遍性のあるものへと組み替えた。名も知らぬ死者たちの遺品を買い集めて、すべての人生と死を等価に扱った。
ボルタンスキー自身の言葉でそう語られると「ああ、やっぱりね」と納得するのだが、作品を見れば、そのコンセプトは理解できてしまう。その伝達力が凄い。

つくづく僕は、名画が壁にかけられ、制作年やマテリアルの記された小さなプレートを頼りに順番どおりに歩く展覧会が退屈で嫌いで、「自分の感性」のみで「作品から何かを感じとる」、その俗物根性を軽蔑しているのだと、あらためて分かった。
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ボルタンスキー展の感想を検索すると、やっぱり「現代アートを見ている私ってカッコいい」と言わんばかりの俗物はいるんだけどね。アートオタクというか、本当は向上心なんかなくて、ただ低俗な自分を糊塗するために「アート」って口にする連中。若いころの僕もそうだったが、50代をすぎた今は自分を誤魔化す余裕なんてない。良くなかったものを「良かったよ」なんて言っている時間なんてない。
そして、この歳になってボタルンスキーを知ったところで、決して遅すぎることなんてないのだ。


「泣けたかどうか」で映画の良し悪しを判断する風潮はすっかり定着したが、最近は「伏線を回収できているかどうか」が、優れた映画の判断基準らしい。学校のテストや受験勉強で「考える」能力を蕩尽しつくしてしまった僕らは、表現物に「回答」があると信じ込んでいる。期末テストの答えを先に知ってしまうのと同じ次元で、「ネタバレ」という概念にすがっている。「ネタ」とは映画の面白さの「回答」であり、それが「バレ」てしまったら映画鑑賞が「答え合わせ」になってしまうと、本気で信じている。
そして、「ネタバレするから言えない、言わない」は意志を放棄し、コミュニケーションを断絶させる態度だ。「言ってはいけない」「言うべきではない」……今の日本を窮屈にしている倫理的病理。主体性を放棄しながら、相手の発言や行動だけはコントロールしたい、虚無的な欲望。僕たちは今よりもっと無気力になって、感動する力を失っていく。

映画を知りたければ、「感性」なんてものにすがってないで、図書館で映画の本を探してほしい。くだらないライターが刹那的に書いたレビューなんかじゃなくて、何十年前の本であっても、専門家が研究した本から手がかりを見つけてほしい。不思議なことに、求めている時には、思ったような本が手に入る。
そして、何となくでいいから、系統だてて映画を見る癖をつけてほしい。20代の僕は、淀川長治が選んだ戦後からの年間ベスト10を、とにかく片っ端から見て、リストに印をつけていった。淀川長治が優れているからじゃない、とにかく何か、映画を見るための指針が欲しかった。ぼんやりと感覚だけで映画を見ているのが、怖くなったんだ。

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