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ルイス・ブニュエル監督の『哀しみのトリスターナ』。スペインに生まれてメキシコへ渡ったブニュエル監督については、多くを知らない。代表作の『欲望のあいまいな対象』も『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』も、観た記憶がない。唯一、短編の『アンダルシアの犬』だけは観ていた。
そして、『哀しみのトリスターナ』はシュールな『アンダルシアの犬』を撮った異色監督の作品であることを念頭におかねば、なかなか楽しむことが難しい映画だ。
まず、人間関係が分かりづらい。冒頭で登場した口のきけない少年が重要人物なのかと思いきや、ほとんど本筋にからまない。彼は主人公のトリスターナと近からず遠からず、非常に不思議な距離にいるのだが、言葉で説明すると、なぜこの少年が映画に必要なのか、さっぱり分からない。
しかし、大げさなジェスチャーで意志を伝える少年は、被写体としては面白い。「面白い」から口をきけない設定にしたとすら思える。そういう意地の悪さが、この映画にはある。
少年が、同じく口のきけない友人(兄弟かも知れない)と連れ立って、トリスターナを誘って塔をめぐるシーンが魅力的だ。トリスターナは喪服を着ており、少年たちは冗談半分に彼女の尻に触る。さらに、トリスターナのスカートを捲り上げる。黒い喪服の中からストッキングを履いた足がのぞき、強烈にエロティックだ。
この少年は、口がきけないがゆえに(黙ってスクリーンを見つめているしかない)観客と立場が近い。トリスターナの夫、トリスターナが恋する青年画家、彼らはセリフでもって強引にトリスターナと関係を結ぶが、少年だけは素手でトリスターナに接触するよりないのである。
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映画後半、少年は片足を失ったトリスターナの肩に触れる。
それが何かの合図のように、少年は庭に下りて、庭の隅からトリスターナの部屋を仰ぎ見る。トリスターナがベランダに出てくると、少年は自分の着ているチョッキを左右に開く。トリスターナは、少年のジェスチャーを真似して、ブラウスを左右に開く(顔のアップなので、肩から下はフレームの外だ)。
おそらく、望みどおりにトリスターナの乳房を目撃したであろう少年は、なぜか恐怖に顔を引きつらせて後ずさりし、庭の奥の木々に隠れる。同時にカメラはティルト・アップして、鬱蒼と茂った木々をとらえる。
シーンが変わると、トリスターナの乗った車椅子を、少年が押している。
いつの間に、彼らはこのような信頼関係を築いたのだろう? おそらくは、片足を失ったトリスターナが身体の欠損によって少年に近い立場となったからではないだろうか。庭で少年に裸を見せたとき、トリスターナは少年の仕草を無言でトレースした。少年を軽蔑しているのか、顔には傲慢な笑みが浮かんでいる。それは、SM的な主従関係の成立であり、体に欠損をもった者同士の、秘められた愛欲の交歓でもある。
いずれにしても、見てはならぬものを見たような、背徳的な気分にさせられる。この世には、自分の嗜好とは相容れない未知の愉悦がある。そのことだけは、なんとなく知っておいたほうがいいように思う。
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職員の現金取り扱い原則廃止、訪問員をローテーション…相次ぐ受信料着服でNHKが再発防止策(■)
NHKの訪問員が現金を着服していただけでも信用失墜なのに、それでも恐喝まがいの訪問員制度をやめず、「担当地域における訪問員のローテーションの徹底」を防止策と思い込んでいるところが、本当に怖い。
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