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2019年2月14日 (木)

■0214■

ダルデンヌ兄弟の監督作品、本日は『少年と自転車』。
Story_pic2ネオレアリズモの代名詞、『自転車泥棒』のようなタイトルだが、どことなく似たようなプロットだ。父親から捨てられた少年が、里親ともうまく行かず、犯罪の片棒を担いでしまう。
『ある子供』『ロゼッタ』と続けてダルデンヌ監督兄弟の映画を観てきたが、『ロゼッタ』がいちばん好きだ。画面内の情報が限られていて、最低限の演技だけで状況をたぐり寄せて、ほんのちょっとした手足の動きでドラマをつくる。

『少年と自転車』はワンシーン・ワンカットではなく、撮りづらいところではカットを割ってしまっている。構図も、計算されてすぎていて端正すぎる。二度だけ入る劇伴も、蛇足に感じられた。(カットを割る、とはすなわち撮影後に編集しているわけで、それ自体が演技とはまた別種類の技巧なのだ。)
ダルデンヌ兄弟は、とてもよくプロットを吟味していると思う。『ある子供』も『ロゼッタ』も、いやおうなく主人公が悪事に陥ってしまう抜き差しならない必然性が感じられた。
ところが、『少年と自転車』の主人公は、あっさりと犯罪に手を貸して、その日のうちに改心してしまう。

だが、それでも、里親と仲直りした少年が、自転車で川べりを走るシーンをシンプルな構図1009514_02 で捉えたPANには息をのんだ。
紆余曲折あった人物が、ただ真っ直ぐに走り、その動きを簡素に追うだけで「事態が解決した」と感じさせる。プロットのどこに、その綺麗なPANを持ってくるか。ストーリーを説明するのではなく、撮ることによってストーリーを生じさせる……それが、鮮やかに出来ていた。


さて、少年と里親の女性がまっすぐ走っていって終わり……でも良かったのだが、この映画はそうは問屋が卸さない。
「ちょっと出来すぎではないか?」というぐらい、少年のおだやかな日常が描かれたかと思うと、不意に過去の事件に遭った被害者が報復に出る。

少年が店を出ると、第一の被害者が立っている。カメラが少年の動きを追ってPANすると、いやおうなく被害者がカメラに入ってしまう。少年は立ち去るが、カメラは戻る。すると、そこに第二の被害者がいて、少年を追いかけはじめる。
決定的な出来事は、ワンカットの中で起きる。ワンカットで撮る、とは、つまり「出来事の記録」だ。だから、緊張感が出る。画面に注視してしまう。ドラマの劇的ポイント、それも複雑な人間関係の転調を、単なる「出来事の記録」として見せきる。それこそが、ダルデンヌ監督の独壇場だ。

そして、少年は不釣合いなまでに酷い報復を受け、心身ともに傷ついたまま、里親と手に入れた平和な日常へと帰っていく。『ある子供』『ロゼッタ』は、かろうじての調和と救いで終わっているが、『少年と自転車』は、思わず「ううう…」と唸り声が出てしまうほど、エグいところで映画が終わる。
しかし、その「ううう…」をもって映画の価値とするのは「ボロ泣きした」=「いい映画」と即断するのと変わらない。生理現象をもって、映画の評価に換えてはならない。

(C)Christine PLENUS

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