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“PVC製の組み立て美少女フィギュア”を発売したアワートレジャーさんに聞く“組み立てキットの行方”【ホビー業界インサイド第41回】(■)僕が株式会社ウェーブの依頼で原型や見本を作っているころ、若手で威勢のいい新入社員が永見浩士さんでした。
完成品ブームの前、プラモデルでなければレジンキットしかなかった時代を体験している人は、いまや貴重になりつつあります。そういう人の大半は、業界を去ってしまったからです。
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25日日曜日は、大田区久が原の「昭和のくらし博物館」で開催されている「『この世界の片隅に』~すずさんのおうち展」へ。博物館の方たちの温かいもてなしに、すっかり心がほぐれた。自分用に買ってきた絵はがきセットは、広島の方にすべて差し上げた。以前に、この博物館に来たのは9年前……文学フリマで、『マイマイ新子と千年の魔法』トークショーがあった日だった。それこそ、片渕須直監督に「トークショーの前に寄っていきませんか?」と誘われたのだった。それぐらい、仲良くしてもらっていたのだ。
その日はたまたま、『マイマイ新子』の上映存続署名を発表した翌日だったと思う。署名開始にあたって、監督から「勝手なことやらないでほしい、迷惑だ」と言われないように一応の許可はとったけど、プロデューサー陣には無断であった。
なので、絶対に怒られると覚悟していた。
「昭和のくらし博物館」へ向かう車にはプロデューサーたちが乗っていたので、ドキドキしていた。でも、冬にしては暖かい陽のあたる二階の部屋で、皆さん子供のように無邪気にくつろいで、ずいぶん面食らったのを覚えている……その日は結局、誰も署名の話を口にしなかった。
本来なら、署名も何もしないにこしたことはない。入場料を払う以上のことを、観客がすべきではない。そう思っていたから、『この世界の片隅に』のクラウドファンディングを最初に知ったときは、複雑な気持ちだった。
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先日の『マイマイ新子と千年の魔法』に関する記事(■)は、気がついた人だけが心に留めてくれればいいと思って、どこにもリンクを貼らなかった。
Twitterでの反応で興味深かったコメントは、「自分はあくまでも作品とダイレクトに繋がっていたい。そのほうがノイズがない」。……あのね、9年前は「作品とダイレクトに繋がる回路」そのものが切れかけていたわけですよ。だって、一ヶ月もたたずに上映が終わりかけていたんだから。
それで僕は、上映存続の署名活動を始めたわけだし、次の段階では映画館に直接交渉して、上映を途切れないようにした。映画館と共同でイベントも企画したし、ポスターやチラシも自分たちで印刷して配布して歩いた。
そうした経験がある、あるいは知っている人は、製作委員会が(作品を真っ先に打ち切った)新宿ピカデリーで9周年記念上映を企画しくれることのありがたみを噛みしめるだろうし、少なくとも作品を存続させたバックグラウンドを「ノイズ」と切り捨てたりはしないだろう。
それにしても、僕のブログを読んだうえでリンクまで貼っておいて「作品とダイレクトに繋がっていたい」なんて虫がいいというか、気楽で結構なものだなあと思う。
作品をあなたとダイレクトにつなげている配給会社やメーカーがいることぐらい、気に留めといてもらいたい。
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今ってすごく分かりやすい時代で、たとえば『西遊記 ヒーロー・イズ・バック』は興行的にふるわない映画だったけど、宣伝会社がまったくやる気がなかった。ここまで放置してりゃあ、そりゃあヒットしませんよね、と合点がいく。
だけど、『マイマイ新子』は『この世界の片隅に』でもずっと宣伝を担当している山本プロデューサーのほか、ブースタープロジェクトという宣伝会社が参加していて、みんな状況を改善しようと真剣だった。それでも、ファースト・ランは散々な結果だったのだ。
その不条理に直面したとき、誰もが苛立ったし、互いに慰めあった。今は「共感を得られたらそれで満足してしまう時代」だけど、当時、愛情と憎しみは紙一重だった。
“なんでこんなに力説してくれるんだろう、と考えたとき思い至るのはやはり、この映画はすでに「作り手の私有物」ではないんだ、ということです。”(■)
『この世界の片隅に』をあまり好きではないので、廣田さんには話しづらい……と遠慮されている方がいた。もちろん、おおいに話してもらった。信者・アンチみたいな概念が潜在化しているとしたら恐ろしいことだし、可でもなく不可でもなく、誰にでも変心や矛盾を許容する自由な空気を吸っていてもらいたい。そう、ここに願う。
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