« ■0113■ | トップページ | ■0115■ »

2018年1月14日 (日)

■0114■

上映期間が短く、一日の上映回数も少なかったりするCGアニメ『西遊記 ヒーロー・イズ・バック』。応援の意味も兼ねて、13日初日、新宿ピカデリーの夕方からの回へ行ってみた。
640半分も埋まっていれば御の字だな……と思っていたのだが、後から後からお客さんが入ってきて、空席が見当たらない! 127席の狭いシアターとはいえ、ほぼ満席という盛況ぶりで、場内のあちこちから笑い声が聞こえてきて、とても楽しい雰囲気だった。
小さな丸太にサーフィンのように飛び乗った少年が、何百メートルもの斜面を滑走する。5百年の眠りから覚めた斉天大聖(孫悟空)が、サーカスのように木々の間を跳躍する。彼らのアクロバティックな動きを、カメラは限界を無視して縦横無尽に追いかける。随所に挟まれるギャグは、体を張ったスラップスティックなものが多い。

ようするに、ぜんぜん「リアル」ではない。
CGキャラクターは、しばしば「ウソ」「作り物」として攻撃されることがある。『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のジャージャー・ビンクスが、世界でもっとも忌み嫌われているCGキャラだろう。


まず、ジャージャー・ビンクスの話から始めたい。もともとはジャージャーはフルCGではなく、体はダンサーのアーメド・ベストが着ぐるみ姿で演じ、首から上だけをCGで作成する予定だった。全身をCGで描いたほうが早くて安上がりなので、アーメドの動きはアニメーションの参考用とモーションキャプチャ収録用にのみ使われた。
Openuri20150608276741babdql55472407ひょっとしたら、胴体を着ぐるみ、首から上をパペットやアニマトロニクスで動かしていたら、こんなに嫌われなかったんじゃないかと思う。誰もがジャージャーに抱く嫌悪感、その正体は生身の俳優たちの中にCGで作られたアニメーションが紛れ込んでいる違和感にあるのではないだろうか。
なぜなら、映画の本質とは「カメラによる被写体の記録」だからだ。僕らは、フィルムに収まったものはすべて「本物」と信じている。チャチな特撮であっても、それがミニチュアを記録した「本物」だと知っているから、許せてしまう。
しかし、CGのキャラやメカは、フィルムに記録されたものではない。形や動き、質感を後から付け足したのだと、僕らは知っている。だから、ジャージャーを仲間はずれにせずにいられない。「記録されていない」=「本物ではない」からだ。


だが、『エピソード1』の音声解説を聞くと、ジョージ・ルーカスは「無声映画のような雰囲気を出してセリフも映像も音楽の一部のようにつくり、ストーリーも言葉より映像で表現するようにした」と語っており、メイキングではシナリオ執筆時に無声映画時代のコメディを見ている。
800pxsafetylast1いわば、ハロルド・ロイドやバスター・キートンのように体の動きで笑わせる無声映画時代のコメディ・リリーフとしてジャージャー・ビンクスを位置づけていた……と考えると、あの大げさな演技にも納得がいく。
(左の画像は、ハロルド・ロイド主演の『要心無用』より)

無声映画の時代は1928年、すべてトーキーでつくられた『紐育の灯』の公開によって幕を閉じた。
だが、映画理論家のルドルフ・アルンハイムによると「映画はモノクロであり、またサイレントであるがゆえに、豊かな色彩と音響にあふれた現実の世界とはまったく別個の、自立した世界を構築することができた。つまり現実の機械的な再現ではなく、絵画や彫刻と同じく、独自の文法をもった芸術として価値付けられた」(四方田犬彦『映画史への招待』より)。
“現実の機械的な再現ではなく、絵画や彫刻と同じく、独自の文法をもった芸術”……まるで、今日のCGアニメを指しているように聞こえないだろうか?


「登場人物の細々とした内面描写や長々とした科白回しから離れて、純粋な身体の運動を映像としてとらえ続けていたいという欲望」が、サイレント映画の消滅後も繰り返されてきたと、四方田犬彦は指摘する。
映画がトーキーになって以降、舞台劇の映画化、小説の映画化が激増し、映画の登場人物は高いところから落ちそうになったり、疾走する車から車へ飛び移るようなアクロバティックな肉体を喪失して、脚本に書かれたセリフによって内面や心情を語る存在になってしまった。最近の邦画では「泣きながら思いのたけを叫ぶ」なんてシーンが、内面吐露の典型パターンとなってしまった。

だが、『RWBY』や『西遊記 ヒーロー・イズ・バック』のアクション・シーンはどうだろう? あるいは、どんな手描きアニメを思い浮かべてもらっても構わない。僕らがアニメを見て気持ちいいのは「純粋な身体の運動」が表出する瞬間ではないだろうか?
もちろん、キャラクターの動きだけでなく、木々がそよいだり、山が割れるのでもいい。「運動」が誇張され、むき出しになるから、アニメは面白いのではないだろうか。

乱暴に言うと、実写映画とアニメを分かつのは、運動の純粋さであるような気がする。
無論、実写映画もアニメもトーキー化されており、セリフによる演劇性を宿してはいる。だが、「劇」は映画に固有の本質ではない。映像作品に対する「お話がなっていない」という批判を聞くたび、僕はいつも首をかしげてしまう。

(C)2015 October Animation Studio, HG Entertainment
TM & (c)2015 Lucasfilm Ltd. All rights reserved. Used under authorization.

|

« ■0113■ | トップページ | ■0115■ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/106227/66277571

この記事へのトラックバック一覧です: ■0114■:

« ■0113■ | トップページ | ■0115■ »