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2019年2月 3日 (日)

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原稿が順調に進んでいるので、予約してあった第一回「サンモールスタジオが贈る演劇好きのための映画週間」へ。金子修介監督自ら、作品の解説をされるというので、お顔を合わせておきたかったのが主な理由だ。
Mainところが、上映された『青いソラ白い雲』、これが唖然とするほど爽やかな映画だった。金子監督と、脚本を書かれた金子二郎さんにお会いしたが、「良かったです、びっくりしました」「目に沁みるような、青い空でした」としか言えなかった。おためごかしみたいな、お世辞のようなことは言いたくなかった。

『リンキング・ラブ』もそうだったんだけど、別に磨きぬかれた傑出した企画ではない。犬と人間との交流を、モデルの森星を主演に撮ってほしいという程度の低予算企画だったという。ところがその打ち合わせの日に東日本震災が起こり、映画は震災後、原発事故後の日本へ、たまたま海外へ留学していた女子大生が帰ってきて一文無しになって途方にくれるプロットとなり、犬は脇へ行ってしまった。
ガイガーカウンターを持って自宅を計測するシーンがあり、被災して家を失った人物も出てくるし、放射能まみれの日本、ウソばかりついている政府という言葉も呟かれるが、なんの政治性もない。そこがスマートだ。

2011年以降、原発事故をモチーフにした映画はなるべく見るようにしていたが、いずれも「家族は大事」「普通の暮らしが大事」といった前時代的なテーマへ後退した作品ばかりだった。『青いソラ白い雲』には、不思議な楽観が漂っている。
予告編を見たら、案の定、なんとかして社会派のドラマっぽく見せようとしているが、無理もない。「暖簾に腕押し」とも呼ぶべき肩透かし感が、この映画の魅力だからだ。
邦画でよくある、主人公が思いのたけを泣き叫ぶ、怒鳴るシーンがない。なんとまあ、正直な映画だろうと思う。


金子監督の『ガメラ監督日記』に、「美脚は、映画を見る上での、重要なポイントである」と書かれている。それを裏づけるかのように、『青いソラ白い雲』の森星は、スラリとした長い脚を惜しみなく披露する。
O0800053311378680844この映画を飽きずに見ていられるのは、間違いなく森星の浮世離れした美貌に魅せられるからだ。『ベニスに死す』の魅力の半分以上が、ビョルン・アンドレセンの美少年ぶりに負っていることと同じだと思う。『ミツバチのささやき』の少女役がアナ・トレントでなかったら、ああまで魅力的な映画になっていただろうか? それぐらい、俳優の美しさ、顔立ちは映画の実質を左右する。

その森星が、「美貌しか取り柄がない」と自覚する空虚な女子大生を演じる。彼女は家事全般ができず、くだらないモデルの仕事ばかり受けて自己嫌悪に陥る。
森星の演じる主人公には、信念もなければ生きがいもなく、実質がごっそりと抜け落ちている。それが原発事故後、今後どうなるのか五里霧中だった2011~2012年の空気感と程よく溶け合っている。
作中人物は何かしらウソをついていて、そのウソとウソとが噛み合って擬似家族を形成していく。三木聡監督の『転々』がそういう映画だったし、『かもめ食堂』の荻上直子監督の作品にも、そういうタイプの乾いた、突き抜けた笑いと達観と希望がある。
でも、『青いソラ白い雲』にはもっと空虚だ。森星の美脚しかない、とさえ言える。でも女優の肉体こそが映画のボディ(本体)なのだ……と、今の僕には思える。怪獣映画で、カット割りでも構図でもなく、怪獣の造形が映画の印象を左右するのと同じことだ。

女優の美しさを見せたいのであれば、ひょっとしてカットワークや構図に凝ってはいけない20140421000856e41 のではないか、そういうタイプの映画を自分は見落としてきたし、評価する眼すら持っていないのではないか……という焦りが生じる。
(多分それは、結婚しようが子供が生まれようがアイドルが好きだ、アイドルを信じてると真顔で言う仕事仲間の気持ちを理解しようとすらしなかった、その怠惰に通じるものなのだろう。
いま思い出したが、女優に惚れこんでしまい、女優のアップばかり撮った自主映画が80年代にはいっぱいあり、当時の僕は、それはそれで面白いじゃん……と、上映会に通って、何時間も暗闇に座っていられたはずなのだ。その当時の感覚を、僕は忘れ去ってしまった。)

『青いソラ白い雲』のラスト、なにもかも失った森星が犬の散歩をしながら、大声で歌をうたう。こんなにも綺麗に空を撮れるものなのか……と、圧倒されたことは間違いない。
あのあっけらかんと突き抜けた空を見るためだけでも、『青いソラ白い雲』を観る価値はある。その空の美しさの成分は、森星の美しさが占めているのだろうけど、今の僕は、それを上手く言語化できずに戸惑っている。


日大映画学科を卒業してから30年近くになるが、「これは!」と目からウロコの映画批評は、塩田明彦さんの『映画術』ぐらいだった。
映画は、体験としての純度だけが問われ、SNSのネタとして使い捨てられていく。誰もが観終わってすぐ「号泣した」「ツッコミどころ満載」とツイートして、共感を得ようと懸命になる。
自分の感想がどれだけバズるか、それを仕事にしている人が映画評論家と呼ばれている。フィルムを仔細に分析する人は、象牙の塔にこもってしまった。

僕は、誰にも共感されなくていい。少なくとも、映画に関しては。ただ、ウソをつきたくない。ウソをつかずに生きられる対価が孤独なのだとしたら、僕は喜んで孤独を迎え入れる。

(C) 2011 スパイクエンタテインメント

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