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2018年10月31日 (水)

■1031■

■11/01 東京→北京
■11/02 北京→ヨハネスブルグ→ハラーレ(ジンバブエ着)
■11/03 ハラレ→ブラワヨ(飛行機で移動) 
■11/04 ブラワヨ→ヴィクトリアの滝(バスで移動)
■11/05 ヴィクトリアの滝
■11/06 ヴィクトリアの滝→ブラワヨ(バスで移動)
■11/07 ブラワヨ→ハラレ(飛行機で移動)
■11/08 ハラレ→ヨハネスブルグ(ヨハネスブルグに一泊)
■11/09 ヨハネスブルグ→北京 
■11/10 北京→東京 

ジンバブエに着いてからのバス、飛行機はすべてネットで予約できたので、移動は大丈夫だろう。というか、落ち着いて観光できるのはヴィクトリアの滝に着いた翌日のみで、あとは基本的に移動。ブラワヨ~ヴィクトリアの滝間のバスは、6時間ほどかかる。
しかも、到着が20時だったりするので、前もってホテルに「遅くなるけど大丈夫か?」とメールしたのに返事ナシ。

宿でいちばん酷い目に合ったのは、ギリシャのサントリーニ島で、どうしても到着が23時すぎになってしまう。暗くて、印刷したホテルの地図が役に立たず、汗だくになって町を何往復もした。結局、遅くまで空いているトラベルセンターに頼み込んで、空いているホテルを探してもらった。
個人経営の安宿だと、そういう場合がある。今回は奮発して、そこそこ大き目のホテルにしたから大丈夫とは思うが……地図を見て「これぐらいバス停から歩けるな」と軽く見ていると、いつも汗だくで駆け回ることになってしまう。
というより、外務省はジンバブエ全域を「レベル1」に指定して、夜間の外出に注意を呼びかけている。


ジンバブエは、今年9月、首都ハラレでコレラが大流行した。航空券をとった後なので、どうにも回避できなかった。

●十分に手洗いしてから食事
●路上の食べ物を買わない
●水道水を飲まない、歯磨き時にも注意
●氷にも注意

なので、常に水を確保しておきたいのだが、買い物はカードが使えず、米ドルで払うとお釣りがいろいろな国の紙幣や硬貨が混ざってくるのだそうだ。
スウェーデンは、コンビニでジュース1本買うだけでもカード。その便利さに気がついてから、オーストラリアとマルタではカードを主に使って、現金は予備と考えた。だが、状況によってカードが使えなくなる事態がオーストラリアで起こり、現金も引き出せないので都会の真ん中で進退きわまった。

今回は食事にも水にも気をつけて、スリにあわないように現金を管理しなければならない。短い距離でもタクシーで移動し、なるべくレストランで食事して、これまでのような路上での買い食いを控えるとなると、それなりにコストがかかる。
だけど、治安面では絶対安全で、一本で日本に帰れるオーストラリアのケアンズで「カードが使えず現金もない」最悪の事態に直面したので、何がいいとか悪いとか、自分には決められない。
海外にいるときの自分は、何も遠慮することなく、感情も欲望も丸出しになる。その開放感だけは、何にも代えがたい。日本にいたままだと、あの自由な気分を忘れてしまう。


そういう意味で、日本的な感覚を引きずったままだったのはスウェーデンで、物価は高いし人は多いし、心休まることがなかった。公園で昼間からビールを飲んでいたら、近所のおばさんに文句を言われた。確かに、東京の公園で昼間からビールを飲んでいる外国人がいたら、僕だって警戒してしまう。
だから、東京とストックホルムは似ている。「こんなことをしたら恥ずかしいんじゃないか」と余計な気をつかってしまい、開放感は乏しかった。

海外にいる間、僕は少量の酒で十分に酔えて、早く眠れる。
30年近く常用している精神安定剤も、海外では服用を忘れている場合さえある。路線バスの中で女性が隣に座ったときは、つい緊張してしまうが、飛行機だとまったく平気だ。その辺で、どういう心のメカニズムが作用しているのか、いずれ知る日が来るのだろうか?
路線バスは日常的な乗り物だから、その日常性が、僕を脅かすのかも知れない。

僕にとって海外旅行とは、廣田恵介というゲームを一時停止して、名無しのアジア人として現実と関係を結びなおすことだ。

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2018年10月29日 (月)

■1029■

二重三重に仕掛けがいっぱい、「Figure-rise Mechanics ハロ」に詰めこまれたプラモデルならではの遊び心!【ホビー業界インサイド第40回】
T640_784476このプラモデルは、おそらく模型雑誌も、コアなモデラーたちもノーマークだと思います。
大河原邦男さんに別件でインタビューしに行ったとき、「ホビー事業部のハロは良いものになりましたよ」と、珍しくご自分から商品名を口に出されたので、取材を入れておいて当たりだと確信しました。
ディテールやギミック、細かなアイデアにいたるまで大河原さんが仔細に監修しています。おそらく、プラモデル商品にここまで大河原さんが関与することは初ではないかと思います。MSVですら、こういう関わり方はしてないはずです。

