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2018年1月 1日 (月)

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レンタルで『ゴダールの決別』と『007 スカイフォール』。
Photo『ゴダールの決別』の主演は、なんと前年に『1492 コロンブス』に出ていたジェラール・ドパルデューである。そんなメジャー大作に出ていた俳優が、ゴダールの難解な映画に出てしまうギャップが凄い。というより、こんなに意味不明の『ゴダールの決別』が商業映画であることに何より驚かされた。
『気狂いピエロ』から30年ちかく経過した1993年の作品だが、基本的に作風は変わりがない。
シーンの途中だろうと何だろうと、無作法に挿入される黒字に白の文字列。画面外から聞こえてくる、その場の状況と関係あるようなないような哲学的なナレーション。カメラの位置や動きを意識して動いたり止まったりする不自然な演技の俳優たち。つながらないショットとショット。しかし、湖畔の風景や女優は美しく撮られていて、まったく飽きない。
何かに似ていると思ったら、『化物語』にそっくりだ。


『ゴダールの決別』では、「この男優とこの女優は夫婦を演じている」「ある日、夫に異変が起きた」……など、劇中の筋書きは確固として存在する。しかし、劇とは関係なくナレーションが進行し、画面外から乱入する断片的なセリフによって、劇の進行は大きく乱される。
映画における劇、お話は、バラバラに撮られたショットを分かりやすく並べてあるから観客に理解可能なのであって、ショットひとつひとつは意味を持たない。ショットを分かりやすく組み立てないと、お話などあっさり空中分解してしまう。劇映画の脆弱さを、ゴダールは暴きつづける。

僕が学生のころはミニシアターが増えていた時期で、ゴダールの映画はちょっとしたブームになっていた。自主制作の8ミリ映画でも、ゴダールのように切れ切れのショットを、難解なセリフで繋いだ作品が散見された。
ヌーヴェル・ヴァーグによって、映画は解放された。ゴダールやトリュフォーの気ままな撮り方は、商業映画の中で希釈され、浸透していった。たとえば、岩井俊二や是枝裕和のロケ重視のラフな撮影方法は、ヌーヴェル・ヴァーグに根拠を求めることができる。口あたりよく薄められているから、鈍感な僕らはついつい見過ごしてしまうのだ。


『007 スカイフォール』にしても同じことであって、ヌーヴェル・ヴァーグの片鱗が見られない代わりに、絵コンテでサスペンス・シーンを効率的に組み立てるヒッチコックの撮り方、あるいはオーソン・ウェルズのように画面に何かを象徴させたり、構図で展開を暗喩したり……といったクラシカルな演出は、現在の娯楽映画の中にも薄められて紛れこんでいる。
愚鈍な僕らは、目の前のショットの連なりを見ずに、ショットの組み立てによって伝えられるストーリーの中に浸って、その中で起きた(ように製作者が見せている)出来事についてしか発言しない。これは、怠慢である。

冒頭のバイク・チェイスのシーンを見てみよう。
Mv5bmtm4mjc4oduxnf5bml5banbnxkftztc 悪役の乗ったバイクを、ダニエル・クレイグ演じる007が追いかける。ワンショットの中で、画面右から左へ走っている。ところが、悪役はトラックに道をふさがれてバイクを急停止させる。次のショットで、バイクは左から右へ、建物の階段を駆け上がる。ずっと画面右から左へ走っていたはずのバイクが、急に逆方向へ走る画が入るので、ちょっとギクシャクする。
だが、そのショット以降は街中ではなく建物の屋上でバイクを走らせる、つまり新たなシーンへ展開するので、逆方向の絵が入ったほうがいい。走る向きが変わるときには、必ずキーとなるような、あるいはクッションとなる画が入っている。……いま、確認のためにスローで再生したら、ちょっと編集が荒いことに気がついた。同じアクションを重ねてしまって、部分的に流れが悪くなっている。

ようするに、劇映画は、ひとつひとつのショットを編集者が判断して繋いでいるわけで、意図的に情報が組み立てられているのだ。僕らはその作為を無視して、いきなり「バイク・チェイスがカッコよかった」「いや、あのシーンは余計だ」とか、ストーリーの内部の話題から入る。それは、眠ったまま夢の話をしているようなものだ。


と偉そうに言ったものの、『007 スカイフォール』を観たキッカケは、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』とよく似ている、と聞いたからだ。何が似ているかといえば、ストーリーを構成する要素が似ている。
Mv5bmtfjndrjm2qtyzbhny00otm2ltkyzde『007』シリーズも23作目、スパイ合戦だのペン型爆弾だの、60年代は斬新だったアイデアが古くなってしまった。『スカイフォール』は、シリーズを存続させる意義に自己言及して、ストーリーの存立基盤であるイギリス秘密情報部を解体する話まで出てくる。ジェダイ騎士団の存在価値を疑った『最後のジェダイ』と、確かによく似ている。 
面白い/面白くないといったレベルの話ではない。劇映画の体裁を使ったシリーズ論なのだから、その領域で評価せねばならない。

『007』シリーズを頭からちゃんと観たことは一度もないのだが、『スカイフォール』がシリーズのマンネリ化と誠実に向き合っていることは、よく理解できた。『スター・ウォーズ』も『007』も、アイデアやルックスを新しくすればするほど、シリーズを継続する意義を問われる。したがって、『スカイフォール』のクライマックスでは懐かしのアナログ兵器に活躍の場が与えられ、かろうじてのアイデンテイティを保つ。
「ただの娯楽映画なのだから、楽しめたか楽しめなかったかだけで判断すればいい」という態度は僕は嫌い。なぜ楽しめたのか、その理由を知らないまま死にたくない。

(C)2012 - Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.

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