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“アイレベル”の高低で人間関係がわかる、「RD 潜脳調査室」の機能的構図【懐かしアニメ回顧録第49回】(■)
アキバ総研の連載も、早くも50回目直前です。バックナンバーを読むと、「ちょっと考えすぎではないか」「深読みしすぎではないか」と感じるところもあります。作品を二回ほど見返すと、だいたい三つぐらいポイントが見えてくるので、どれか一つに絞らないと、原稿が散漫になります。
だけど、この連載が毎月あるおかげで、わざわざ読んでくれた人に見返りのある内容にしなくては……と、姿勢を正せるわけです。日々の倦怠にまかせていたら、もうアニメなど見なくなっていただろうし、構図やカットワークに注意が向かわなくなっていたかも知れません。
あちこちに、「仕事」「人に見せるもの」という枷を嵌めていかないと、僕の人生も生活も、バラバラにほどけてしまうような気がします。「人に会う機会」をなくしたら、身なりが汚くだらしくなくなっていくようなもので、審美眼にも垢が溜まるものだと思います。
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レンタルで、クリント・イーストウッド監督、主演の『ガントレット』。1977年というと、『スター・ウォーズ』公開の年だ。
全編、からからに乾いた荒野が舞台。時おり、嵐のような銃撃シーンが挿入され、ヘリが墜落したりもするが、折れる鉄塔や橋が作り物だとバレている。つくりの荒さも含めて、水分が抜け切った映画。
冒頭、クリント・イーストウッドの演じる刑事が明け方のバーから出てくる。彼が車を停めてドアを開くと、足元にウィスキーの瓶が落ちて割れる。刑事はアルコール依存気味で、上司から「もし殺されても誰も気にとめない」という理由でワナに陥れられてしまう。
彼自身は、自分が優秀だから特別な仕事を与えられたと思い込んでいるのが、よけいに痛々しい。
ソンドラ・ロックの演じる娼婦が、刑事の目を覚まさせていく。
砂漠で野宿することになり、娼婦は刑事がワナにはめられ、無用者であるがゆえに殺されかけていることを指摘する。娼婦の言葉を聞いて、刑事はジッと考えこむ。考えこんだまま、動かない。カメラはフィックスで、刑事の顔をアップでとらえている。
しかし、これは夜のシーンであり、娼婦は寝てしまった。どうやってシーン転換させるのだろう? なんと、カメラが刑事の顔をアップでとらえたまま、オーバーラップして朝のシーンになるのだ。刑事は微動だにせず、数時間も考えこんでいたわけだ。
それほど、娼婦の指摘は刑事にとってショッキングだったのだと分かる。
このシーン、どうやって撮影したのだろう? カメラを動かさず、俳優の座る位置を決めて朝を待ったのだろうか? ともあれ、俳優を止めたまま時間経過だけをオーバーラップで表現する大胆な演出で、刑事の沈思黙考ぶりをシャープに描ききっている。好きな演出だ。
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もうちょっと分かりやすいシーンも挙げておこう。
刑事は娼婦を隣の州まで護送して、裁判に出席させねばならない。だが、娼婦に証言されては警察署の上司が女を買って暴行していた事実が発覚してしまう。証拠隠滅のため、行く先々で警官隊が待ち構えている。
つまり、この映画は権力の腐敗ぶりをモチーフに、主人公の正義を証明しなくてはならない。どこかで、警察官の汚さを描き、反権力のポジションを固めなくては終われないはずだ。
それが、八方ふさがりになった刑事が、パトカーを奪うシーンだ。パトカーに乗っていた警官は刑事に銃をつきつけられたまま、州境へと車を走らせる。娼婦は後部座席に座っている。警官は彼女に、「金をとって男と寝る気分はどうだ?」など、下世話な質問を浴びせる。
娼婦は、「あなたたち警官と同じようなものよ」と言って、警察官が裏でどれほど不正をしているか舌鋒鋭く暴きたてていく。最初は「詳しいな」と苦笑していた警官だが、「まだ夢精しているの?」とおちょくられて、ブチ切れてしまう。
2人の会話を聞いていた刑事は、無言で娼婦のほうを睨む。その口元にはやがて、苦みばしった笑みが浮かぶ。それは共感のような、賞賛のような、不思議な微笑である。
いつも書いていることだが、映画の中で自分から動けず、ジッと事態を静観している人物にこそ、観客は感情移入してしまう。
このシーンで、クリント・イーストウッドは銃を警官につきつけているだけで、自らは何もしていない。娼婦と警官の会話を聞いているだけの“観客”なのである。彼は観客の「スッキリした」「スカッとした」「よくぞ言ってくれた」という気持ちを代弁するために、苦い笑いを浮かべるわけだ。
こういうドライな、辛らつなシーン、最近の娯楽映画・大衆映画では滅多にお目にかかれない。1970年代のアメリカ映画に特有の苦味……という気がする。
(C) Warner Bros. Entertainment Inc.
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