キャラクターの“実在“と“不在”をレイヤー構造で見せる「serial experiments lain」の演出【懐かしアニメ回顧録第47回】
T640_783989編集者からの提案で、『lain』について書きました。
いつものように映像文法的なこと、アニメの画面を成立させているレイヤー構造について書きましたが、それは割とどうでもよくて。このSNS全盛期に、『lain』や90年代末~00年代初頭のアニメを日本のあちこちで見ていた人たちが再会できていることを、夢のような想いで見つめています。
あの頃はダイアルアップ接続も多く、数分間の映像、たとえば『ほしのこえ』の予告編を見るだけでも一苦労だったように記憶しています。当時はフリーライターとゲーム会社の会社員と、二足のわらじで、会社の近くのアニメイトで『ほしのこえ』のDVDを予約したのを覚えています。
会社には、若いプログラマーやグラフィッカーが大勢いて、ほぼ例外なくアニメを見ていました。だけど、みんなが同じアニメを見られていたわけではなく、視聴環境によって見ている作品がバラバラ。だから、口コミで情報交換するしかなかったように記憶しています。

極端に言うと、個性的でない作品なんて一本もなかった。ひとつの作品がひとつのジャンルみたいな感じ。『lain』だけではなく、『灰羽連盟』、『地球少女アルジュナ』、『ベターマン』、『宇宙海賊ミトの大冒険』、『ヒートガイジェイ』、『プリンセスチュチュ』、『∀ガンダム』、どのタイトルを挙げても、似た作品がない。
「こういうアニメ、知ってる?」と口頭で初めてタイトルを聞いて、だけど見る方法がないって、すごく贅沢な時代だったんじゃないか……。


当時はDVDとVHSが同時に出ていて、どのアニメのソフトを出しても一万枚は堅いと言われていました。詳しい人に聞いてもらいたいけど、2006年をピークに、映像ソフトの売り上げが落ちはじめたと聞きます。
個人的には2005年の『創聖のアクエリオン』が大好きで、超合金の発売にかこつけて「フィギュア王」で連載を始め、河森正治監督と温泉に旅行に行くなど、面白い体験をしました。何より貴重だったのは、ほとんど毎週、河森監督から放送されたばかりのエピソードについて、生で感想やコメントを聞けたこと。
『マクロスF』の取材でサテライトさんに行くころには、そういう自主映画のような親しげなムードは薄らいでいたように思います。

「アニメ批評」という、版権もクリアせず勝手にキャプチャした画像を掲載するデタラメな雑誌があって、僕はWOWOWで全話放映されたばかりの『カウボーイビバップ』の記事を企画したんです。さすがにサンライズの許諾が必要だよな……と、担当者に話しに行ったら、「画像使用料は払ってくださいね、あとは別にいいですよ」とロクに中身も見ない(笑)。
今だったら、三重ぐらいに製作委員会のクロスチェックが入って、原稿が真っ赤になって返ってきます。みんな、原稿に赤を入れて「相手の自由にさせない」ことを、仕事だと思い込んでしまっている。
だから最近、アニメ関連の仕事は面白くないです。僕が自主的にやりたくて、先方からも感謝されてる作品って『RWBY』と『ゼーガペイン』ぐらいだと思う。それ以外の、流れ作業のように請け負ったアニメの仕事で、たとえ原稿が真っ赤に修正されようと、僕はもう見ないです。もっと面白い仕事が、他にいっぱいあるから。


95~97年にかけて『新世紀エヴァンゲリオン』がテレビから映画に進出して、『エヴァ』に追いつけ追いこせのムードもあったと思う。それから10年ぐらいの間に光り輝いていて、今なくなってしまったものって、意外と大きいんじゃないだろうか……。
作品の出来不出来ではないです。もしかすると、一本一本の作品を語る僕たちの言葉が、強くて自信にあふれていたんじゃないか。この作品の良さを伝えられるのは自分だけなのだから、堂々としてないとへし折れてしまう。当時の掲示板って、そういうムードがあったような気がする。今よりはネットの符丁も少なくて、「神アニメ」みたいな他人まかせの言葉もなかった。
『lain』なんてダウナーの極みだし、暗い作品も多かったと思う。でも、ネガティブではなかった。どんな絶望を描いていようと、一本にかける熱量は計り知れなかった。
おそらく今は、製作委員会が広報活動によって「こういう層に、こういう受け方をするように」と、コントロールしようとしすぎるんじゃないかな……。それで、SNSで話題にならなかったら、もう失敗なわけでしょ? ようするに、人を信じてないんだ。

90年代末~00年代初頭って、ネット環境はお粗末だった。衛星放送を見る方法も、よく分からなかった。でも、情報が行き届いていなくて、不透明であるがゆえに、世界を豊かに感じられていた。
今のほうが人権意識も高くて、各方面に配慮が行き届いているはずなのに、すぐにゴールに着いてしまうというか、奥まで鮮明に見渡せてしまう。本当に面白いものは、ひとりひとりが嗅覚で探して当てるしかないんでしょうね。

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2018年10月26日 (金)

■1026■

月刊モデルグラフィックス 2018年12月号
Dqus7e4vyaac1xk連載「組まず語り症候群」では、フジミ模型さんの嚴島神社のキットを取り上げています。
短期連載「ひそまそ実写化計画」では、美術監督の金子雄司さんに取材して、金子さんの特撮映画への偏愛ぶりをたっぷり聞いてきました。『ひそまそ』の宣伝期間が終わってしまったそうで、特に公式からのプッシュもなく、来月以降も細々と続けていきます。


キズナアイ叩きとフィギュア叩きが終わったと思ったら、今度は少女型セックスロボット叩き、広く漠然と萌え絵叩きが始まっている。確証に足る根拠もなくオタク文化を規制したがる人々は、仕事や交友で海外とのつながりがあると自慢しているにもかかわらず、どこかで空しさを感じているように見える。
優越感は劣等感から生まれるので、他人にはどうしようもない。彼ら彼女らは、「ショックを受けた、傷ついた」と臆面もなく被害者意識に浸り、BBCの番組プレゼンターなど、カメラの前で涙を浮かべて感情に訴えてようとしている。

