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2018年6月23日 (土)

■0623■

月刊モデルグラフィックス 8月号 25日発売
●組まず語り症候群68回
ICM製のT型フォードと女性整備士3体のセットを取り上げています。来月から担当者が変わるので、またちょっと別の方向へ向かいそうな感じです。

月刊ホビージャパン 8月号 25日発売
A14x3svxcl_2●マックスファクトリー1/20ガウォーク
巻頭特集にあわせて、企画担当者にインタビュー。現場に真っ白なテストショットしかなかったので、あえて素組みの同スケールのミンメイを立たせて、グラフィカルな写真でページ構成しました。

●『ひそねとまそたん』16ページ特集
作品解説、キャラクター解説、各話解説、各メーカーの動向、合わせて4ページを手伝いました。
他のページは、岐阜基地への取材、実際のF-15パイロットへのインタビューなど、作品への興味をしっかりと誌面に根づかせた堅実な企画ばかりで、最終回直前に見るには、うってつけの内容です。

いつでも誰かが誰かの代わりをしている――「カウボーイビバップ」の熟成された作劇【懐かしアニメ回顧録第43回】
いつもは構図や演出のことを書いてますが、今回はシナリオに寄った部分です。
「お話」は感性に頼った、情緒的なものだと思われているでしょうが、シナリオは計算の塊です。シナリオの入門書を手にとってみてください。徹頭徹尾、ロジックです。僕の不得意分野です。
だから、この『ビバップ』の記事も、今ひとつ腑に落ちないと思います。フェイが銃を抜くのとスパイクが銃を抜くのは、ほぼ同時刻です。それまでの情報の蓄積、何を伝えて何を隠しているか、もっと厳密に測るべきです。何となくカッコイイ、ではなくて。


シナリオでは誰と誰が出てきて、舞台はどことどこで……と、物語の概略が見積書のように網羅されます。
ようするに、文字を読めば分かるような「物語」が一度、シナリオで完成するわけです。いったん完成したところから、カメラで撮る行為を「また新たに」始めないといけないのです。それだと戯曲と何も変わらないので、だいたい何を話すかだけ決めて、アドリブでカメラを回す監督が伝統的にいます。ジョン・カサヴェテスがそうだし、ヌーヴェル・ヴァーグやネオレアリズモ、彼らの発明を無意識に継承している作家は、今日でも数えきれないほどいます。

僕は、この2018年にアニメーションを題材に、シナリオの論理や演出効果などの分析をやることの空虚さを感じています。社会の中でのフィクションの位置づけが劇的に変わってしまったのに、1996年の『エヴァ』ブームの頃のような、テレビアニメの再評価、再整理、映像作品として価値を測り直す行為を、なんとなく惰性で20年も引きずっている感覚が、僕の中にはあります。
ホビージャパン誌で「各話解説」なんてものを書きましたが、わざとBOOKがどうとか、音響効果がどうとか、カメラの画角が、背景の筆のタッチが……と、文学的な評価をしないように努めました。セリフやシーンから、テーマやメッセージを読み解く試み自体が、あまりにクラシカルで無意味だから。


いや、本当は無意味ではなくて、「どうして泣けるのか」を上手に説明して、「それで俺はあんなに感動したのか!」とネット上で納得することには意味、価値がある。レビューなり評論なりの中身ではなく、手っ取り早く「そうだったのか、やっぱり神アニメだな!」と盛り上がること自体に価値がある。
「映画を一緒に行った友だちが引くほど、声を出して泣いた」「3度、いや4度、号泣した」「泣きすぎて席を立てなかった」とSNSに書くことに、おそらく価値があるんです。バカにしているのではなく、「こんなに凄い体験をした」「猛烈に感情が揺さぶられた」と不特定多数の他人に宣言することが、強く求められている。

僕がヒッチコック映画や黒澤映画の構図の完成度、カメラワークの必然性に言及するのは、考古学のようなものだし、もう死んでしまった研究家たちがたどった道です。だから、誰も共感しない。
最速で最新の映画を観にいって、誰よりも激しく感動を表現すること。「くわー泣いたー!」と、どのタイミングでツイートすれば「いいね」を押してもらえるか、そのノウハウを教える講座があったら、意外と面白いんじゃないかと、割と本気で思ってます。


ロジックでもなく、考古学的な演出解析でもなく、「このうえなく激しい体験」として映像作品が望まれているのだとしたら、4DXだのMX4Dだのも分かるんですよ。再現性に乏しい、期間限定の上映形式だから。

80年代、ぴあを抱えて名画座通いをしていた僕のような世代は、ぎりぎりクラシカルな映画評論に楽しみを見出せます。映画評論的なアニメ評論を読んでみたい、書いてみたいとも思います。だけど、それは20年前にも頑張ればやれたことだろうし、20年前は豊富に読めたような気もします。
あの時代に豊かな評論を読めた人たちは、「あれと似たようなものを書けばそれっぽくなるはずだ」と思い込んでしまっている。僕は書きたいから書いているけど、時代に響かないですよね。それを自覚しないと、仕事としては無益なことを重ねてしまいます。

僕はアニメ媒体からは剥離しつつあって、本当に信頼しあえる人たちと、やや変わった環境に仕事の場を固めつつあるから、それで気がつけたのかも知れません。

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