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2019年6月 7日 (金)

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ようやく時間ができたので、『きみと、波にのれたら』のマスコミ試写会へ。試写会へ二度以上も足を運ぶなんて、それこそ『マイマイ新子と千年の魔法』以来ではないだろうか。
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隣に女性が座ったのだが、映画が始まって30分ほどで鼻をすすりあげはじめ、とうとう映画が終わるまで泣きっぱなしであった。確かに前半、主人公の女子大生と若い消防隊員がぐんぐん仲良くなっていく描写には、不思議と胸がしめつけられる。「自分にもこういう過去があった」とか「こういう恋愛に憧れる」ってことではない。理由が分からないので、戸惑ってしまう。
ティザーにも使われている、主役2人が鼻歌のように主題歌をうたう、あのBGMが効果的(……って、何に対してどう効果的なのか?)なのは、間違いない。
だけど、こんなにもシンプルでストレートな恋愛モノに、どうしてもこうも惹きつけられているのか、まるで説明できない。少なくとも、「感情移入」なんていう、くだらない気持ちではない。


たった4人の登場人物たちが、「私は将来こうなりたいから、だから当然、今はこうしてるわけ」とそれぞれ自立していて、変なことをしているときは「変ですよね」と気まずそうにする、感情的にならないところに好感がもてるのかな。あと、自分の胸のうちを、くどくどセリフで語らない。
だからこそ、あれこれ片づいた最後の最後に、主人公がひとりで泣くところがいい。あそこで泣かなかったら、映画が終わらない。その冷静な判断は監督か脚本家か、誰の功績なんだろう……。


Twitterで、実写版の『デビルマン』を原作ファンに薦めたところ、場の空気が悪くなったことを面白げに書いている人がいた。
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2017年にも、『デビルマン』をネタにしたツイートがあった。「サンドバッグにしてもいい、ひどい出来の映画」としてネタ化しているのは知っているし、無理ないなとも思う。だからといって、嵩にかかって『デビルマン』を力まかせに殴りつけたり、「あのシーンが意味不明」「あの演技が酷かった」と溜飲を下げている人たちはみっともないというか、「あんまり沢山の種類の映画を見てないんだろう」「経験不足だから仕方がない」と覚めた目で見てしまう。
彼らは最新のハリウッド超大作、ようするにSF映画、ヒーロー映画、アクション映画、戦争映画しか見てないんだと思う。邦画ではせいぜい、アニメと怪獣映画と特撮映画だけにしか興味がなくて、「好きな映画だけを見るのは当然、何が悪いんだ」って開き直ってるんでしょ?
実際には多様なジャンルの映画を見ているとしても、『テビルマン』を袋叩きにしている時点で、「ああ、ろくすっぽ映画を見てない例の低レベルな人たちね」と僕は見なす。「百点中2点」だとか、減点法で優劣をつけられると頑なに信じている「映画通」の皆さんね……と。


レンタルしてきた『我等の生涯の最良の年』が退屈だったので、十数年ぶりにNetflixで『デビルマン』を見ることにした。
那須博之監督といえば、僕が大学のころは『ビー・バップ・ハイスクール』がヒットしていて、映画館まで見に行ったことがあった。あとは『紳士同盟』『新宿純愛物語』……と、東映にとりこまれた人だと分かる。『デビルマン』で商店街の屋根が出てきたとき、「ああ、やっぱり那須さんの世界だな」と、ちょっと笑ってしまった。この監督は悪魔だとか世界の終わりだとか、興味ないんだよ。誰かが無理強いしたんだよ。

実写『デビルマン』の路線は、同じ東映の『最終兵器彼女』へと引き継がれる。『最終兵器~』では、僕は監督から脚本の修正を頼まれたので、どんなに酷い制作状況か聞いている。脚本は、僕の直した通りにはならず、酷い部分は酷いままだった。監督から聞いた話で耳を疑ったのは、「撮ったおぼえのないシーンがあった」こと。もちろん思ったような作品にならず、監督は人間不信に陥り、丸十年間、映画を撮れなかった。病気療養のような状態だったと思う。
制作体制がグズグズだと、映画って、演出や脚本以前の段階で空中分解してしまう。映画評論家って、そういう事情を知らないし伝えないから、観客は「監督が悪い」「俳優が悪い」と思いこんでいる。プロデューサーを責める人なんて、ほとんどいないよね。マスコミも、プロデューサーにはめったに取材しない。
プロデューサーだけでなく、関連企業の無理強いもある。よほどの低予算でないかぎり、キャスティングだってスタッフィングだって監督の思うようにならない。何しろ、『最終兵器彼女』には監督が撮ったおぼえのないシーンが存在するんだよ? 『デビルマン』の制作状況がどれほど劣悪なものだったか、想像つくだろう。

「個性的な映画は、個性的な現場からしか生まれない」、これは押井守監督の言葉だけど、悪い意味でも現場がすべてなのだ。「才能」なんかじゃなくて、「現場」の「実務」次第で良くも悪くもなるのが映画。


そんな制作サイドの事情は観客には関係ない? お金を払ったんだから文句を言う権利がある? 無知でいたければ、それはあなたの自由だ。

『スター・ウォーズ』エピソード1が公開された1999年、ある雑誌の編集者から「ライター仲間で今年の映画ベストワンとワーストワンを決めている」と連絡があった。「廣田さんは、どの映画が良かったですか?」と聞くので、エピソード1と答えた。「えっ、マジですか」と、相手は苦笑した。「みんな『マトリックス』をベストにあげてますよ? 『スター・ウォーズ』はワーストなんですけど、本当にいいんですか?」と言われて、どうも集計されなかったようだ。
『マトリックス』が好きな人はそれはそれでいいんじゃないの、とは思う。たとえ世界の全員が『マトリックス』を嫌いでも、あなた一人だけは好きでいつづけるよね? だって創作の世界って自由なはずでしょ? 映画の出来不出来なんて数値化できない、だからみんな「泣いた」って書くんでしょ? それぐらい、創作物への評価って流動的なんじゃないの? 俺は『マトリックス』が好きではないけど、20年前に見た『マトリックス』と明日見る『マトリックス』は違うんだよ。映画は時間芸術であって記憶しておくしかないから、見る年齢やコンディションによって印象が変化する。それを「評価」としてアウトプットするのは至難の業で、だから5点評価が重宝されるんだよ。
僕は明日やってくるかも知れない未知の価値観に対して、謙虚でありたい。自分の心にどんな変化が起きても、落ち着いて受け入れたい。だから、クソだのカスだの最悪だのと決めつけないんだ。『デビルマン』をクソだカスだ最悪だと決めつけているあなたは、明日やってくる変化に耐えられない、したがって今より賢くなることはない。僕があなた方を「ああ、例のつまんない人たちね」と一蹴するのは、そういう理由からです。

十年ぶりに『デビルマン』を見ていて、阿木燿子のお母さんが宇崎竜道のお父さんに「浮気したことある?」って聞くでしょ。オイオイ周囲に暴徒が迫ってるのに、そりゃないぜって思うんだけど、今回はグッときた。俳優が真剣に演じると、メタクソな脚本の意図を凌駕することがある。
現場はメチャクチャな環境だったに違いないけど、一部の俳優たちは何とか表現として成立させようと頑張っている気がして、そこに感動させられた。たとえ50年前、60年前の作品だって、映画は生きているんだ。

(C)2019「きみと、波にのれたら」製作委員会

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