だが、泣いたり激怒したり、感情で物事の大きさを表そうとするのは人間として成熟していない。恥ずかしいことだ。映画を観て「メタクソに泣いた」としか言えないやつらと同じ。どれぐらい問題が大きいかは、私が泣いたところを見て察してください、あなたに任せますから、ホラ泣いてるでしょ……というわけだ。
卑怯だと思う。感情を最優先してもらえるんなら、裁判なんて要らない。まずは相手の憐みを買おうなんて、下劣なこと。フェアじゃない。


ミスター慶応、ミスター東大、警官、保育士、今月は性犯罪のニュースが数え切れないぐらい耳に飛び込んできた。性って、やっぱり誰にでも関係があることなんだと、つくづく思う。誰も、性からは逃れられない。

ミスター慶応や保育士たちは、たまたま、異性や子供を支配しやすい立場にいただけだ。僕だって状況次第では、性犯罪をおかさないとは言い切れない。僕の友だちも、仕事仲間も。
人は、誰しも人を犯しうる。殺しうる。「私だけは例外です」というわけにはいかない。恥知らずなのは、「私だけは女性の味方です」と涼しい顔をして自分以外の男を見下しているやつ。僕だってあなただって、女性に加害しうる。まずは、その肉体的事実を認めねばならない。

さもなくば、欧米各国のローマ・カソリック教会のように、聖職者によって数え切れないほどの子供たちが性虐待される事態に対処できない。
映画『スポットライト 世紀のスクープ』で語られていたように、「子育てを街に頼れば、虐待も街ぐるみ」と考えねばならない。弱者を救いうる人間は、弱者を殺しうる。最悪にも最善にもなり得るから、人は生きるに値する。

「オタクどもは性欲にまみれて汚いけど、私は女性の立場を理解しているし清廉潔白です」という人間は、そのへんをスキップして、おいしいとこ取りを狙っている。まるで信用ならない。

「日本は、欧米の性倫理の基準から遅れている」「秋葉原は性犯罪の巣窟」と言いたがるのは、一種の処世術なのだろうと理解している。
自分の人生はもともと冴えなかったのだが、在日韓国人や在日中国人がズルをしている設定にすれば、自尊心の欠如を社会的不平等にすりかえられる――ネトウヨと同じように、目ざわりなオタク文化に自分が負うべき自分の人生の責任をなすりつけているだけなので、萌えキャラがなくなったらなくなったで、今度は別のターゲットを探すだけだろう。

彼らも人生がかかっているから、必死なのである。
本当は、そういう人たちも心穏やかに暮らせる社会が理想だ。

ジンバブエ行きまで一週間を切ったので、今ごろバスを予約したり、空港で過ごすラウンジの場所を調べている。そんなことやらずに、気軽な国内旅行だけですませてもいいんだけど、それではヌルッとした起伏のない人生になってしまい、はやばやと老けこんでしまいそうで怖い。
ジンバブエに、何があるというわけではない。移動が半分以上。ホテルには深夜に着いて、早朝に出なくてはならない。

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2018年10月22日 (月)

■1022■

南雅彦プロデューサーが明かす、「ボンズが20年間もオリジナルアニメをつくりつづける理由」【アニメ業界ウォッチング第50回】
T640_783040このインタビュー記事は、『ひそねとまそたん』のBD-BOXが来月発売なので、個人的応援のつもりで企画したものです。ただ、法人としてのボンズさんにもメリットが必要だと思ったので、「20周年記念展開催の告知も入れますので」と広報の方にお話しして……と、記事を成立させる条件を考えるのが、いちばん面白いです。
そして、南さんの修羅場をくぐりぬけてきた野良犬のようなバイタリティに、ぞっこん魅せられました。この歳でもギラギラしてる人って、本当にいい顔をしてますよね。カッコいいです。


最近、レンタルで観た映画は『ポンヌフの恋人』、『ヴィオレッタ』。それぞれ、公開時に観たきりだった。偶然だが、双方の映画にドニ・ラヴァンが出演している。
Violetta_large『ヴィオレッタ』は、映画倫理機構から「区分適用外」、つまり「審査しないので日本国内で公開するな」と、『ぼくのエリ 200歳の少女』と同様に放置された作品。公開当時は「月刊 創」で配給会社のアンプラグドさん、映倫の大木圭之介委員長(当時)、双方に取材したものです。

いま観なおすと、映画としてはおそろしく稚拙で、映倫の人たちは何を恐れていたのだろう?と、首をかしげてしまう。主演のイザベル・ユペールの下着姿に、グッときてしまった審査委員がいたんだろうな。
3_large「猥褻」という概念は、自分の心の中にしか生じえない。「エッチだ、倫理に反する、見てはならない」と感じてしまう主体は、常に自分だ。その自分の醜さを直視する勇気がないから、誰もが「権力によって罰せられるべき」と責任転嫁する。「児童ポルノ」「性的消費」「18歳未満閲覧禁止」、ぜんぶ権力に判断を押しつける便利な言葉として使い捨てられて、「他でもない、私自身の性欲が歪んでいるのではないか?」と自らを疑う人は少ない。

