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2018年7月14日 (土)

■0714■

11月1日(木)から11月10日(土)まで、ジンバブエに旅行することにした。
途中、北京とヨハネスブルグで丸一日も過ごさねばならず、トランスファーでスーツケースを下ろしてもらうにはどう手続きすればよかっただろう、いくらぐらい換金すれば知らない街で1日つぶせるだろう……と不安な要素がいっぱいなのだが、旅行の計画は熱中できて、達成感もある。一年に一度は行くべきだと思っている。


海外旅行といえば、この前、奥さんと子供を連れた西洋人の男性が「ラーメン屋を探してます。この近くにあると思うんだけど」と、英語で話しかけてきた。幸い、すぐそこに店があったので、「ここですよ」と案内して、笑顔で別れた。
僕は旅先では、よく道を聞くし、聞かれもする。特に女性に話しかけられることが多い。「写真を撮ってください」とか、俺みたいな一人旅の男に頼んで大丈夫かいとは思うんだけど、そうやって日本社会での「自分のキャラ設定」がキャンセルされるのが、海外旅行の楽しさだ。


先日のブログ記事()は、やっぱり奥さんと子供のいる若い編集者には理解してもらえなかった。そして、カナダで起きた無差別殺人についてドキリとする記事を見つけてしまった。

不本意の禁欲主義者――「インセル」たちの知られざる世界

僕たち(とあえて複数形で言う)が救われている(彼らのような犯罪者にならずにすんでいる)のは、アニメや漫画などの二次元娯楽で性的願望を完結させたり、プラモやミリタリーなど知識や技術の優劣が問われる世界で、そこそこの優越感を保てているからだと思う。趣味嗜好が許されていなかったら、コンプレックスにまみれた「インセル」のようになっていたのかも知れない。

エロ漫画の中には、確かに反倫理的で暴力的なものも含まれる。だが、紙の上、モニターの中で完結している。社会と説点をもたない“閉じた”娯楽は、僕らの内面を無限に解放する。部屋でひとりで眺めているものが、具体的にどんな内容であるかは、他人がとやかく言うべきではない。心の形は、ひとりひとり違う。
だからやっぱり、いかなる形の表現も作ったり見たりすることが保証されているべき。反吐が出るようなグチャグチャのエロ漫画であっても、それを見る人間の心が満たされるのであれば、「人の役に立っている」はずだ。
欲望に正も邪も、汚いも綺麗もない。


僕はFacebookで、小学校時代で同じクラスだった女子(今は誰かの妻でありお母さんでもある)が日々の暮らしについて書き綴っていて、「そうか、良かったじゃないか」と思っても、決して「いいね」ボタンは押さない。
たぶん彼女たちは、どういう理由からか結婚もせず、いまだにアニメとプラモのことばかり本に書いている中年男から「いいね」と言われても、気味が悪いだけだろうから。

あと、Facebookに誕生日は登録していない。システムが「今日は廣田さんの誕生日です!」と告知しても、誰ひとり祝ってくれないと分かっているから。
なぜこうなったのかは、分からない。12年前の離婚から、解放感に満ちた第二の人生が始まった。キャバクラやガールズバーで、毎日のように朝まで飲んだし、お店の子たちと映画や演劇、カラオケによく行ったものだった(彼女たちにとっては仕事の延長であっても、それを理解したうえで遊ぶのが楽しかった)。

プライベートでも、異性との交遊がなかったわけではない。自分から行動すると、こっぴどくフラられるのだが、向こうから好意をもってくれる女性は何人かいた。
彼女たちは7年前、母が殺されたときも精神的に支えてくれた。感謝している。
しかし、もしかすると、その時からだろう。「他人には理解不可能な領域」が、僕の心の中に生まれた。女性に抱きしめられても、満たされない。母が殺された、救えなかった。父が人殺しになってしまった。僕にも、人殺しの血が流れている。
荒っぽい言葉でいうと、それは罪悪感だ。それだけは、僕を慕ってくれる女性に分かるはずがなく……むしろ、人殺しの息子は危険だ、近づかない方がいいと思われてるんじゃないのか? だから、たとえFacebookであっても同世代の女性たちの穏やかな生活に、家庭崩壊を体験した僕が汚点を残すべきではない。……何か間違っているだろうか?


今年はライター生活20年で、信じられないぐらい仕事が楽しい。上手くいかない仕事をパージして、堅実に信頼関係を築いていった成果が出てきている。あと10年間は、このボーナスステージで楽しみたいと思っている。

もし仕事がここまで楽しくなったら、離婚と母の死から生まれた孤独と闇に飲み込まれていただろう。

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コメント

いつもブログを拝見しております。「インセル」の記事を読むと、自分にも当てはまる部分が多くあり、救われていたのはアニメや仕事のおかげだったのだなと改めて思いました。

他人への生物的、社会的な劣等感から心を守るセーフティーネットだったのでしょう。

私は些細な事に我慢できず、好きだった仕事を失いました。それからは無気力と劣等感により、引きこもり生活を送っています。そんな中で廣田さんの「仕事が楽しい」という記事が目に入った時は嫉妬が起こるかと思いきや、むしろ「温かな」な感情が沸き上がりました。他人の人生に穏やかな気持ちになれるなんて、廣田さんの文章には人を優しくする力があるのかも知れないと、どこか安らかに感じたのを覚えています。

中学生だった頃、私は学校にも家にも居場所が無く、アニメを見て、日々を耐えることしか出来ませんでした。大学に進学してからは自由を楽しみましたが、今は好きなものを心から楽しめない現状に苦しみを覚えています。好きなものを楽しみたい、誰かの役に立ちたい、交流したい・・・自分の欲望に押しつぶされそうです。生きるのは苦しいですね。

私は廣田さんの書く文章が好きです。感動や興奮とは違う、どこか優しいものを感じます。そこがとても好きです。なので、これからもブログを更新頂ければ幸いです。手前勝手な話ですが、生きる力をもらえると思うので。

長文、大変失礼致しました。

お忙しいでしょうから、返信はなさらずとも構いませんので。私も人生を良いものに出来るように、出来ることをしたいと思います。

ありがとうございました。

投稿: amano | 2018年7月14日 (土) 19時30分

■amano様
こんばんは、コメントどうもありがとうございます。

インターネットの世界は、どこも他人より優位に立ちたい、誰かを賤しめて優越感を得たいムードでいっぱいで、仲間を探すような雰囲気ではなくなってしまいました。ですので、このブログは避難所のつもりで、数人ぐらいの方たちに読んでいただければいいや、と思って書いています。いつも必ず読んでくださる方は百人に満たないです。誠意が伝わるのは、それぐらいの範囲内であって、互いに互いの自由を尊重できれば十分だと思っています。

amanoさんはとても嬉しいことを書いてくださっていますが、人の役に立てているとも思って書いているわけではありません。amanoさんの心の中に、もともと大らかで優しい部分があったということでしょう。痛みを知らないと、こうまで落ち着いた澄み渡った文章は書けないはずです。
他人を支配しない、だけど他人の痛みを分かろう(喜びを分かろう)とする誠実さは、一生かけて手に入るか入らないかぐらい大事な宝物です。これからも大事になさってください。

amanoさんのような方に読んでいただけて、コメントもいただけて、書き続けてよかったです。「もう廣田はダメだな」と思ったら、もちろん読みつづける義務はありません。誰かを従わせたいわけではないからです。ここまで書かずともお分かりいただけると思いますが、嬉しかったのでつい書きすぎてしまいました。
良い人生をお過ごしください。ありがとうございました。

投稿: 廣田恵介 | 2018年7月14日 (土) 20時47分

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