プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その8
8 スポーツカー
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彼女は、子供のようにハンバーグやスパゲティを注文し、最後に色んな形のチョコレートの乗ったパフェを注文した。たぶん、僕が「ゲッ」って顔をしてしまったせいだろう、彼女は開き直るように両手をテーブルの上で組むと、
「だって今日、誕生日なんですもん」
子供のように、首を突き出す。僕はその仕草を見て、声を出して笑った。勝手に笑いがこみ上げてきたのは、どれくらいぶりだろう。なのに、彼女はバカにされたと勘違いしたのだろう、
「六月十七日。本当ですよ。二十七歳」
ふてくれさたように言う。彼女のこすり合わせた手も、控えめに閉じられたまつ毛も、何かをねだっているように見えて仕方ない。とても、あさましい。女ってのは、つくづく卑怯だと思う。でも、この場に居合わせたのが、運のつきだ。
「そうか、オーケー。分かったよ」
そう言うと、彼女は、ようやく顔を上げた。まったく同時に、チョコの満載されたパフェが運ばれてきた。気味が悪いくらいに、タイミングのいい日だ。こうやって、何かが沸点に達した瞬間、後は覚めていくしかない。僕は何とかして、そのピークを持続させようとあがいた。どうせ落ちるなら、出来るだけ高いところから落ちたい。
「えっ……それ、大事なんでしょ、今池さん?」
僕は、かつてハネダ模型店が代理店になった「1/35 ガンヘッド」の箱を開けた。ビニールを裂く。「あーっ」と、彼女が間のぬけた声を上げた。「ちょっと臭うから、離れていて」と僕は、テーブルから彼女を離す。付属の接着剤を使うからだ。これは体に良くないからな。工具はない。パーツを手でもぐ。こんな方法でも、子供の頃は上手く組み立てられた。まして、二十年後の僕に出来ないわけがない。今の僕に、出来ないことなんかない。何だって出来る。バカだと思うだろう? でも、誕生日の女の子を目の前にして、何もしてやれない男の方が、もっとバカだ。どれだけ痛い目にあっても、僕はそう思う。
「こうして間近で見ておけば、店に来るガキたちに教えやすいだろ」
さすが海賊版、パーツ数は少ない。彼女がブラウニー・サンデーを食べ終わる頃には、形になっていた。
「ガンヘッドくん、スタンディング・モード。そら、プレゼントだ」
「わぁ」と大げさに驚いた羽田さんの指の間から、パーツが落ちる。ノーズセンサーの先端だ。接着剤が少ないか、十分に乾いてないせいだろう。
「ほらね……やっぱり、もらえないよ」
彼女が、パーツを拾いながら言う。
「これ、貴重品。倉庫でも一個しかなかったんだよ」
「最初に買ってもらったプラモデルは」
彼女の手に、ガンヘッドを戻しながら、
「赤いスポーツカーでね。祖父がトンカチでゼンマイに車輪を打ち込んでくれた。何度も同じキットを買ってもらって、そのうち、僕もトンカチで真似するようになった。今、あの時の祖父のような気分だ。何とか伝えたいんだ。模型の面白さをさ」
それは本当のことだが、彼女が瞳を潤ませているのは演技だった。演技でも構わない。君には、一生、分からない。僕らがハイエナのように絶版キットを探す理由が。完全に無益な行為に思えるだろう。君のお爺ちゃんがどう言ったかは知らないが、女の子はプラモデルをつくらない。喜ばない。知っている。初めから、分かっていた。最初からボタンをかけ違えていた。だから、トモタカ夫婦のもとで、あんな風になった。この世には、交われない線もある。交われなくても、文句を言うな。
僕は「トイレに行く」と嘘をついて、こっそり勘定を払い、ファミレスの外へ出た。外は真っ暗だ。僕はネクタイをゆるめ、昼間の余熱の残るアスファルトを歩きはじめた。
僕は、カッコをつけた。ぶん殴られたボクサーが、まだ負けてないって顔をするみたいに。あれだけ探していた絶版キットを、恋人でもない女にくれてやった。自分に酔った。酔いしれた。自己陶酔は、奈落への一本道だ。
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(つづく)
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