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「リップスティックのプラモデル」は、誰がどんな理由で開発したのか? リサイクル事業の“日本環境設計”が、その秘密を知っていた!【ホビー業界インサイド第36回】(■)一体どういう経緯で開発された商品なのか気になって、取材をお願いしたところ、かなり意外な顛末を聞けました。
プラモデルの話題は、つい「このように作ろう」「こんな風に楽しもう」とエンドユーザー側で閉じてしまいがちです。それは他の人にまかせて、プラモデルが社会とどう折り合いをつけて居場所をつくっているのかを、僕は取材していきたいと思います。
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金曜日は『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』の初日、吉祥寺オデヲンにて、旧友と。
ミレニアム・ファルコンの外装がどう変化していくのかを期待して観にいったのだが、単に無理な飛行をしてボロボロに壊れるというだけで、アッと驚く変化はなかった。しかし、メカニックのコンセプトは優雅で品があって、冷たさすら感じさせるほど洗練されており、それも劇映画の思想の示し方だろうと感じ入った。もうひとつ、旧三部作の根底に流れている自由への希求、解放と反乱が、そこかしこに見受けられた。
特にドロイド解放運動家のL3-37の存在は、存在自体がパロディであり風刺であり(“彼女”の上腕はR2-D2と同じパーツだ)、シリーズの裏側に見え隠れしていたドロイドに対する不当な扱い(たとえば酒場の主人はドロイドを入店させないし、C-3POは設計者から途中で放棄されて記憶を消去され、一度はバラバラに解体されてしまった)を炙り出していて、興味深かった。
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以前に、ジャージャー・ビンクスを無声映画時代の「登場人物の細々とした内面描写や長々とした科白回しから離れて、純粋な身体の運動を映像としてとらえ続けていたいという欲望」と絡めて語ったことがあった(■)。L3-37はジャージャーと同様、CGモデルによる置き換えを前提に演じられたキャラクターだ(左の画像引用元は■)。別にスーツメイションでも構わなかったはずなのに、どうしてCGキャラにしたのだろう? チューバッカと差別化する意図が大きかったと思うが、作り手の意図など超えたところで、CGで描写されたキャラクターやメカニックは、劇映画ジャンルで独特の地位を占めつつあるのではないだろうか。
劇中、「ドロイド・プロレス」で人間たちに戦わされている箱のようなドロイドたち。あれはスーツメイションだったと思う。
彼らを「ドロイドとしての誇りを持ちなさい」と啓蒙するL3は、CGキャラなのである。そして彼女は、奴隷として人間を管理していたドロイドの制御ボルト(このガジェットを文芸レベルで扱ったのは本作が初ではないか)を外して、ドロイドと人間の両方を解放する。人間の俳優とスーツメイション、あるいは単なるパペットのドロイドを解放するのがCGキャラ……ここには、「物語」とも「テーマ」とも違う、別のドラマが生じているように、僕には見える。
L3は「登場人物の細々とした内面描写や長々とした科白回し」から映画を解放する、「純粋な身体の運動」そのものなのではないだろうか? 彼女の(解放)運動を純粋に視覚化するために、ひょっとすると生身の身体は邪魔なのかも知れない。
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似たことが、CG製のミレニアム・ファルコン、いや物理的に模型として作られたミニチュア全般にも言えるような気がする。それは観客を騙す目的の“作り物”が劇映画の中でどんな役割を果たしてきたか、という遠大な話になってしまうので、ここでは避けよう。
「面白かったか」「感動したか」だけで映画の価値が決められるのは、SNS時代では仕方のないことだ。だけど僕は、網膜に映っているのに「見えていない」ものとして処理されているレイヤーの話をするのが好きだ。
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