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2019年4月18日 (木)

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先週末から観た映画は、レンタルで『リバー・ランズ・スルー・イット』、ゴダールの『軽蔑』、上映終了間際だというので、新宿のTOHOシネマズで『スパイダーマン:スパイダーバース』。
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『軽蔑』の劇中、ロッセリーニの『イタリア旅行』を上映している映画館が映る。ゴダールは『イタリア旅行』に決定的な影響を受けて作家になったので、「せめて『イタリア旅行』ぐらい観てくれないと、俺の映画は理解できないよ」と示唆しているかに見える。『軽蔑』には、『メトロポリス』のフリッツ・ラング監督も登場し、ゴダールは劇映画の形式を借りながら映画論を展開しているのだと思う。
つまり、劇映画の中には「最低でもコレとコレを踏まえておかないと、さっぱり価値が分からない」タイプの作品がある。いきなりヌーヴェル・ヴァーグを観ても、素人の撮った下手くそな自主映画にしか見えない。なのに、大多数の観客は徒手空拳の「感性」とやらで「どれほど泣けたか=感動したか」によって全映画を等級づけようとする。

映画に限らない。「難しいことはよく知らないけど、とにかく私の感情だけは絶対に正しい」と確信するポスト・トゥルースの傾向が、僕は怖い。大震災……というより、原発事故以降、事実を無視して感情を最優先する態度が、社会の根底に大きく横たわっているような気がする。


「正しさ」は、もはや知識でも文脈でもなければ、観察や議論の中にすら存在していない。個々の「感情」がすべてだ。原発事故のとき、福島で子供が亡くなったというガセネタが流れた。「だから逃げろと言っただろうが!」と、Twitterで激怒している人が大勢いた。なんだか、「そのニュースを待ってたんだ!」と、嬉々としているように見えた。原発事故で子供が死ねば、自分の怒りに正当性が加わるからだろう。
同じころ、「放射性物質は地面に溜まるそうだけど、犬を散歩させても大丈夫なんだろうか?」というツイートがあった。即座に「関東では、飼い犬が血のオシッコを流しながら死んだそうだ」と答えている人がいたので、「どこに出ていたニュースですか?」と聞いたら、何も答えずにツイートを削除してしまった。ようするに、「放射能は危険だ」「関東から逃げろ」と言いたいがために、空想の犬を空想の中で殺す。彼らにとっては、原発事故も放射能被害も子供や動物の命も、怒ったり嘆いたりするための娯楽ネタなんだな……と、呆れもしたし慄然ともした。

僕は、自分のマンションのベランダの汚泥を測定してもらったり、汚染の基準値を超えてしまった食品会社の対応を、電話やメールで追いかけたりした。
汚染米を出荷したため、営業停止になった米屋に行ってみたこともある。子供用の可愛い三輪車が置いてあるのを見て、なんだか怒る気持ちが薄らいでしまった。
自分の足と目で本当のことに触れていかないと、怒ることは出来ない。なぜ怒るかといえば、それは間違いを正して改善したいからだ。ところが、事態の改善などどうでもよく、怒ることや泣くことの気持ちよさに流れさている人たちが、思ったよりも多いことが分かってきた。


ルパンの愛車「フィアット」公式が感謝のツイート

このニュースも、同じことだ。FIAT JAPANが、『ルパン三世』の原作者、モンキー・パンチさんの死に便乗したツイートを行った。
ちょっと詳しい人なら知っていると思うが、フィアットをルパンの愛車に設定したのはピンチヒッターとして演出に加わった宮崎駿さんたちによる勝手な選択だ。僕は原作漫画は少ししか読んでいないが、宮崎さんのエッセイ集『出発点』にアニメ版『ルパン』の愛車をベンツSSKからフィアット500に変更した個人的動機が、克明に書いてある。1996年の本だ。
しかし、ツイートに群がって「ルパン大好きです!」「フィアットもいい車です!」と感情を吐露したいだけの人たちは、事実なんぞ知ったこっちゃないのだ。FIAT JAPANに問い合わせようかと思ったが、彼らは愚民たちを「フィアット、いい車です!」と躍らせたいのだから、遺族にはもちろん、版権元にも承諾を得て、あえて事実に反するツイートを行った。開き直っただけだろう。でなければ、トムス・エンタテインメントあたりが止めているはずだ。

何年か前からささやかれるようになったという、『機動戦士ガンダム』劇中の拡大解釈()もそうでしょ? 「富野監督、凄いです!」って言いたいだけ。
さらに、『ガンダム』オープニングの太陽の光を「スペースコロニー落下の爆発」と捉えた人がいた。「解釈は多様であっていいはず」といった苦しまぎれな言い訳を目にして、苦笑してしまった。反骨精神の塊だった『ガンダム』も、年寄りが酔っ払って歌う懐メロになったのだ。大衆に浸透して俗化して、役割を終えたのだ。こう書くと「また廣田がガンダムの悪口を書いてる」と言われるだろうが、無理して持ち上げるほうが、よっぽど作品を貶めているのではないだろうか?
知り合いの編集者が、かなり本気で「ガンダム世界をテーマにした老人ホームをつくれば、20年後には大儲けできる」と語っていたけど、なかなか良い勘をしている。イヤな発想だけど、商売としては正しい。


「映像作品の解釈は多様でいいはず、人それぞれ」という無責任な言い訳を鏡に映すと、「ネタバレ厳禁」になるのではないだろうか。
「映像作品には、それを事前に知ってしまうと価値の失われる弱点がある。それはおそらく、ラストシーンであろう。よって、ラストシーンを先に知った自分にはアドバンテージがあり、まだ知らない人に教えるのはマナー違反だ」……怠惰でいながらにして優越感を得ようとすると、こういう発想になる。
来週の『ガンヘッド』のイベント()のために、30年前のキネマ旬報を買い集めているが、当時の映画雑誌にはラストシーンまであらすじが書いてあり、公開前のシナリオが丸ごと掲載されていたりした。僕らは、この30年の間、進化できたのだろうか? なぜ、こうまで「怒った」「泣いた」を優先させるようになってしまったのだろう?

© Courtesy of Rialto Pictures.

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