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2019年4月13日 (土)

■0413■

レンタルでクリント・イーストウッド監督の『パーフェクト・ワールド』。1993年、大学を出て数年、映画を一日に何本も観まくっていた時期、すっかり観た気になっていた。初見のはずだ。
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ラスト近く、銃を外して脱走犯(ケビン・コスナー)との交渉に向かった警察署長(クリント・イーストウッド)の後ろ姿が映る。彼が腰につけている空のホルスターが、チラリと見える。同じカットで、ローラ・ダーンの演じる秘書が歩いているのだが、彼女は手にサングラスを持っている。一瞬、それが銃に見える。
おりしも、脱走犯が銃を持っているかどうか、登場人物たちが懸念しているシーンの直後だ。銃に関するセリフが頭に残っている状態で、空になったホルスターとサングラスを見せられると、サングラスが銃に見えてしまう……これは単なる錯覚で、演出効果ではない。しかし、意図していない偶然も含めたところで、僕は映画を語りたい。それほどの時間が、人生に残されているかどうかは別として。


いつものように、印象に残った演出の話をしよう。
刑務所を脱獄したケビン・コスナーは、一緒に脱獄した相棒が押し入った家の子供を人質にして、逃避行する。冒頭20分ほどで引き込まれるのは、子供が助手席に座っているだけで「何も出来ない」からだ。座っているだけで何も出来ない人物が登場すると、観客はジッとスクリーンを見つめているだけの自分を、その人物に憑依させることで映画に没入できる。

人質にされた子供は逃げ出して、性根の悪い相棒は、畑の中へと子供を追いかける。ケビン・コスナーの演じる善良な主人公は買い物をしているので、子供を助けにいけない。
「早く子供を助けないと、悪い相棒に捕まえられてしまうじゃないか!」と焦りはじめたところで、主観カメラとなる。カメラは、畑に隠れている子供へ手持ちでグーッと寄っていく。それは相棒と主人公、どっちの視点なのだろうか? どっちが先に子供を見つけたのだろう?
情報を瞬間的に遮断することで、観客に謎をかけ、軽度のストレスを与える。ヒッチコック的とも呼ぶべき、オーソドックスなサスペンス演出だ。しかし、最近の映画ではこうした手堅い演出を、滅多に見かけない。映画に興味を繋ぎとめるための、シンプルで力強い武器だと思うのだが……。 


演出ではないが、心をつかまれたセリフがある。
逃避行をつづける主人公と子供は、すっかり擬似親子となって、洋品店で服を買う。店員の女性たちは、どういうわけか満面の笑みで彼らを迎える。「どうして、そんなに愛想がいいんだ?」と主人公が聞くと、店内では笑顔コンテストがあって、いい笑顔をしているとボーナスが出るという。主人公は、その女性店員にチップをやる。
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ところが警察のパトカーが追尾してきていて、店の周囲で派手なカーバトルとなってしまう。主人公を脱獄犯と知った女性店員たちは、大声で口汚く彼を非難する。彼は車を爆走させながら、「オイ、笑顔はどうした?」と皮肉を言う。この粋なセリフには、血が沸騰した。

この映画には、泣かせどころがいくつかある。たいてい、沈痛な面持ちの人物が、座ったまま語るようなシーンだ(座ったまま語る……これも感情移入を促す常套手段)。まあ、それらはあってもなくってもどうでもよくて、泣きたい人は勝手に泣けばいい。
僕は、つくり笑いをしてご機嫌とりをしている社会人たちを、はみ出しものの脱獄犯が乱暴に裏切って「お前ら自慢の笑顔はどうしたんだよ?」と嘲った瞬間、ただひたすら走り続けるフィルムの運動、原理が露呈したような気がして、爽快だった。映画の実体は、間欠運動を続けるフィルム……いや、運動そのものが映画じゃないか。


性犯罪について、ここ何件も無罪判決が出たことを受け、性暴力反対のデモが開催されたという。
Twitterでは「性暴力の無罪判決の撤廃を求めるデモとは、とんでもない」「いや、そんな趣旨のデモではない」と論争が続いていたようだが、主催者は当初、「無罪判決は許さない」と記していた()。批判を受けて、「不当判決は許さない」と書き換えたようだ。
そうした不誠実さは、まあ大目に見ていい。性暴力そのものへの反対や厳罰化なら賛成するし、日頃から女性が不当な立場に置かれていると感じてもいる。
ただね、俺が驚いているのは、デモに対するTwitter上での批判を、参加者がいちいち気にして、批判者に論争を挑んでいるところ。僕も反原発デモには何度も参加したし、政策批判の官邸前行動なんかにも通っていた。いろんな署名をやってきた。世の中に異議申し立てをすれば、思いがけない誤解をされたり、とんでもない方角からデマは飛ばされる、レッテルは貼られる罵倒される嘲笑される……それが当たり前じゃないの? そんな覚悟すらしないでデモやってたの?

かてて加えて、参加者たちが花を配って、その場で「泣いた」そうだね。
だからね、「怒る」「泣く」ってのは気持ちいいんだよ。すぐ「怒る」人、映画を観て「ボロ泣きした」と自慢げな人、ようするに「自分の感情、生理反応に慰撫された」ってことでしょ? 「ああ、すっきりした!」ってのもデモの効果だし、それを認めればすむじゃない。
「また集まろう」「これからも続けねば」ってのは、自分たちが気持ちいいから……と、認めればいい。デモを繰り返せば「性暴力には厳罰を!」ってムードは確実に高まるだろうし、手続きを踏んで法改正していけば理想社会が実現するはずだ。デモだけでは法改正できないし、理想社会も実現しない。その冷徹な現実と向き合わねば、何も変わらないよ。「世の中を変える」って、面倒で膨大な実務の積み重ねなんだよ。

あらためて、「感情の発露」すなわち「怒った」「泣いた」を免罪符にする人たちは好きになれないなあ……と思った次第。

(c)Warner Bros. Entertainment Inc

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