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主役メカは左右どちらを向いている? 「超時空要塞マクロス」の対立図式を“メカの向き”から解読する!【懐かしアニメ回顧録第39回】(■)
この連載は、ここ何度か新しい切り口が見つからずに悩んでいますが、被写体が向いている方向によって対立関係を示すのは、基本中の基本です。というより、2人の人物がどちらも右を向いたまま会話していたら、誰と誰が話しているのか分からなくなるから、イマジナリーラインが必要なんです。
どちらが右方向から来て、どちらが左方向から来て、それぞれどんな効果があるのかは富野由悠季さんの『映像の原則』にも書かれています。
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僕がすぐに思い出すのは、ヒッチコック監督の『見知らぬ乗客』の冒頭シーンです。右から歩く足と、左から歩く足とが交互に映される。最終的に、この2人の人物はぶつかります。
2人がぶつかるようにシナリオに書かれているなら、右から撮ろうが左から撮ろうが関係ないだろう……と思っている人がいるかも知れないし、実は、いきなり人物の左右が入れ替わってしまう映画やアニメも、たまにあります。すると一瞬、誰が誰だか分からなくなる。
その違和感を、わざと狙った演出もあります。
だけど、ほとんどの人はキャラクターだとかストーリーについて話すのが好きで、それは構わないのですが、最近は「好き」について話すことが「正しい」と見なされる風潮が強くなっている気がします。
普段から「好き」の感情だけを最優先しているから、小部数のマイナー映画評論誌が、たかが年に一度の選考作品からアニメを除外しただけで「あいつらは間違っている」「差別するな」「アニメは正しい」の大合唱になってしまう。しかも、その声が多数派か少数派かで正しさを証明しようとする。
アニメや映画の演出、原理に興味をもって接していれば、アニメと映画の差異について考えるキッカケに出来たはずです。
「ネタバレあり/なし」「星五つで何点か」、これは海外にもある即物的レビュー方式ですが、観客の認識力を低下させ、動物的な反射を促進し、心の余裕と主体性を奪うだけなので、関わらないほうが良いです。
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細馬宏通さんの『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか―アニメーションの表現史』によると、初期のアニメーションには実写パートがあったり、ショーの一環として生身の興行師がアニメの画面に飛び込むような演出があったそうです。
最初は絵が緻密に動く新奇さが売りで、カット割やズーム、PANなど実写映画の演出が導入されたのは、もう少し後のようです。しかし、リップ・シンクや遠近法など、アニメにはアニメならではの技術面での進歩がありました。こうした面白さは、「好き」「嫌い」を超越したもの、数値化できないものです。
娯楽にかぎらず、政治でも社会問題でも、考える前に「相手は敵か味方か」「自分は多数派か」ばかり即断されていって、怖いです。
マイノリティの人が、「力で相手をねじ伏せる」権力者の論理を平然と行使しているのを見ると、絶望的な気持ちになります。
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