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2018年3月 7日 (水)

■0307■

小津安二郎の『東京暮色』、レンタルで。
Img_2小津版の『エデンの東』があると聞いていて、何となく勘で『東京暮色』を借りてみたら、ドンピシャであった。先日、ベルリン国際映画祭で4K版が上映されたばかりなので、そのニュースが記憶に残っていたのかも知れない。『エデンの東』の兄弟が、『東京暮色』では姉妹になっており、母親を求めて悲痛な思いをするのは、妹の有馬稲子だ。

冒頭から、小津安二郎特有の、真正面からバストサイズで人物をとらえた切り返しが相次ぐ。『カサブランカ』あたりを基準にすると、人物を45度ぐらいの角度からとらえるのが常識的な、安定した構図である。
ところが、小津作品の登場人物たちはカメラのやや上方を睨んでいる。まるで、対面している人物同士の中間に座らされているような居心地の悪さを感じる。

この異様な構図は、映画後半、有馬稲子が母親のことを姉(原節子)に問いつめるシーンで、たちまち威力を発揮する。観客は、有馬の鋭い追及に自分自身がさらされているような緊張感をおぼえる。それは、「真正面から俳優を撮る」演出のなせる技である。


なぜ小津安二郎が、真正面から人物をとらえる攻撃的な構図を好むのか、僕には分からない。『カサブランカ』の斜め45度からとらえた切り返しは、80年近くたった今でも有効で、多くの劇映画が無意識に反復している。
小津安二郎の撮り方は突然変異的で、映画の文学性を分断する。セリフのうえでは劇が継続していても、ショットとショットが空中で衝突するため、文脈が途切れる。そのアクシデントのようなカットワークが、国境をこえて映画作家たちに衝撃を与えたのではないだろうか。

「とにかく泣けた」「なんとなく好き」ではダメで、第三者に検証可能な方法で推し量らねば、作品の価値は伝えられない。ネットでは、「どれほど自分の感情が振り切れたか」アピールが多すぎると思う。


コロコロコミック販売中止 購入済みは払い戻しも

“「やりすぎ!!! イタズラくん」については表現に注意した上で、掲載を続けていくという。” ……出版社が作家を切り捨てるという、最悪のパターンは避けられた。暴力沙汰を起こすような社会的強者が若手の漫画家を叩きのめす、そのゆがんだ構図を少しは押し返すことが出来た。
ふともも写真展も、別の形で開催するそうで、あまり応援する気にはなれないが、ふてぶてしく頑張れ、とだけ言っておく。議論の土俵に乗ろうとしない匿名のクレームによって表現者が萎縮する事態だけは、避けねばならない。

後者については、制服のコスチュームをまとったモデルの足を「ポルノ」と呼び捨てる人たちの神経の雑さに嫌気がさした。「ポルノ」=「性的に興奮させるコンテンツ」がいけない、「ポルノをなくそう」という話になっている。僕が「児童ポルノ」という呼び名を変えようと主張したのは、「興奮させるコンテンツを禁ずる」と、法の趣旨が歪められているからだ。
ふともも写真展を中止にして、さて性犯罪が減ったのだろうか。日々繰り返される痴漢行為が減ったのだろうか。
原因は、もっと厄介なところに巣食っているはずだ。強者が弱者をいいように弄んで黙らせる社会構造から変えていかねばならない。強姦容疑の男性ジャーナリストが、逮捕直前で見逃された件、社会的強者が好きなよう暴力をふるって許されている典型でしょう? 強いものが弱いものを弄ぶ、その悲惨な構造の中で、あなたの敵は誰なんだ? 「抑圧者にあらがえ」、それしか答えはないように思う。

(C)1957/2018松竹株式会社

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