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2018年11月24日 (土)

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モデルグラフィックス 2019年1月号 本日発売
0000000034842_iuvnci7 ●組まず語り症候群
連載第73回は、ホビーリンク・ジャパンの「プラギョーザ」です。
●『ひそまそ』実写化計画
今回はインタビューはありませんが、『ひそねとまそたん』にかこつけたヒコーキ模型カタログを構成しました。次号は、かなり意外な人物にインタビューしますので、楽しみにお待ちください。


21日夜、新宿ピカデリーで『マイマイ新子と千年の魔法』9周年記念上映。一晩寝て、朝から広島へ行き、広島で一泊してから『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の進捗が語られる広島国際映画祭の片渕須直監督のワークショップへ。
46525728_1973918026035435_275660345前売り券は東京で買ってあったが、朝11時からの整理券配布に30分並んだ。ところが、開場の一時間前から「整列開始」と書かれており、受付の人に確認すると、整理券配布と同じ場所に立ったまま一時間並んでもらうという。
そこまでの苦痛を強いられる理由はないので、ワークショップには参加せず東京へ引き返した。2日前の『マイマイ新子』の時から考えはじめた送り手と受け手の関係について、新幹線の車内で考えをまとめた。


『マイマイ新子と千年の魔法』は9年前の正規ロードショーで客足がまったく伸びず、やや遅れてスタートした「ラピュタ阿佐ヶ谷」でのレイトショーが連日満席となって、停滞状況を打破できた。
僕は試写会で見て惚れこんで、片渕監督と主演の福田麻由子さんに取材、その後もなるべく試写に足を運んでいたから、ファン第一号といえるかも知れない。ウェブ上で上映存続署名をはじめたので、そのことで毀誉褒貶、実にさまざまなことをネットでも現実でも言われた。「売名のために作品をダシにしている」なんて、上品なほうだ。署名第一日目から説教され、私生活についてまで匿名掲示板に根掘り葉掘り書かれ、わざわざ書いた本人が「2ちゃんねるであれこれ書かれてるぞ」と教えてくれたりもした。
それはまあ、覚悟していたことなのでどうでもいい。それより、もっと学ぶべきことがある。

21日夜は、9周年記念上映に時間をあわせて、開場に来られない方たちが、同時再生上映会を行った()。企画した方とは、ウェブ上ではよく議論(というか衝突)したもので、今はそれすら懐かしく感じる。
作品を応援するといっても、9年前の公開当時は同じ意見の人を見つけるのが難しく、何をどう進めるべきか喧々諤々だったし、応援のしかたも人によってバラバラだった。
監督やプロデューサー、上映サイドといった「公式」の声が今ほど強くなく、ファンには主体性が求められた。だから僕たちは衝突しがちで、ラピュタ阿佐ヶ谷へ通っていた人が全員、先日の9周年上映に来ているかというと、すっかりファンをやめてしまった人たちもいる。


僕が真っ先に思い出すのは、ラピュタ阿佐ヶ谷で『マイマイ新子』を見て、シルエットを使った大人っぽいポスター・ビジュアルを考案した前岡和之さんだ。
前岡さんのビジュアルは『マイマイ新子』を知らない人にまで訴求したが、彼は公式ポスターを批判した。それで、監督が気分を悪くしてしまい、前岡さんも「監督が気に入らないなら」と、せっかくのビジュアルを削除してしまった。
当時、「送り手も受け手も、どちらもしっかりしてほしい」と、たしか個人の方のブログで批判をされた。まったくその通りと思う。

このことは初めて書くと思うが、プロデューサーや監督は「この人とこの人は味方」と、ファンを選別してしまっていた。
一時的とはいえ、そういう時期があった。
ラピュタ阿佐ヶ谷での上映後、プロデューサーたちの声がけでロビーに残った観客たちとスタッフが記念撮影をしたことがあった。……いや、ちょっと待ってほしい。この会場に来られない地域のファンが知ったら、どんな思いをするだろう? 電車の時間で早めに帰らねばならない人や、声をかけられなかった人たちは除け者なのだろうか?


さらに気まずく感じたのは、『マイマイ新子』の各地での上映がほぼ落ち着いたころ、応援してくれた人への感謝の意味で――と、プロデューサーから食事会への誘いがあったこと。
その食事会に呼ばれなかった人は、どういう扱いなのだろう? ファンではないのだろうか? 奇妙に聞こえるかも知れないが……、僕が『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』のワークショップを参加せず、直前で帰った理由は、その辺りにある。「僕は呼ばれてないのだな」といった疎外感だ。

作品の良さを自らのセンスで見い出し、ラピュタ阿佐ヶ谷へ通って耳でセリフを聞いてメモしてポスターに使った前岡さんは、「監督が気に入らないなら」とポスターを撤回してしまった。それは、彼が未熟だったためだろうか。あるいは、監督が未熟だったのだろうか。そんな簡単なところに話を落ち着けてはいけない、もっと深く学ぶべきことがあるはずだ。
今はSNSのせいで、意見や感情が二極化しやすい。「公式」という言葉が使われるたび、二極化は加速し、ファンは依存的になっていく。
「公式」に対して、従順で温厚な「ファン」が誕生した。

9年間のあいだに失ったもの、以前より強まっているのに見えなくなってしまったもの、語る言葉が足りないだけで存在しないかのように扱われているものもあると思う。
目に見えているものだけが、すべてではない。誰をも裁かず、誰をも罰しないでほしい。

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