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本当に今さらながら、しかし今しか分からないと思って、トリュフォーの『大人は判ってくれない』をレンタルで。大学の友だちに薦められて見て「すごかったろ?」と聞かれたのだが、ラストのストップモーションしか覚えていなかった。しかも、主人公の少年が海岸まで逃げてきてストップモーションになるのではなく、護送車に乗せられたところでストップモーション……と勘違いしていた。この30年間、ずーっと。
なので、若いころに勢いで見た映画の記憶は、まったく宛てにならない。せいぜい30代になってから見ないと、その価値が分からない。
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トリュフォー、初の長編だが、『ピアニストを撃て』『突然炎のごとく』に比べると、かなり大人しい。ただ、ひとつだけ言えることがある。構図やカメラワークを計算せず、俳優の演技を「ただ撮っているだけ」。投げやりな撮り方だが、しかし台詞と芝居さえ確実に見せておけば、それで「劇」は伝わるだろう? 他にどんな方法がある?とでも言いたげな傲岸不遜さは、なかなか頼もしい。
たとえば、主人公の少年が家出して、牛乳を盗む。物陰で、牛乳を飲むのだが、それがやけにでかい牛乳瓶なのだ。だから、息継ぎしながら、何度かに分けて飲む。それをずーっと、飲み終わるまで撮っている。それは演技……というより、俳優のアクションを即物的に「記録している」に過ぎない。だから、芝居をまたいでカット割ることは、ほとんどしていない。カットを割ったら「記録」ではなくなるから。
トリュフォーの「記録」に対する素朴な信頼心が、どんなに言葉を尽くすより切実に伝わってくるのは、鑑別所を抜け出した少年が、海を目指してえんえんと走り続ける、このまま終わらないのではないかと思うほどの長回し。
結局、「劇」「あらすじ」に飼いならされた僕らは少年の走りつづける姿に共鳴したり、なにか文学的なメッセージや問題提起を読みとろうとしてしまう。だけど僕は、登場人物の行動を「粉飾せずにそのまま」撮ったトリュフォーの純粋さに、胸を打たれる。
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もうひとつ、秀逸なシーンがある。
少年が、仲間と一緒にタイプライターを盗み出す。二人がタイプライターを抱えて歩く姿を、カメラは望遠で盗み撮りしている。周囲の大人たちは、怪訝そうに少年たちを振り返ったり、声をかける人もいる。黙々と歩く少年たちは、大人たちに何度もぶつかりそうになる。
このシーンは、完全にドキュメンタリーの手法で撮られている。ヒッチコックなら、大通りのセットを作って、何百人ものエキストラを雇うところだ。
ようするに、トリュフォーは嘘をつくまいとしたあまり、セットではない本物の街中で、本当に少年たちを歩かせた。それだけの事なんだ。ゴダールは、エキストラとして雇った人たちに「普段はどんな仕事をしている?」と、映画の中でインタビューしてしまう(笑)。
トリュフォーは、そこまでひねくれてはいないものの、「映画を撮る」「映画を作る」行為に自覚的で、それまでの劇映画が熟成してきた複雑なテクニックを、ほとんど放棄している。そういう意味では、やっぱり過激だったと思う。
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『西遊記 ヒーロー・イズ・バック』は、公式サイトに完成したばかりの日本語予告編やキャ
スト情報などコンテンツがどっさり追加され(■)、プレスリリースも各社に出回ったそうで、あちこちで記事になっている。
あと、Twitterでは海外アニメ事情に詳しい方たちが、続々と応援ツイートを書いてらっしゃいます。あと、僕の調査不足でしたが、先に本編をご覧になっている方たちは、pixivなどでファンアートを書かれてますね。
『RWBY』が成功したのは、ファンアートを公式側が認めて、むしろ国内の絵師さんたちに描いてもらって、展覧会まで開いたこと。どういうファンに受け入れられるか、ちゃんとリサーチして、しっかり届いた。来月13日公開、それまでにプロのライターとしてやれることは必ず遂げさせていただきます。
(C) 2015 October Animation Studio,HG Entertainment
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