「欧米に比べて日本は遅れている」、「秋葉原は治安が悪い」、何はともあれ間違っているのは他人であり、優れているのも他人である……と決めておく。改善されるべきは自分ではなく、日本であり秋葉原である。それなら、主体性も向上心も放棄できる。
ラノベの表紙で憤激し、フィギュアのパンツに狼狽し、バルテュスの絵画を見て「児童ポルノだ、禁止せよ」と怯える人々には、何か別の救いが必要だ。
『ヴィオレッタ』を観て、「主演の子がセクシーだ」「かわいらしい」と素直にレビューに書いている人たちは、少なくとも、ストレスなく心穏やかに生きているように見える。


「多分に、怒りの表明という娯楽を楽しんでるんだと思うよ、ご意見を強い言葉で呟く人らは」()、おそらく、そういうことなんだろう。
僕にも、覚えがある。反原発デモに参加していた頃だ。反原発が終わると、次は秘密保護法反対デモだった。原発は今でも止めるべきと思っているが、秘密保護法はなぜ反対しているのか、自分でも分からなかった。みんなで怒鳴っているのが、だんだん気持ちよくなっていったのは確かだ。デモのコールは、いつの間にか「戦争する国、絶対反対」に変わっていた。
Twitterで、「で、次は何に反対したらええんや?」と苛立っている人がいて、ちょっと目が覚めた。デモを何千回くりかえしても、原発はなくならない。原発をやめるには、やめようと主張している僕たち自身が、具体的にコストを払わなければならないはずだ。

正しいと信じれば信じるほど、間違っていく。
原発事故の頃、ひさびさに出会った友人が、「政府が安全だと言っているんだから、安全に決まってるだろう」と、気まずそうに目をそらした。そんな生き方だけは、イヤだと思った。


どんどん話が矮小化していくが……中学校の文化祭で(いや、「祭」は中学生にふさわしくないそうで「文化活動発表週間」と呼ばれていた)、ロックバンドの演奏が禁止されそうになった。
女教師が眉をしかめて、「ロックは禁止、私、ロックはうるさいから嫌い」と言った。僕自身はバンドを組んでいなかったし、ロックも聞かなかった。だけど、「先生が嫌がっているので、あきらめてくれ」と友だちに言うのは、それじゃあ生きている意味がないとさえ思った。だから、辛抱強く職員室で交渉した。

ロックをやっているリア充たちに日和ったわけでも何でもない。彼らの大半は、廣田はアニメ好きで暗くて汚くて、ダサいヤツと思っていただろう。
「なんで教室の隅っこでマンガ描いているようなオタクが、俺たちのために教師と交渉してるんだ?」って、変な顔で見られた。
バンドをやって、女子にモテモテになるのは彼らであって、俺ではないですよ。お前ら、自分のためなんだから自分で戦えよ、とも思った。「なんで教室で愚痴ってるの? 職員室で教師と話そうよ」と言ったおぼえもある。汚らしい、根暗のオタクの分際で、生意気にも。

おそらく、手続きを通して理想を実現しようと、コツコツと実務に励んでいる自分が好きなんだよ。何かに激怒して、相手を罵倒してスカッとした、溜飲が下がったとしたら、それは堕落の合図だね。

(C)Les Productions Bagheera, France 2 Cinema,Love Streams agnes b. productions

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2018年10月21日 (日)

■1021■

広島~呉へ旅行している間、ホテルでスマホを見ていたら、以下のようなツイートが目に飛び込んできた。

“4歳がどうしても欲しいと言うので買ったプリキュアのフィギュア、スカートがめくれ上がっていて角度によって下着が丸見え。驚いてネットのレビュー見たら3体並べて寝かせた写真と共に「パンツは全員白でした」と書いてあるものも。子ども向け玩具がおっさんの性的消費の対象になってるのほんとヤバイ。”(

“春名風花さん、フォロワー多いしあんまりいい加減なこと言わないで欲しいな。このツイートのせいで「フィギュアのスカートを下から覗いた変態おやじのたわ言」みたいにされてしまってるんだがw”(

C912467822

これらのツイートに、旅先だったせいもあり、やや乱暴ながら、私の著書『我々は如何にして美少女のパンツををプラモの金型に彫りこんできたか』のリンクを返信として貼り、同じく美少女プラモのパンツ表現をテーマにした、マチ☆アソビでのトークショーへのリンクを自分のツイートに貼っておいた。

すると、ツイート主さんから「参考になりそうですね」と丁寧な返信がきたので、DMで「旅先なので雑な返信しかできず、すみません」と謝っておいた。
プリキュアのフィギュアに関しての意見も聞かれたが、そこまでバンダイの製品がパンツ丸見えでよろしくないと思うのであれば、バンダイに意見なり質問なり送るしか他にやることはないので、そのように提案した。
また、『プリキュア』シリーズのメインスポンサーはバンダイなので、東映アニメーションの意向に反した製品は出せないはずと申し伝えておいた。その件も、ご理解いただけた。
その後、ツイート主さんがバンダイにコンタクトしたかは、明らかではない。どうも、女優の春名風花さんとの議論に熱中して、いつものようにTwitterの中だけが釜茹でのような状態になってしまったようだ。

結果、バンダイはこれからもパンツを再現したフィギュアを作りつづけ、売りつづけるだろう。


さて先週の旅行中、広島駅で降りて、PARCOを探して歩いているとき、このような巨大な看板に行き当たった。
Kimg2264ドキッとして、あわてて目をそらしたのだが、なんだか大切なことのように思えて、周囲の目も気にせずスマホで撮影した。
下着のセレクトショップ「アンフィ」の広告で、路面電車の行きかう相生通りの交差点を渡りきったところに、ドカンと貼ってあった。高さは、2メートルはあっただろう。とにかく、「うわ恥ずかしい、直視できん!」と目をそらしたことは確かである。

