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2018年2月24日 (土)

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モデルグラフィックス 2018年 04 月号 本日発売
Dwpvhu8u8aaido_●組まず語り症候群
第94回目となる今回は、プラッツさんの「1/12 リアリスティックハンドガン」を取り上げました。

●1/12 バンダイ ハン・ソロ コラム
顔面塗装済みで発売されるハン・ソロのキットについて、ヘッドライントピックスでコラムを書きました。
ちょうど、他媒体でバンダイさんに取材して、テストショットを目の前に説明を聞いてきたばかりだったので、正確な情報と印象を書いています。


ヒッチコック監督の『トパーズ』とタルコフスキー監督の『鏡』、レンタルで。
Mv5byzdjntnjnwqtm2m0ni00mjc5ltg0zde 『鏡』は1975年の作品だが、僕が大学生だった1986年に『サクリファイス』が公開されたため、ちょっとしたタルコフスキー・ブームがあった。タルコフスキーを好きだという人と話してみると、「映像が美しい」。ほぼ例外なく、こんな感想が返ってきた。僕も草原だとか炎だとか、分かりやすい映像美を記憶していて、それでタルコフスキーを理解した気になっていた。

いまタルコフスキー作品を見ると、その長回しぷりに驚く。カメラは人物の前に後ろに回りこんで、刻々と構図を変えていく。ワンカットの中で雨が降り出したり、タイミングよく風が吹いたりする。ロケ現場に装置を仕込んで、何度もリハーサルを繰り返したはずだ。
(海外のメイキング画像を見るとヘリコプターが映っているので、ヘリコプターを飛ばして風を起こしたのかも知れない。)


『鏡』ではカットを割るかわりに、手持ちカメラで人物の間を歩きながら構図を変えていく。さまよい歩く人物の後ろに密着して、えんえんとカメラを回す。タルコフスキーはカットワークに興味がないかのように思える。
だが、後半の会話シーンではかなり凡庸な切り返しが使われていて、ちょっと驚く。2人以上の人物を使って会話劇を撮ろうとすると、ロングの長回しで撮るか、アップの切り返ししか選択肢はなくなる。「劇」が、映画表現にカセをはめていることは間違いない。
とはいえ、政治的な記録映像まで使った『鏡』には、ストーリーらしきものはない。なので、後半の単純な切り返しが浮いて見える。

たぶん、僕の見てきた映画の七割以上はハリウッド映画だと思う。ハリウッド映画は『カサブランカ』あたりで効率的な撮り方、「劇」「ストーリー」の伝達方法や約束事を完成させてしまい、音楽や俳優の美しさに酔いしれるなど、観客の消費行動もパターン化された。
第二次大戦後、ハリウッド・スタイルの撮り方や消費のされ方に反旗を翻すように、自由で獰猛でドキュメンタリックな映画群が、イタリアとフランスで発生した。
それらの映画を昨年は追いかけて見たつもりだったが、人生の半分を1940年代に完成されたハリウッド・スタイルの映画に埋没させてきた事実は変わらない。いまだに、単純なカットワークで「劇」を進行させる映画に出会うと、安心感をおぼえる。
その安心感は、いわば「習性」でしかない。「習性」は、もっとも感動とは遠いものだ。


どれだけ派手なアクションや爆発や暴力が描かれていようと、カットワークが凡庸なら、それは保守的な映画である。われわれの「習性」を利用しようとする映画は、ちっとも過激ではない。

僕は「習性」に甘えて、眠りこんだまま人生を終えたくない。容易に了解できない、生の驚きに裸眼で接してみたい。

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