プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その2
2 ウェアパペット
■
■
バイファムで、良かったのだろうか? 問題は、そこだ。
何も決定的なことを口にしなければ、僕は二度とあの店に行かなくてもすんだ。「バイファムを探しています」と言ってしまったばかりに、彼女には店員としての義務が生じ、僕は店に確認しに行かなくてはならない。昨夜のことを、甘くちっぽけな思い出として忘れ流すことが出来なくなってしまったのだ。「いいお店ですね。また、来ます」とか何とか、曖昧な言葉で誤魔化しておけば、もっと緩い関係が保てたのではないだろうか?
後悔に近い気持ちのまま、ガード下をくぐった。
バイファムのキットなんて、もう二十年も生産してないはずだ。「すみません、ありませんでした」と謝る彼女の姿が、目に浮かぶ。メモまでとってたのに、そりゃあ可哀相だ。
もし仮に見つかったとしても、『銀河漂流バイファム』ってロボット・アニメだよな……。「ブリタニア号」は宇宙船だから、まだ大人っぽいけど、ロボットのプラモデルを探してる三十代って、幼稚すぎないか?「小さい頃、オヤジに買ってもらったんですよ。懐かしいなあ」と言い訳しようにも、逆算すれば、当時、中学生であったことがバレてしまう。『ヤマト』あたりにしておくべきだった。それなら、「当時は小学生でした」で計算も合うし、そもそも『ヤマト』はロボットじゃなくて、宇宙船だからな。宇宙船なら、恥ずかしくない。この歳でロボットってのは、ちょっと痛々しいんじゃないか……そんなことを考えながら歩いているうち、店の灯りが見えてきた。
■
■
「バイファム、ありましたよ」。
店の奥で、彼女は満面の笑み。僕の足元のあたりを、指差している。ああ、入り口近くに置いといてくれたのか。気がつかなかった。この箱絵の丸っこいロゴ……間違いなく、『バイファム』だ。でも、これはロボットじゃなくて、何だっけ、宇宙服だ。「ウェアパペット」という、主人公たちの着る宇宙服なのだ。脇役中の脇役。まあ、ロボットのような外観はしているけど、ぎりぎりロボットではない。しかし、こんな脇役ではなあ……。
いや、ここで失望してはダメだ。目をくわっと見開いて、
「あ、あったんですか!」
オーバーに叫ぶ。
「倉庫探したら、見つかりました。ひとつだけですけど」
彼女は、リスのような前歯で下唇をかんでいる。得意そうなとき、こういう顔をする女の子って、いる。だけど、彼女の場合、両頬にえくぼが出来るところが特別な感じがした。
「じゃあ、これ、ください」
いかにも興奮したように、両手で箱を持ち、彼女に向けて差し出す。
「三百円になります」
彼女は値札も見ずに、言った。おそらく、僕が買うのを見越して、値札を確かめてあったんだろう。二十年前と同じ値段だ。古いオモチャ屋を渉猟するようなマニアとは、無縁の店なのだ。
「良かったですね」
彼女は、包装紙にくるまれた「ウェアパペット」を僕に差し出した。包装紙といっても、今どき見かけないような唐草色の薄い紙で、輪ゴムで止められていた。箱の横側は丸見え、プラモデルを買ったことがバレバレだ。だが、そんな包装の仕方が、あの頃は当たり前で……それを、僕より若い女の子が、手際よくこなすのを見て、何だか懐かしいような気持ちになり、僕は硬貨を彼女の小さな手の中に落としながら、呆然とつぶやいた。「ありがとう」、と。その言葉が、さっきまでの緊張をきれいに拭い去ってくれた。
何か値段に釣りあわないほど貴重なものを内緒で手に入れたような、人に言えない秘密を聞かせてもらったような不思議な高揚感のまま、プラモ箱の堆積層の間を出口に向かって歩いた。僕がタミヤのステッカーの貼られたガラス戸に手をかけた瞬間、それは起きた。彼女は小さな声で「売れた!」と叫んで、僕が振り返った時には、店内の床に着地したところだったのだ。
僕は、チェスの駒をひとつ、前へ進めることにした。つまり、歓喜のジャンプを僕に目撃された彼女を、お茶に誘ったのだった。
■
■
(つづく)
| 固定リンク
コメント