このような下着姿の女性が相生通りを歩いていたら、おそらく誰かが警察を呼ぶだろう。なぜ、この広告が平然と掲示されているかというと、「写真だから」「広告だから」、つまり実物ではない「表現」と認識されている点が、ひとつ。
もうひとつ、下着専門の店舗だとすぐ分かるレイアウトになっているので、なぜいきなり下着姿の写真が貼ってあるのか、文脈が分かるようになっている。「下着専門店が下着の広告を出すのは当たり前」と、理解がいくわけだ。また、広告なので歩行者を振り向かせ、注目を集めなければ意味がない。


Goggleマップで確認してみたが、ようするに下図のような大通りに、いきなり下着の女性の写真があるので、じっくり眺めるのは恥ずかしい。
Bandicam_20181021_115325937似たような下着の広告は、ヨーロッパでも頻繁に見かけた。どこの空港だったか、米国のブランド「Victoria's Secret」の広告があまりに扇情的だったので、こっそりと写真に撮ってしまった。
クロアチアの国道に、ビキニの広告がガンガンに掲示してあったので「さすが、国営のヌーディスト・ビーチが複数ある国は解放的だのう」と、やはり写真に撮った。
その写真を「海外でも、水着の広告は普通にあるよ?」とTwitterにアップしたところ、ある女性から「この男は、セクハラを奨励している!」とのお叱りをいただいた。うん、だからビキニの広告がセクハラだと思うんなら、クロアチア政府に言おうな。俺を叱って、ブロックしたところでクロアチアのビキニ広告は無くならないよ。


いつも、そうなんですよ。Twitterの中で論敵を見つけて、2~3日ほど「私はこう言っているのに、あなたは誤解している」式の煮詰まった議論に熱中して、外部へ情報を探しに行かない。自分と意見の異なる貴重な相手をブロックして議論を切断して、同意見の人たちだけをフォローする。
「結局、どうしたいんだ?」って、いつも思う。今回の件でいえば、バンダイ製のフィギュアを発売中止にしたいとか、今後はデザインを変えてもらいたいとか、実社会で交渉するしかないと思うし、キズナアイの件もそう。NHKのサイトから削除してもらいたいの? キズナアイ自体を活動停止にしたいの? 目的もなければ妥協線もない、分からないから聞いてみよう、調べてみようって人は少ない。社会的ではないし、建設的でもない。

「性的消費はいけない」という。性的消費とは何か? 性欲を解消すること? つまり、自慰行為? 自慰行為を禁止したいの? 僕が下着やビキニの広告を撮ることは、性的消費か? 具体的に何を問題視して、どういう形で解決したいのか、いつも曖昧なまま。
怒りだけがとりとめなく膨張したかと思うと、次の週には去っていて、粘り強く意見を通そうとする人がいない。敵意にもとづく相互監視のような状況が、当たり前になりつつある。
それが、僕にはとても恐ろしい。Twitterさえ見なければ、この社会は平穏なのだろうか。

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2018年10月18日 (木)

■再び広島・呉へ-2■

からのつづき)
呉港に着くと、今回は大和ミュージアムには寄らず、灰ヶ峰の頂上へはタクシーで行くのがベストかどうか、観光プラザで確認する。やはり、素人が徒歩で登るのは無理のようだ。タクシーで片道3000~4000円ぐらいだという。
Kimg2352本当はお名前を書きたいが、たまたま駅前に停まっていた個人タクシーの運転手さんが、とても良い方だった。お父さんが海軍に勤めていて、出征して小倉の病院で亡くなったそうなので、70代後半だろうか。
灰ヶ峰の頂上へ行って、また戻ってきてほしいと言うと、いくつかルートがあるという。「長ノ木」という言葉が聞こえたので、「じゃあ、長ノ木を通るルートで」とお願いした。すずさんの嫁いだ北條家は、長ノ木の尾根にある設定だ。しかし、辰川バス停から先は民家ばかりなので、観光目的で立ち入らないよう、片渕須直監督も公言している。タクシーで通過するのが、ギリギリではないだろうか。

写真を撮る余裕はなかったが、坂道にかけて、古い立派な家がひしめいていた。段々畑も、ちょっとだけ見えた。ある程度まではバスが登ってきているが、それは県道で、頂上への道は呉市の道路なのだそうだ。


駅前から40分ぐらいだろうか、うねうねした細い道を縫うように走って、タクシーは灰ヶ峰の頂上についた。
Kimg2356運転手さんは小さな駐車場にタクシーを停めて、展望台で景色を見ながら、長いこと説明してくれた。『この世界の片隅に』のあらすじも解説してくれたので、僕は知らないふりをして聞いた。ともあれ、ここに劇中にも出てきた高射砲が据えられていたわけだ。

運転手さんからは、実にいろいろな話を聞いた。戦時中までは、軍関係者の家族ら、とても多くの人が住んでいて、広島市に負けないぐらい栄えていたという。今は7月の豪雨の影響もあって、観光客が激減して困っているそうだ。
この方を信用できると思ったのは、僕が勝手に展望台に散らばっている飲み物の空き缶やペットボトルを拾い集めていると、黙って助手席に運び、「私が捨てておきます」と笑ってくれたところ。呉駅ではなくて、辰川のバス停で降りたいというと、まだ目的地ではないのに、メーターを倒してくれた。
Kimg2370 (辰川のバス停には、別のタクシーが客待ちをしていたので、ここまでバスで来てタクシーで頂上まで上がれば、かなり安いのではないだろうか。僕の場合、呉駅~灰ヶ峰~辰川バス停までで計7650円だった。)
しかし、くれぐれも辰川バス停より先へは立ち入らないほうが良いと思う。僕は呉駅へ歩いて降りるつもりだったが、ちょっとした出来心で、9月にも行った三ツ蔵(澤原邸)まで歩いた。


