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アマゾンプライムで借りて観たドキュメンタリー、『VHSテープを巻き戻せ!』……甘酸っぱくも、厳粛な気持ちにさせられる映画だった。
誰もが、時代の流れとともに確実に何かを喪失していく。喪失にどう対峙するのか。別れを惜しむだけなのか、物理的手段で喪失を最小限度に押しとどめるのか? 根性と気合だけでは何も出来ないぞ、と言われたような気もする。
インターネットをはじめて間もない20年前は、僕はもっと喪失と正面から向き合っていたと思う。僕はもっとナーバスで、ちょっとしたことでよく泣いていた。
『VHSテープを巻き戻せ!』は、フィギュア・ブームの渦中に製作された劇映画『ブリスター!』のエンドロールに付け加えられたコレクターたちのドキュメント・パートを思い起こさせる。僕も、『ジャイアント・ロボ』のジャンボ・フィギュアと一緒に出演している。あのフィギュア・ブームのことなら、まだまだ現実に書き残せるチャンスを用意している。
だけど、「あれだけお世話になったVHSテープのことはどうするんだ?」と、もし聞かれたら……。以下、思いつくままに書く。
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僕が15年ほど前まで運営していた80年代オタク文化サイト『メガ80's』を覚えている人は、世の中に数人ほどだろう。今はテキストも画像も何も残っていない。
そのサイトの中に「ダニメ・ライブラリー」というコーナーがあり、当時100円均一で古本屋に売られていたOVA、学習雑誌のオマケVHSに収録されていた探偵推理アニメ、児童向けの気色悪い童話アニメ、とにかく何でもいいから知らないアニメを再生して、ひどい部分は容赦なく笑いながら、それでも手のひらに零れ落ちずに残った「価値」を何とか言語化しようと試みた。
『動画王』を発行していたキネマ旬報社に書籍化の話を持っていったら、担当者は「ああ、『超クソゲー』のアニメ版みたいな感じですね」と即座に分かってくれたが、会議で却下されたそうだ。その後、80年代マイナーOVAのレビュー本が出るには出たが、今の世相を反映して版権元やら原作者やら関係者やら……に気をつかいまくった大人しいレビューばかりで、何ら新しい価値を提示できていなかった。
みんなが目に見えないトラブルを勝手に避けまくった結果、もしかすると手に触れられたかもしれない奇跡のような感触を取り逃がしている。だから、最高のオーガズムを未経験の童貞・処女のまま、「まあ世の中こんなもんだろ」と白けきって育った大人たちが、「傑作」とか「名作」とか乾いたスシネタみたいな飾り言葉を並べ、若い人たちはパサパサの寿司の味しか知らない。
それが本当の喪失だ。VHSでしか販売されなかった無数の低予算映画を救うのは、新しいフォーマットよりもまず、価値をかぎ分ける嗅覚なのだ。鋭敏であれ、ずる賢くあれ、スケベであれ、清濁を併せ呑め、なおかつ誰よりも謙虚で誠実であれ。
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今の絶対的貧困は、何よりジョークが通じない。
80年代、それこそレンタルビデオ屋と自主映画作家が誰よりも冒険心に富んでイキっていた時代、どこかで映画レビューの同人誌を見つけた。『鉄男』のレビュー記事に、監督やキャストたちに向かって「この金属フェチのド変態ども!」と書きなぐってあり、それが誉め言葉であることは『鉄男』見た人なら分かるはず。今、それが通じない。「ド変態なんて書いたら、監督や俳優が気分を害するからナシで」と、けっこう本気で言っているのだから怖い。
名作、傑作という言葉の使われ方の軽さ。
ドブを掃除したら、真珠も一緒に流れてしまう。汚い言葉が汚いのであれば、綺麗な言葉は綺麗のままだ。それでは足りないから、言葉があり、知性があるのに。
若い人がさ、「爆発がいっぱいあって、バズーカ砲とかガンガン撃つ頭の悪い映画がいい」とか言ってるけど、でも君が言ってるのってデジタル3Dとか4DXで、ネットから座席指定できる安全な映画のことだよね?
この『VHSテープを巻き戻せ!』の中に、『アラビアのロレンス』が、映画館で繰り返し上映されていた頃の話が出てくる。スプライサーによる編集の痕跡、フィルムのエマルジョン面についた傷、それぞれが物語である。
そして、上映中、「必ず何かが起きた」という証言。「何かが」と言っただけで、分かる人には分かるよね? パーフォレーションが壊れていて、フィルムが流れてしまうとか、音が出てなかったり、2コマ同時に映写されたり、リールのかけ間違いで順番がメチャクチャになっているとかさ。平然とタバコを吸うジジイ、映画にファックシーンが出てくると一緒に腰を降りはじめる温厚そうなオジサン、カメラの三脚を立てている映画泥棒、誰に対しても気をつかわなすぎる傍若無人の観客ども。あのニコチンの充満した、アンモニア臭い空気の中でしか育たない知性があった。
僕が忘れかけていたのは、そういう種類の、いわば犯罪めいた領域に属する知性なのだ。「犯罪めいた」と書いただけで、ネットではただちに犯罪を示唆しているとか言われて通報されかねない、そんな世界になってしまった。
で、あなたは本当は何を喪失したの? 股間に手をあてて、よく考えてみよう。
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この映画にはアダルトビデオがホームビデオで撮られはじめた時期の証言も出てくる。「ビデオの画質は、覗き見している感覚。見てはならないものを見ている気分だった」……18禁ビデオを見て、背徳的な気持ちになったことのない男に、生きる価値はない。
京王八王子駅近くのレンタルビデオ店には、手作りパッケージの怪しげなアダルトVHSも隅っこに並べられており、中身はダビングにダビングを重ねた割と合法的なアダルト物なのだが(いやダビングしている時点で違法だが)、盗撮したような不鮮明なモノクロ写真をコピーしてマジックで着彩したパッケージの醸すイリーガル感、あれを手にしてレジに向かうときの後ろめたさ……ああした、おいそれと人には言えない臭気ムンムンのありふれた非合法的な体験の欠片こそ、明日のための糧だ。
「まるで、地球がゲロを吐いたみたい」……VHSテープの山を目の前にしたビデオ収集家の青年が、陶然と呟く。映画『VHSテープを巻き戻せ!』の中でも、美しいシーンのひとつだ。
汚物にまみれた、泥だらけの朝。二日酔い、完全に無駄に終わる一日。誰からも見放された、空っぽの日々。そこから何か掴みだそうとすることは、危険ではある。だけど、言論も表現も、危険を承知のうえでのことじゃなかったのか? とっくに覚悟してたはずだよな? 無駄に終わるかも知れない、恥をかくかも知れない、だけど、本当に「中身」を失うよりはマシだ。そういうことだったんじゃないのか? いつの間に、人目だけを気にする俗物に成り下がったんだ?
(C)Imperial Poly Farm Productions
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