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2019年1月12日 (土)

■0112■

レンタルで、『リズと青い鳥』。これは苦手だった。なぜ自分がアニメにこだわっているのか、どうして実写に比べてアニメを観るのが楽なのか、問いかけられているような気がして、しんどかった。
640テレビシリーズの『響け!ユーフォニアム』とはキャラクターの頭身や瞳の大きさを変えているのは野心的でいいのだが、結局、声優のハキハキした喋りかたによって台無しにされている気がした。
かといって、実写映画やドラマの俳優を使ってリアリティを狙うのも、こうしたアニメ映画の目論見からは外れている気がする。無菌室のように、内面化された清浄な世界だけを見ていたい、虫のいい願望を満たすのもセルアニメの大切な役割だろう。それこそ、僕のような対人恐怖や「場」のかもし出す気まずさに耐えられずパニックを起こす欠陥人間を癒すために、救うために二次元美少女たちの楽園があるはずで。
でも、本当の楽園ならば頭身を高くして目を小さく描くような“他人のそぶり”を見せないで欲しかった。キラキラの瞳や、ムチムチした太ももを捨てないまま、「映画」を見せてほしかった。


セリフを少なめにして、被写界深度を浅めで、髪の揺れや指の仕草を撮れば、「繊細な芝居」と誉めてもらえるだろう、そこさえ誉めておけば「映画っぽい」と受け取ってもらえるだろう……という見えすいた予定調和が感じられて、しんどかった。「その予定調和の連環に、自分も組み込まれているのではないか?」と、焦るからだ。
実写映画ではなくセルアニメを借りてきた自分の魂胆が、どこかの段階で読まれてしまっている気がする。子供のころから親しんでいるセルアニメを生活に組み入れないと、現実に耐えられないんだろうと思う。本当は「アニメは実写映画と違って、イヤなものや汚いもの、予測不可能なものが出てこないから楽だ」と安らいだ気持ちになりたい、憩いたいはずなんだよね。
アニメで息抜きしたい自分を、心のどこかで嫌悪しているから「しんどい」ことになる。受け入れて、認めてしまえばいいんだろうけど、心の奥底で拒絶している。

内向的な人ほど、自分のオナニーのネタを公では嫌悪する(女子高生フェチの人は、制服姿のポスターを街で見かけただけで怒り出す)けれど、それに近い心理じゃないだろうか。
僕は、映画館でアニメを観るとき、滂沱たる汗をかいて緊張してしまう。隣の席の人に、「どうしていい歳してアニメ見てるんですか? そんなに現実が生きづらいんですか?」と問い詰められているような感じ。


思わず、『惡の華』の第1話を見返してしまったけど、やっぱり安堵する。
『惡の華』はキャラクターの歩き方ひとつとっても、実写の人物をトレースしているので、だらしがない。現実の汚さを、逃げずに抽出してくれる。きれいな、かわいい女の子という設定であっても、意外とガニ股で歩いていたりする。幻滅するんだけど、そこまで認めたうえで「かわいい女の子」として描いているから、そこから先は絶望しなくてすむわけ。正直であることは、何よりも強い。
見たくもない掃きだめに目を向けねば、むき出しの美しさは見つからない。

ここまで書くと、『響け!ユーフォニアム』も『リズの青い鳥』もいいじゃん、綺麗で可愛くて何が悪いって気持ちになれる。現実とも妄想とも、あらゆるものと僕は和解したい。 

(C)武田綾乃・宝島社/「響け!」製作委員会

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