辰川バス停から、電気屋と酒屋のある一本道を降りていくと、交番がある。さらに駅方面へ歩くと「万惣」というスーパーがあり、三ツ蔵はすぐそこだ。先月、近くのバス停から歩いたときは迷ったものだが、今回はすんなり行けた。
Kimg2383円太郎が海軍病院に入院したと聞いた径子お姉さんは、北條家から三ツ蔵前を通過して、線路の向こう側にある病院へ急ぐ。そのカットはオーバーラップして夜になり、径子はトボトボと歩いて帰ってくる。
つまり、あのカットには時間が圧縮されているだけでなく、距離も圧縮されている。どれぐらいの距離がワンカットに込められているのか、現地を知らないと推し量ることはできない。なので、ピンポイントに巡るのではなく、実際に径子お姉さんの通ったはずのルートを、歩いてみようというわけだ。

途中、トイレを借りに市役所に寄ったものの、30分ほどで海軍病院(現・国立病院機構 呉医療センター)に着いてしまった。しかし、辰川バス停より先に北條家があったとすると、トータルで、片道一時間ぐらい歩いたのではないだろうか。当時は路面電車が走っていたそうだから、それなら30分ぐらいだろうか。
Kimg2405駅南側のホテルに荷物を置いてから、午後は映画のラスト近くに出てくる中通や、原作ですずさんとリンさんが花見で出会う二河公園へ歩いてみた。すると、何なとなく町のスケール感が足裏から伝わってくるような気がした。

僕は『この世界の片隅に』の登場人物の心の中には、依然として踏み込むことができない。だけど、監督が世界をどう捉えたかったのか、その片鱗ぐらいは垣間見えたような気がした。
歴史と個人が交差する短い時間を、場所と場所を往来することで表現しようという卓越したアイデアに、ようやく気がつくことができたように思う。

僕は旅先では、二杯ぐらいで酔ってしまうのでハシゴ酒はできないのだが、呉には個性的でおっとりした雰囲気の居酒屋が多いような気がした。夕方になると、ぽつぽつと観光客が飲みに出てきて、ちょっと寂しい呉の町が、少しだけ賑やかになる。

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■再び広島・呉へ-1■

EX大衆 2018年11月号 発売中
51jzyd5l_sx387_bo1204203200_●アイドルアニメとしてのマクロス
全4ページのうち半分はストーリー紹介とキャラクター紹介です。
編集者から頼まれたのは、『マクロス』に至るまでのアイドル歌手を主人公にしたアニメの略史、戦争と歌を同居させる映画についてのコラム。後者については『地獄の黙示録』でプレイメイトが慰問に来るシーンについて書くつもりが、音楽による威嚇と戦意高揚という意味では、「ワルキューレの騎行」をヘリから流すシーンが向いてましたね。


ジンバブエ旅行まで二週間しかないのに、先月()につづいて、またしても広島・呉を旅してきた。朝6時の電車に乗って、広島に着いたのが11時すぎ。やっぱり、近い。
Kimg2265たまたま、『“のん”ひとり展 -女の子は牙をむく-』が広島パルコで開催されていたので、路面電車の一日乗車券を買って、すぐに八丁堀へ移動。『この世界の片隅に』関連の仕事をするにあたり、舞台となった場所を歩いてみることが目的だったのに、すでにポイントがずれてきている。


先月、土浦で行われた“『この世界の片隅に』ロケ地を見よう会・江波編”に参加してからどうしても行きたくなって、路面電車の終点の江波に移動。
江波だけは地図を印刷して持ってきてあったので、有名な松下商店(隣はお好み焼き屋になっている)、すずさんが何度か歩いた太田川沿いの道、映画冒頭カットの江Kimg2278波港、すずさんが水原のために「波のうさぎ」を描いた江波山を回る。江波山気象会館は、月曜のためお休みであった。
江波港は「たったこれだけ?」と驚くほど小さく、なんとなく、すずさんが幼年期をすごしたエリアのスケール感を把握できた。
まるで大林宣彦の尾道三部作のような古くて趣のある民家が残っているかと思ったら、真新しいマンションやピカピカの一軒屋もあり、どこか他人行儀で、それでいて人懐っこいような、やや寂しい町だった。
江波山への階段で、おじいさんが竹か何かの葉を切り落とす仕事をしていたが、僕が通るときに手を休めてくれた。「こんにちは」と挨拶すると、「こんにちは」と返してくれた。

太田川沿いには遊歩道が出来ていて、この川を北上して、すずさんが中島本町へおつかいに行ったのだなあ……とイメージしながら、路面電車で原爆ドーム近くへ向かう。


おそらく、すずさんが川をのぼって中島地区に上陸したのは、この辺りではないか……と想像した地点から、平和記念公園に入ると、すぐそこでは広島平和記念資料館の本館が工事中。東館のみ開館していた。はからずも、消滅する前の中島地区の写真や原爆被害の資料を大量に見てから、中島地区の「跡地」を歩く順番になった。
Kimg2314その経験は、自分の人生では味わったことのない不条理なものだった。
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会さんの発行している『証言 記憶の中に生きる町』を、飽くまでも『この世界の片隅に』の資料として読んだところ、当地に住んでいて生き残った方たちのあまりにも生き生きとした思い出語りに「本当にこの町が、一瞬で無くなったのか?」と、なかなか信じられなかった。原爆などではなく、何か別の事情で町が取り壊されただけじゃないのか……。

