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立川シネマシティで、『シェイプ・オブ・ウォーター』。
2008年に『パンズ・ラビリンス』を観て、そのグロテスクで耽美的なセンスに魅せられた。『ヘルボーイ』『パシフィック・リム』は良くも悪くも通俗的で、なかなか同じ監督の作品とは信じられなかった。
同じように異形クリーチャー好きのピーター・ジャクソン監督も、『バッド・テイスト』や『ブレインデッド』など、低予算ゲテモノ路線に徹するのかと思いきや、唐突に文学的な美しさをもつ『乙女の祈り』を撮った。超大作『ロード・オブ・ザ・リング』を撮れたのは、『乙女の祈り』でマニア的な狭い視野を脱することが出来たからだろう。『ロード・オブ・ザ・リング』のクリーチャーは、低予算時代と同じレベルの奇形的な醜さを保っていて、何だかホッとさせられたのを覚えている。
そして、ギレルモ・デル・トロ監督にとって『乙女の祈り』に相当する作品が、『パンズ・ラビリンス』だったのだろうと、僕は勝手に解釈していた。
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『パンズ・ラビリンス』は、年端もいかない少女が幻想の世界で醜いクリーチャーたちと出会い、理不尽な困難を乗りこえ、現実世界では絶命するが幻想世界では祝福される甘美なパラドックスで僕を幻惑してくれた。
『パンズ・ラビリンス』に比べると、『シェイプ・オブ・ウォーター』は、かなり明暗・善悪のはっきりした予定調和だ。半魚人のデザインはシャープでカッコいいし、研究対象として虐げられる彼に、言葉のきけない心優しい女性が惹かれていくプロットも、拍子抜けするほどストレートに進行する。窓を流れる雨水と浴槽の波紋をシーン転換に使ったり、クラシカルといっていいほどの常套的演出が続く。
いちばん気になったのは、半魚人があまり気持ち悪くなかったことだ。
モンスターと美女が性交する、異種姦というポルノ・ジャンルがある。『シェイプ・オブ・ウォーター』にも、異種姦は出てくる。ポルノ的な演出は周到に避けられ、そう悪い体験ではなかった、とジョークのネタにされるほどあっさり描かれる。ポルノにする必要はないが、人間同士ではあり得ないほどの快感だったとか、気持ち悪いけど我慢したとか、少しでいいから深く掘り下げてほしかった。
観客に嫌悪感をもたれないよう配慮したとしか思えない。他人が引くような行為でも、本人たちが幸せならばいいじゃないか、と振り切ってほしかった。
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ギレルモ監督は、日本特撮に対する造詣が深くて、僕らオタクの味方、友達だということになっている。バルタン星人の着ぐるみに抱きつく画像が、Twitterにアップされている。
だけど、ギレルモ監督は僕が思っていたよりもずっと常識的で節度があって、何よりも社会的成功者なんだな……と、『シェイプ・オブ・ウォーター』によって目を覚まされた。
半魚人がスマートで大人しくて、人の傷を癒す優しい神様であり、美女から無条件に愛されるイケメンであったことに、何よりガッカリした。主人公の女性も、セリフで「今ひとつのルックス」とわざわざ敷衍しなければならないぐらいの美人俳優だった。
ハリウッド映画でサエない女性を演じるのは、過去に賞をとって評価の確立した女優ばかり。モテない男を演じる男優も、実生活では何度もの結婚歴がある金持ちのイケメン。つまり、商業映画で恵まれないマイノリティを描くには、構造的にウソをつかなくてはいけない。
ネオレアリズモやヌーヴェル・ヴァーグは、セット撮影が不可能だからロケに徹するしかなかった。機材は乏しく、俳優も素人で補うしかなかった。映画の迫真性は、撮影現場の事情が生み出す。金のかかったセット、プロの俳優では、むきだしの異端者の姿は描けない。
僕は『シェイプ・オブ・ウォーター』で疎外感を味わったが、いつかはギレルモ監督の誠意を汲み取れるだろうと信じている。ネットでは「純情なオタク監督が怪獣愛をつらぬいた」美しい物語だけが一人歩きしすぎている。「僕に向けられた映画じゃなかったなあ……」と、ひとりでトボトボ帰る道こそが、僕の人生の真実なのだ。
(C)2017 Twentieth Century Fox
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