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二重三重に仕掛けがいっぱい、「Figure-rise Mechanics ハロ」に詰めこまれたプラモデルならではの遊び心!【ホビー業界インサイド第40回】(■)このプラモデルは、おそらく模型雑誌も、コアなモデラーたちもノーマークだと思います。
大河原邦男さんに別件でインタビューしに行ったとき、「ホビー事業部のハロは良いものになりましたよ」と、珍しくご自分から商品名を口に出されたので、取材を入れておいて当たりだと確信しました。
ディテールやギミック、細かなアイデアにいたるまで大河原さんが仔細に監修しています。おそらく、プラモデル商品にここまで大河原さんが関与することは初ではないかと思います。MSVですら、こういう関わり方はしてないはずです。
キャラクターの“実在“と“不在”をレイヤー構造で見せる「serial experiments lain」の演出【懐かしアニメ回顧録第47回】(■)編集者からの提案で、『lain』について書きました。
いつものように映像文法的なこと、アニメの画面を成立させているレイヤー構造について書きましたが、それは割とどうでもよくて。このSNS全盛期に、『lain』や90年代末~00年代初頭のアニメを日本のあちこちで見ていた人たちが再会できていることを、夢のような想いで見つめています。
あの頃はダイアルアップ接続も多く、数分間の映像、たとえば『ほしのこえ』の予告編を見るだけでも一苦労だったように記憶しています。当時はフリーライターとゲーム会社の会社員と、二足のわらじで、会社の近くのアニメイトで『ほしのこえ』のDVDを予約したのを覚えています。
会社には、若いプログラマーやグラフィッカーが大勢いて、ほぼ例外なくアニメを見ていました。だけど、みんなが同じアニメを見られていたわけではなく、視聴環境によって見ている作品がバラバラ。だから、口コミで情報交換するしかなかったように記憶しています。
極端に言うと、個性的でない作品なんて一本もなかった。ひとつの作品がひとつのジャンルみたいな感じ。『lain』だけではなく、『灰羽連盟』、『地球少女アルジュナ』、『ベターマン』、『宇宙海賊ミトの大冒険』、『ヒートガイジェイ』、『プリンセスチュチュ』、『∀ガンダム』、どのタイトルを挙げても、似た作品がない。
「こういうアニメ、知ってる?」と口頭で初めてタイトルを聞いて、だけど見る方法がないって、すごく贅沢な時代だったんじゃないか……。
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当時はDVDとVHSが同時に出ていて、どのアニメのソフトを出しても一万枚は堅いと言われていました。詳しい人に聞いてもらいたいけど、2006年をピークに、映像ソフトの売り上げが落ちはじめたと聞きます。
個人的には2005年の『創聖のアクエリオン』が大好きで、超合金の発売にかこつけて「フィギュア王」で連載を始め、河森正治監督と温泉に旅行に行くなど、面白い体験をしました。何より貴重だったのは、ほとんど毎週、河森監督から放送されたばかりのエピソードについて、生で感想やコメントを聞けたこと。
『マクロスF』の取材でサテライトさんに行くころには、そういう自主映画のような親しげなムードは薄らいでいたように思います。
「アニメ批評」という、版権もクリアせず勝手にキャプチャした画像を掲載するデタラメな雑誌があって、僕はWOWOWで全話放映されたばかりの『カウボーイビバップ』の記事を企画したんです。さすがにサンライズの許諾が必要だよな……と、担当者に話しに行ったら、「画像使用料は払ってくださいね、あとは別にいいですよ」とロクに中身も見ない(笑)。
今だったら、三重ぐらいに製作委員会のクロスチェックが入って、原稿が真っ赤になって返ってきます。みんな、原稿に赤を入れて「相手の自由にさせない」ことを、仕事だと思い込んでしまっている。
だから最近、アニメ関連の仕事は面白くないです。僕が自主的にやりたくて、先方からも感謝されてる作品って『RWBY』と『ゼーガペイン』ぐらいだと思う。それ以外の、流れ作業のように請け負ったアニメの仕事で、たとえ原稿が真っ赤に修正されようと、僕はもう見ないです。もっと面白い仕事が、他にいっぱいあるから。
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95~97年にかけて『新世紀エヴァンゲリオン』がテレビから映画に進出して、『エヴァ』に追いつけ追いこせのムードもあったと思う。それから10年ぐらいの間に光り輝いていて、今なくなってしまったものって、意外と大きいんじゃないだろうか……。
作品の出来不出来ではないです。もしかすると、一本一本の作品を語る僕たちの言葉が、強くて自信にあふれていたんじゃないか。この作品の良さを伝えられるのは自分だけなのだから、堂々としてないとへし折れてしまう。当時の掲示板って、そういうムードがあったような気がする。今よりはネットの符丁も少なくて、「神アニメ」みたいな他人まかせの言葉もなかった。
『lain』なんてダウナーの極みだし、暗い作品も多かったと思う。でも、ネガティブではなかった。どんな絶望を描いていようと、一本にかける熱量は計り知れなかった。
おそらく今は、製作委員会が広報活動によって「こういう層に、こういう受け方をするように」と、コントロールしようとしすぎるんじゃないかな……。それで、SNSで話題にならなかったら、もう失敗なわけでしょ? ようするに、人を信じてないんだ。
90年代末~00年代初頭って、ネット環境はお粗末だった。衛星放送を見る方法も、よく分からなかった。でも、情報が行き届いていなくて、不透明であるがゆえに、世界を豊かに感じられていた。
今のほうが人権意識も高くて、各方面に配慮が行き届いているはずなのに、すぐにゴールに着いてしまうというか、奥まで鮮明に見渡せてしまう。本当に面白いものは、ひとりひとりが嗅覚で探して当てるしかないんでしょうね。
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