資料館には、中島地区がたった一発の原子爆弾で消滅した映像がエンドレスで流れているので、僕は「本当に本当なのか?」「この公園が繁華街だったのか?」と、納得いくまで何度も見た。
まだ信じられない気持ちで外(そこは町じゃない、公園だ)に出てから、映画冒頭のに喧騒に満ちた町のイメージを重ね合わせながら、ところどころに建てられた復元地図のプレートを探して歩くと、「何もないこと」「静かで穏やかであること」が、かえって巨大な暴力として感じられた。
『記憶の中に生きる町』も持ってきてあったので、なるべく分かりやすい角にある場所を探してみた。


すずさんがチョコレートやキャラメルを見ていたヒコーキ堂の跡地に立ってみた。そこは本当に、日本のどこにでもありそうな平凡な公園の一角にすぎない。
Kimg2317(左の写真の場所には、つるや履物店があった。右側には三井生命広島支店の大きな建物があったそうだ……劇中で、子供たちがヨーヨーをして遊んでいたあたり。)
ここから、ふと右へ視線を移すと、「レストハウス」と呼ばれるようになった大正屋呉服店だけが、当時の形を維持している。「あっ」と声が出そうになった。地図を見ると、目の前を本町本通りが走っており、元安橋へとつながっている。

すずさんは、消滅した町並みを歩いてきて、そこは迷子になるほど賑やかだった。そして彼女は、唯一、今でも目にして触れることのできる建物に背をもたせかけた。
『記憶の中に生きる町』を歩いてきて、消えてしまった町の形見のような建物に寄り添うから、あのシーンで『悲しくてやりきれない』が流れたのではないか……。


まっすぐ歩くと、映画に何度か登場する相生橋のTの字部分に出る。しかし、すずさんの幼年時Kimg2320代には、まだTの字になっていなかった(春に『この世界の片隅に』資料展を三鷹で開催するときに知った)。
原爆ドーム(産業奨励館)を真正面から見ようとすると、このTの字部分に立つしかない。『この世界の片隅に』は、つい時系列で見てしまいがちだけど、江波から中島地区へ北上して、東へ大きく移動して呉へ移行し、やがて爆心地へ戻ってくる、地理的な広がりをもった物語だった……と考えると、僕には合点がいく。江波から呉へ移動しようとすると、川を通っても路面電車を使っても、中島本町を通過せざるを得ない。物語の中心に位置しているのが、『記憶の中に生きる町』なのだ。
冒頭で江波から中島地区へ移動して、爆心地となった相生橋ですずさんと周作が出会う流れ(『冬の記憶』)からして、物語の中と外とでは意味の重さが違うのではないか……。
原爆で消滅した町を、わざわざ(読者を)歩かせることに意味があったのではないか。この町をアニメ映画として、「生きた町」として復元することが、漫画が描かれた時点ですでに望まれていたのではないか、予定されていたのではないか……という気すらしてくる。

恥ずかしいことに、僕は「片渕須直監督はさすが凝り性だから、昔の町を徹底再現したんだなあ」程度にしか思っていなかった。
監督は、中島本町を歩くシーンを最初に完成させた。当時を体感的に知る人々が高齢で、次々と亡くなっていくからだ。その方たちに一刻も早く見せたいという感覚は、紙の上だけで資料を睨んでいては、決して得られないものだったろう。
そして、映画は「この町は原爆で一瞬にして無くなりました」とは一言も言っていない。それは観客ひとりひとりが遡るべき事実なのだろう。僕は、二年もかかってしまった。

夕方になってきたので広島城近くのホテルへ移動した。
翌朝は、前回と同じく広島港へと移動して、9時20分のフェリーに乗って、呉へと向かう。

(つづく

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2018年10月 9日 (火)

■1009■

レンタルで、『ベルリン・天使の詩』。大学の頃に観て以来だから、30年ぶり。
Mv5bnjhlyzjjmdmtnja3zc00mgfhlwexntm本人役で出演しているピーター・フォークが、ブルーノ・ガンツの演じる天使に「見えないけど、いるな」と話しかけるシーンは、よく覚えていた。その会話が二度繰り返されることも、はっきり覚えていた。
何者でもない無知な大学生だった当時、どう感じていたのか……。いま観ると、体が震えるぐらい感動する、味わい深いシーンだ。ピーター・フォークは、天使の世界ではなく、人間の世界がどれほど素晴らしいか、短い言葉で語る。「指先に感じる冷たさ。気持ちいいものだよ。煙草、コーヒー。一緒にやれたら最高だ。絵を描くのも、こうして手のひらをこすり合わせるのも、素敵なことでいっぱいだ。こっちの世界に来るといい。僕は友だちだよ」。
ピーター・フォークがひとりで話している間、うしろのホットドッグ屋台の青年が、ちらちらと不審そうに見ている。その冷たい目線すら、とてつもなく贅沢で豊かなものに感じられてくる。


