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脚本家・小中千昭の体験した90年代後半のアニメ制作現場、そして「serial experiments lain」で試みたこと【アニメ業界ウォッチング第51回】(■)小中さんには気持ちよく取材を受け入れていただき、読者からの反響も多い幸せな仕事でした。
アニメ関係のインタビューというと、たいていは現行作品のプロモーションになってしまい、そういう刹那的な記事なら聞き手・書き手は大勢います。「誰に何を聞きたいのか」、テーマを明確に定めようとすると、それを決められるのは自分だけだし、インタビュー相手もおのずと絞り込まれてくるし、交渉する主体は自分になります。そういう仕事だけを、自分だけが出来る仕事をしていきたいのです。
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小中さんにお話をうかがったのは、西新宿に借りた小さな会議室で、その場所のムードが良かった。閉店した中華料理屋のある心寂しい通りで、外国人の学生たちがいろいろな言語で話しながら通りすぎていく。寒くて薄暗いけど、雑然としていて活気があって……まるで、90年代終わりごろの、あの時代の空気そのもの。
どう言ったらいいのか……ちょうど、年の瀬の今時分のように、空気は冷え冷えとしていたけど、アニメやゲームを語る者たちの吐く息は熱かった。不況だったし、ぎりぎり20代だった僕は収入が低くて、生活に苦労していた。家賃の滞りがちな部屋には、何もなかった。
だけど、『エヴァンゲリオン』を録画したVHSテープを友達のアパートに持っていって強引に見せるぐらい、不思議な情熱に支えられていた。80年代のアニメ文化は大人たちから与えられたものだったけど、90年代後半に出会った作品はどれも自分で選びとったものだと、かたくなに信じていた。
VHSテープを持って友達のアパートに行ったのは、夕暮れ時だった。だから、この時代は黄昏の印象が強い。でも、寂しくはなかった。プレイステーションのゲームソフトを、それこそ擦り切れるまでやりこんだ。友達と酒を飲んで、朝といわず夜といわずアニメについて議論した。
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2001~2002年頃、ゲーム会社に入社すると、誰もがそれぞれの視聴環境で見られるアニメを見て、どんな内容でどこが面白いのか熱心に布教していた。いや、「誰もが」は大げさで、作品を好きな人間は語る言葉も熱かったので、よく覚えているのだろう。
その頃になるとDVDを所有するのが当たり前になっていて、家ではまだダイアルアップ接続だったと思う。ネットカフェに泊まって、朝イチで会社に来ている若者がとにかく好きなアニメにはぞっこん惚れこむタイプで……あの時代のことは、本当に語りきれない。これから、ゆっくり語っていこう。
そう、渋谷の裏通りを輸入オモチャを求めて行ったり来たりして、道端で買ったばかりのフィギュアを交換したりしたのも、あの頃だった。「ストリート」って言葉の賞味期限は、まだ切れていなかったのだ。
忘れないうちに書き記しておくが、僕は一年の中で年の瀬がいちばん好きだ。静かで寂しいけど、局所的に賑やか……という状況が好き。大晦日が永遠に繰り返されないかなあ、と夢想してしまう。
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レンタルで『白い家の少女』と『普通の人々』。ヒッチコック風のサスペンスである前者は、あまりにガタガタのカメラワーク、しょっちゅうPANとズームを繰り返すだらしのなさに唖然とさせられたが、『普通の人々』、これは開幕1~2分で素晴らしさが分かる。時系列が前後するし、あらすじを説明するのは困難だが、画面に引き寄せられる。それは構図に狙いがあり、カメラの動きが機能的で、編集で意味を膨らませているから。「ストーリー」こそが映画の本質だと思っている人たちはネタバレという言葉に執着するが、僕は映画は構図でありカメラワークであり編集であり……、すなわち語り口だと確信している。
無論、言葉と言葉がすれ違い、衝突し、なんとかその場をとりつくろおうとする人々の演技も迫真だ。会話の中に、即興の歌をまぜこむのもいい。よく計算された舞台劇を見ているかのよう。
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いくつか、好きなシーンを挙げておこう。
主人公の少年が、ガールフレンドと喫茶店で待ち合わせる。だが、ガールフレンドは多忙なので、会話もそこそこに切り上げて、席を立つ。彼女は店の出口まで歩いたところで振り返り、少年に「ねえ!」と呼びかける。その瞬間、店内に座っていた見知らぬ人々が「えっ?」と一斉に彼女を見る。彼女はたじろぎながらも、「元気出して!」と少年に声をかける。
もうひとつは、主人公の母親が父親とデパートで待ち合わせるシーン。
彼女はエスカレーターに乗っているが、反対側のエスカレーターから友人に声をかけられて、大声で会話する。その場に乗り合わせた人々が一瞬、「何だ?」という顔で2人を見る。母親はエスカレーターに運ばれたまま、会話をつづける。
これらのシーンの持つ、「人込み」という状況が強いる必然と、それに抗うような言葉の意志。それをワンカットで過不足なく収める構図のセンス、容赦のない編集の知性。
それこそ、浴びるようにして2時間を楽しんだ。テーマがどうとかじゃない、工夫をこらした演出が次から次へと興味をつなぎ、思いがけない飛躍と省略を見せてくれるからだ。ただの2時間じゃない、何年分もの心の動きが凝縮された特別な2時間だった。(ことに不思議なのは、少年のガールフレンドの運命だ。彼女は少年と気まずいデートをした後、自殺したと告げられる。ところが映画のラスト近く、少年はガールフレンドに謝りに行って、彼女はとびきりの笑顔でそれを受け入れる……こうしたプロットの不可解さが、映画に無限の奥行きを与えている。)
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