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2018年10月 9日 (火)

■1009■

レンタルで、『ベルリン・天使の詩』。大学の頃に観て以来だから、30年ぶり。
Mv5bnjhlyzjjmdmtnja3zc00mgfhlwexntm本人役で出演しているピーター・フォークが、ブルーノ・ガンツの演じる天使に「見えないけど、いるな」と話しかけるシーンは、よく覚えていた。その会話が二度繰り返されることも、はっきり覚えていた。
何者でもない無知な大学生だった当時、どう感じていたのか……。いま観ると、体が震えるぐらい感動する、味わい深いシーンだ。ピーター・フォークは、天使の世界ではなく、人間の世界がどれほど素晴らしいか、短い言葉で語る。「指先に感じる冷たさ。気持ちいいものだよ。煙草、コーヒー。一緒にやれたら最高だ。絵を描くのも、こうして手のひらをこすり合わせるのも、素敵なことでいっぱいだ。こっちの世界に来るといい。僕は友だちだよ」。
ピーター・フォークがひとりで話している間、うしろのホットドッグ屋台の青年が、ちらちらと不審そうに見ている。その冷たい目線すら、とてつもなく贅沢で豊かなものに感じられてくる。


ピーター・フォークの言葉に魅了されたブルーノ・ガンツは、人間の世界に降りようと決意する。そこから先はカラー。一時間半ものあいだ、ずっとモノクロだったが、それは天使の見ている世界だったのだ。天使は、人間の心の声を聞くことができるが、会話はできない。その亡羊とした観念的な世界を、モノクロで描いていたのだ――と、分からせる。

天使の見ている世界は、何も特殊なSFXは使わず、他の俳優がブルーノ・ガンツの存在を無視することで描写される。お芝居だけで「天使がいる」「人間には見えていない」ことを表現している。演技だけで完結しているので、そのアイデアは映画の原理とは無関係だ。
Mv5botc0ntewnzyyof5bml5banbnxkftztyしかし、面白いことに、俳優として役を演じているピーター・フォーク、サーカスで天使の羽をつけて曲芸を見せるソルヴェーグ・ドマルタン。この2人だけが、天使の存在を感じている。「天使役の俳優がいるけど、見えないフリをしているウソの世界」がまず先行していて、その世界でさらにウソを演じている俳優や踊り子たちだけが、天使の存在を信じている。
入れ子構造にすることで、やや苦し紛れな作劇の強度が、内側から保たれている。


とはいえ、90分もの間、これといって筋のないモノクロの散文詩を見せられるのは、やや退屈ではある。映像がカラーになって、ブルーノ・ガンツが初めて「色」を目にして、「時間」を感じるあたりから、目が離せなくなる。ジャケットの格子柄、空き地に置かれた鉄パイプ、コーヒーショップの屋根、ありとあらゆるものが、息を呑むほど美しい。
撮影監督のアンリ・アルカンは、『ローマの休日』など、モノクロ時代の巨匠だ。

かつて、モノクロ・サイレントの世界は映画だけの聖域だった。カラー化・トーキー化によって、その聖域は崩されてしまった。ヴィム・ヴェンダースは、そのことに自覚的だったと思う。同世代の作家としては、初期のジム・ジャームッシュが好んでモノクロ映画を撮っていた。
1930年代後半、アカデミー賞はモノクロ部門とカラー部門に分かれ、1967年からモノクロ部門は消滅する。その頃のアメリカでは、すでにニュー・シネマの時代が到来していた。ネオレアリズモもヌーヴェル・ヴァーグも、過去のものだ。

『ベルリン・天使の詩』は、規律正しく、詩的な言葉に満たされた天使界を描くため、モノクロ・フィルムに文学的な役割を与えた。そこに画期性がある。
そして、カラーで撮られた人間界は、荒々しく混沌とした色彩に溢れている。ヴェンダースは、懐古趣味でモノクロ・フィルムを使ったわけではない。そこが嬉しかった。

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