ピーター・フォークの言葉に魅了されたブルーノ・ガンツは、人間の世界に降りようと決意する。そこから先はカラー。一時間半ものあいだ、ずっとモノクロだったが、それは天使の見ている世界だったのだ。天使は、人間の心の声を聞くことができるが、会話はできない。その亡羊とした観念的な世界を、モノクロで描いていたのだ――と、分からせる。

天使の見ている世界は、何も特殊なSFXは使わず、他の俳優がブルーノ・ガンツの存在を無視することで描写される。お芝居だけで「天使がいる」「人間には見えていない」ことを表現している。演技だけで完結しているので、そのアイデアは映画の原理とは無関係だ。
Mv5botc0ntewnzyyof5bml5banbnxkftztyしかし、面白いことに、俳優として役を演じているピーター・フォーク、サーカスで天使の羽をつけて曲芸を見せるソルヴェーグ・ドマルタン。この2人だけが、天使の存在を感じている。「天使役の俳優がいるけど、見えないフリをしているウソの世界」がまず先行していて、その世界でさらにウソを演じている俳優や踊り子たちだけが、天使の存在を信じている。
入れ子構造にすることで、やや苦し紛れな作劇の強度が、内側から保たれている。


とはいえ、90分もの間、これといって筋のないモノクロの散文詩を見せられるのは、やや退屈ではある。映像がカラーになって、ブルーノ・ガンツが初めて「色」を目にして、「時間」を感じるあたりから、目が離せなくなる。ジャケットの格子柄、空き地に置かれた鉄パイプ、コーヒーショップの屋根、ありとあらゆるものが、息を呑むほど美しい。
撮影監督のアンリ・アルカンは、『ローマの休日』など、モノクロ時代の巨匠だ。

かつて、モノクロ・サイレントの世界は映画だけの聖域だった。カラー化・トーキー化によって、その聖域は崩されてしまった。ヴィム・ヴェンダースは、そのことに自覚的だったと思う。同世代の作家としては、初期のジム・ジャームッシュが好んでモノクロ映画を撮っていた。
1930年代後半、アカデミー賞はモノクロ部門とカラー部門に分かれ、1967年からモノクロ部門は消滅する。その頃のアメリカでは、すでにニュー・シネマの時代が到来していた。ネオレアリズモもヌーヴェル・ヴァーグも、過去のものだ。

『ベルリン・天使の詩』は、規律正しく、詩的な言葉に満たされた天使界を描くため、モノクロ・フィルムに文学的な役割を与えた。そこに画期性がある。
そして、カラーで撮られた人間界は、荒々しく混沌とした色彩に溢れている。ヴェンダースは、懐古趣味でモノクロ・フィルムを使ったわけではない。そこが嬉しかった。

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2018年10月 2日 (火)

■1002■

ジンバブエへの旅立ちが一ヵ月後に迫り、仕事が山積みの中、ジーン・ハックマンとアル・パチーノ主演の『スケアクロウ』を、レンタルで。
Mv5bmtiyotaxntgwnl5bml5banbnxkftztyおそらく30歳をすぎてから観たことがあるんだと思う。アル・パチーノが刑務所でゲイに犯されそうになったり、子供を抱えて噴水に入り、変質者扱いされるシーンはよく覚えていた。
こんな異端者を描いたニューシネマなのに、なんとカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞している。この頃のアメリカ映画は、もう超大作でテレビを凌駕することをあきらめて、社会の裏側をシニカルに描いた低予算の映画が増えていく。

冒頭、2人の風来坊が何もない道で出会う。2人は馬が合わないが、タバコの火を借りるため近づくシーンで溶暗となり、軽快なメインテーマが流れはじめると、次のシーンは移動撮影で農家のトラックを追っている。荷台には、あれだけソリの合わなかった2人が、仲良く寝そべっている。「ああ、映画が始まった」と感じる。
カメラは停車したトラックを追いこして、振りかえる。ちょっと雑で前のめりなカメラの動きにさえ、人間くささを感じる。


ジーン・ハックマンは、妻に拒絶されて精神的におかしくなった親友のアル・パチーノを救うことができず、ひとりでピッツバーグ行きの切符を買おうとする。
ところが、少しだけお金が足りない。窓口の女性は後ろに並んでいる裕福そうな女性を先に通す。その間、ハックマンは靴を脱いで、カカトをはがして一枚の紙幣を取り出す。それでギリギリ、切符代に足りる。
カカトを剥がしてしまったので、ハックマンはカウンターに靴をガンガン打ち付けて、靴を直そうとする。その打ち付けている動きの途中で、バツン!と暗転して映画は終わる。

エンドタイトルが流れるのを見ながら、僕は全身が痺れたようになり、ただ呆気にとられた。貧乏なハックマンが靴でカウンターを叩く。カウンターの女性は、冷たい目で彼を見ている。ひょっとして、ハックマンは彼ら異端者を救おうとしない社会に対して怒っているんじゃないか――もちろん彼は、靴を直すためにカウンターを叩いているにすぎない。
「ひょっとして、靴でカウンターを叩くのは怒りの表現なのではないか」と思い当たるまでに、丸一日を要した。


これといって、凝った構図やカットワークが使われているわけではない。単純な切り返しだ。でも、粗野で朴訥な語り口だからこそ、俳優の芝居が生のまま投げ出される。その俳優の芝居を、カメラや編集が救うことはない。無駄に装飾することもない。
そして、演技の途中で、いきなり映画を終わらせてしまう。暴力的といっていい。賢くないし、綺麗でもない。
でも、だからこそ伝わるものがある。文学的な構図や機能的なカットワークが死に絶えたとしても、映画は死んでいなかった。

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