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レンタルで、ヴィットリオ・デ・シーカ『ひまわり』とヒッチコック『汚名』。最初から最後まで目が離せなかったのは、ヒッチコックの『汚名』だ。1946年だから、イングリッド・バーグマンは『カサブランカ』に出演したあと。ロッセリーニに手紙を書く前の時期だ。
『汚名』のバーグマンは秘密結社の男の妻となり、彼らの情報を暴くスパイを演じている。その任務を彼女に与えるのが、FBI捜査官のケーリー・グラントだ。
ケーリー・グラントの登場の仕方からして、奮っている。バーグマンは父親が有罪判決を受けてしまったので、自暴自棄になって家でパーティをしている。画面では数人の男女が踊ったり酒を飲んだりしている。……が、画面のいちばん手前に、男の後頭部が映っている。バーグマンが「どこかでお会いしたかしら?」といぶかしむが、不気味なことに男は黙っている。そのシーンは、正体不明の男の後頭部が画面中央に来たところで終わり。
つづくシーンは、やはり男の後頭部。カメラが回り込むと、その男はハンサムなケーリー・グラントであり、べろべろに酔ったバーグマンに誘いをかけていると分かる。でも、「後頭部のアップ」という共通点があるから、この男は怪しいのではないか?と、観客は気になる。構図によって、セリフでは説明できない効果をもたらす。「ああ、映画というメカニズムが歯車を回しているな」と、僕は嬉しくなる。
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秘密結社のメンバーの妻となって、邸宅に侵入捜査するバーグマンは、ワインの貯蔵庫が怪しいと踏む。そして、貯蔵庫のカギを盗むのだが、このシーンも素晴らしい。
夫に抱き寄せられるが、バーグマンは両手のコブシをギュッと握りしめている。なぜなら、手の中にカギを隠しているから。カメラはカギが隠されているであろうコブシに寄る……夫が右手のコブシを開かせる……だが、カギはない。ならば、左手でカギを握っているはずだ。カメラは、今度は左手に寄る。この容赦のないカメラワークが、すさまじい緊張感を生む。
セリフでは、カギのことなんて一言も話してない。セリフと関係なく手のアップばかり念入りに撮るカメラワークは、シュールですらある。だけど、観客は何が問題なのか理解している。これもやっぱり、映画だけが持つ機能だと思う。
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果たしてワイン貯蔵庫に秘密が隠されていたのだが、何がどう秘密なのかはどうでもいい。みんなが「ネタ
バレ」と言いたがるところだろうけど、別に何でもいいんだよ。発覚したらヤバいものであれば。
バーグマンが組織の秘密を知ってしまったので、夫と義母はバーグマンを毒殺しようとする。そのシーケンスでは、やたらとコーヒーカップをアップにする。テーブルの上に、誰かが飲み終えて空になったカップがある。そのまま、ワンフレームで庭を歩くバーグマンへ寄る。彼女は気分が悪そうにヨタヨタと歩いている。
3回目ぐらいにコーヒーカップが出てくるシーンでは、義母がコーヒーを淹れている。気分の悪そうなバーグマンの前にカップが置かれる。そのカップは、人物の手前に、やけに大きく映りこんでいる。この異様な構図によって、どうやらカップが重要らしいぞ、と観客は気がつく。
これが、映画の面白さでしょ? 「ストーリー」ではないよね? 強いて言うなら、「ストーリー」をカットや構図で解き明かす具体的な「プロセス」や「方法」が面白いのであって、「ストーリー」という文脈や概念だけがポンと観客に手渡されるわけではないと思うんだよな。
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