プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その7
7 ハネダ模型店
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着替えている途中で気がついた。あんな近所に行くのに、どうして着替える必要がある? ユニクロの一番高いシャツに何の意味があるんだ。これは取り引きだ。クールに立ち回らねば。確か、スーツがあったろう。就職活動の時のやつ。もう、これでいいだろ。あれこれ悩むのもバカバカしい。
そして、僕は紺色のスーツを着て、ハネダ模型店に向かった。どうせ、閑散としてるんだろ? 営業努力もしてないんだろ? 派遣社員だものな。平凡な派遣社員の道楽じゃないか。こっちも道楽といえばそうなんだが……とにかく、毅然として行け。ガンヘッドさえ手に入れば、もう二度と行くことはないのだから。全力で立ち向かおう。
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まず驚いたのは、小学四年生ぐらいの子供たちが店から飛び出してきたことだ。手に、あの、何だっけ、ストーラリー・ガンダムだか何だかの安そうなやつを持っている。あんな新しい製品、入荷するようになったのか。何てこった、店の前に最新のガシャポンまで置いてあるぞ。
「わあ、営業の人みたい!」
何ヶ月ぶりかは分からない。それでも、彼女は綺麗だった。髪が少し伸びた。暑いせいか、それとも仕事の邪魔になるせいなのか、伸びた髪をラフにピンでまとめ上げている。そして、埃の匂いの中、かすかにあの香水のかおりが僕の鼻先をくすぐるのだった。
待て、今はそれどころじゃない。とにかく『ガンヘッド』だ。僕は本能を押さえつけ、クールに事情を説明した。
「ガ、ン、ヘェッ、ド」
羽田さんは、初めて会った時と同じ手帳に、あの時のように声を出しながら書き込んだ。それから顔を上げると、
「倉庫を見てきますから、すみません、お店、お願いしちゃいますね?」
別人のようにきびきびしている。マイペースなところは相変わらずだが、ちょっと見直した。
そして、彼女が出て行ってから、しみじみ思い出した。ノースリーブのワンピースからのぞいた二の腕のまぶしさを。そうか。もう、そんな季節か。よく見ると、店内では扇風機が回っている。お爺ちゃんの代から使っているのか、近ごろ見ない壁掛け式だ。
ガラッ、と鈍い音がして、あの懐かしいタミヤ・マークのガラス戸が開いた。中学生ぐらいだろうか。ガシャポンのための両替だった。それぐらいなら、お安いご用だ。僕は財布から小銭を取り出すつもりが、札しかない。
「悪いけど、ちょっと待っててくれる?」
いつもは近く感じるコンビニが遠い。タバコ屋か。タバコは吸わないけど、一番安いのを千円札で買った。よし、百円玉、五個だ。彼女も、いつもこんな苦労をしてるんだろうか? ハネダ模型店は優良店だ。ネットの相場になんか左右されないし、これだけお客がついたのも……きっと、彼女が勉強して、努力したからじゃないか。そう考えると、恥ずかしさがこみ上げてきた。
そして、すっかり外が暗くなってから店に飛び込んできた彼女は、右手にしっかりと「1/35 ガンヘッド」の箱を持っていた。汗に濡れた額に、髪がひっついている。何も、そんなに急がなくても……案外、たいした女だよ。君は。
「定価、九百円になります」
僕は千円札を彼女に渡すと、「ありがとう」と言いかけて、ネクタイを直した。僕は、チェスの駒をひとつ戻した。
「羽田さん。お釣りは、結構です。それより、お茶をおごらせて欲しい」
彼女は白い腕で額をぬぐうと、飾り気のない笑顔で一言。
「お茶っていうか、ご飯にしません?」
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(つづく)
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