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2017年12月20日 (水)

■1220■

レンタルで、2016年のボスニア・ヘルツェゴビナ映画『サラエヴォの銃声』。
640サラエヴォの高級ホテルに、百年前に起きたサラエヴォ事件の式典に出席するため、政府関係者が到着する。屋上では、ユーゴスラビアのたどった歴史について、テレビクルーたちがドキュメンタリー番組を収録している。ホテルの従業員たちは、給与の未払いに立腹してストライキを計画している。
これら三つのエピソードが並列して描かれる、グランド・ホテル形式だ。ほとんどがワンシーン=ワンカット。ということは、ほとんど時間の飛躍はない。リアルタイムで進行する。登場人物の背中を追うようにカメラが動き、誰かが部屋から出ていくと、そこでシーンが切れる。全編にわたって、ドキュメンタリーのような手法で撮られている。


一方で、架空のドキュメンタリー番組を撮っている屋上のシーンは手が込んでいて、本人役で登場している出演者たちのうち、ひとりは俳優が演じている。インタビュアーの女性と口論になり、「本当に演技なのか?」と疑ってしまうほどの大激論になる。彼らが人種的に対立しているのか政治的に対立しているのかは、会話の内容が専門的すぎて分からない。
しかし、戦争に関する白熱した彼らの議論が、バックヤードで展開するホテル経営者と従業員の対立と重なっていくのは、ちゃんと分かる。

なぜなら、ホテル経営者はギャングのような連中を裏で雇っていて、ストライキの首謀者を640_1 暴力でねじ伏せているからだ。ギャングたちが駐車場で従業員を殴っているシーン、経営者が助けを求めてきた受付係の女性の服を脱がせるシーン。これら目に見える暴力が、歴史を巡る難解な議論を敷衍するというか、補うような構造になっている。
いわば、これも一種の戦争映画なのだ。歴史とは無縁のように見えるホテルの従業員たちですら、経営者と戦っているじゃないか。いくらセリフの内容が難解であろうとも、それぐらいは理解できる。言葉に落とし込むことができなくても、画面をみれば分かるようになっている。やっぱり、映画ってストーリーじゃないんだよ。


図書館で、トリュフォーがヒッチコックにインタビューした『映画術』を借りてきた。
Photoトリュフォーが映画評論家に徹している時代にインタビューしたのかと思ったら、収録されたのは1962年。
『大人は判ってくれない』、『ピアニストを撃て』、『突然炎のごとく』、三本も長編を撮った後だ。あんな支離滅裂、自由奔放な映画(ようするにヒッチコックの厳格な文法をズタズタに破壊したような映画たち)をのびのびと撮っていたトリュフォーだが、その博覧強記ぶりには、心から感心させられる。

何しろ、トリュフォーはヒッチコック作品の一本一本、どんなカット割だったか、俳優がどう動いていたか、どのシーンでオプチカル合成を使っているか、仔細に解析しているのだ。「ストーリーが面白いですね」なんて間抜けなことは、間違っても言わない。
そもそも、映画評論家であれば、映画づくりの技術的知識を持っていないと監督にインタビューなんて出来ないんだよ。素人目線からレコメンドしたり、映画に点数をつけたり、年間ベストテンを決める人が映画評論家だと思われている……。あとはせいぜい、映画のつくられたバックボーンだとか監督の人となりを解説とか、そんな程度でしょ?

サラエヴォの銃声』の画像を探していたら、星ひとつのレビューが目に入った。「話の内容が難しくて分からない」から、評価が低いんだそうだ。自分には分からないからダメな映画、価値のないもの……そんな狭い認識で生きていたら、何も学べない。
難しくて分からないなら距離を置くなり、調べるなりすればいいだけなのに、採点を迫るところがネットの罠だよな。

(C) Margo Cinema, SCCA/pro.ba 2016

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