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2017年12月11日 (月)

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アニメ業界ウォッチング第40回:美術監督・秋山健太郎が語る「はいからさんが通る」の美術の秘密、手描き背景の面白さ
T640_746299『輪るピングドラム』、『惡の華』でインタビューさせていただいた秋山健太郎さんに、三度目の取材をお願いしました。
『はいからさんが通る』はそろそろ上映が終わりそうですが、背景は見る価値があります。

GoodsPress 2018年 01月号 発売中
特集『傑作品 GP AWARD 2017 ベストバイ』の「プラモデル部門」で、コメントしています。
文章は編集部が書いたものですが、僕からはバンダイ「1/72 ミレニアム・ファルコン」とタミヤ「1/6 Honda CRF1000L アフリカツイン」を推しておきました。


レンタルで、『気狂いピエロ』。1965年のゴダール作品。
Mv大学時代に見たはずだが、「主人公が観客に話しかける」「ダイナマイトを頭に巻きつけて自殺する」など断片的な、どこででも言及されているシーン以外、まったく覚えていなかった。
本に書かれていたことを鵜呑みにして分かった気になる、これは初歩的なミスだ。

図書館で『ヌーヴェルヴァーグの現在』を借りてきて斜め読みしてみたら、“映画の二つ目の真実は「記録」である”という言葉に行き当たった。
「記録」を手がかりにしつつ、またゴダールがドキュメンタリー映画を撮っていたことを念頭に置くと、彼は劇映画ではなく「劇映画が撮影されている状態」を記録していたのかも知れない。ゴダールの作品は「シュールな劇映画」と理解されがちだが、劇映画をつくっていく過程を記録しようとした結果、シュールに見えてしまうだけではないのか。


それまでの映画は、スタジオの中に擬似的な現実をつくり、カットを割ることで時間を再構成して「劇」を成り立たせていた。今のハリウッド映画も、CGを使いながら「劇」に説得力を持たせようとしている。映画批評は、すなわち「劇」への評価になりかわってしまった。

だが、ゴダールはスタジオを抜け出し、街の中で「劇を演じている現実」を記録しようとしたんだ。そのため、カットを割ることをほとんどしない。人々は、撮りやすいように壁を背にしてカメラのほうを向いて会話する。殺人シーンが多く出てくるが、なんと手で突き飛ばされただけでパタリと倒れて死んでしまう。
登場人物の死を伝えるだけなら、それで十分なはずだ。特殊メイクをほどこしてシーンに技巧をこらし、あの手この手で「リアリティ」を与えて観客を騙すより、よほど誠実かも知れない。映画は作り物であっても、「映画を作ること」は赤裸々な現実なのだ。

なのに、若い僕たちは「感性」とやらでゴダールを好きだとか嫌いだとか言い合っているだけだった。「感動した」「号泣した」「心が温かくなった」式の映画批評も、作品と誠実に向き合っているとは言いがたい。
映画が、いかに巧みに「嘘」を構築しているか。そこに目を向けねばならない。嘘そのものではなく「構築」「構造」を評価せねばならないのだ。


NHKから、受信料の督促状が届いた。「受信料制度についての理解促進活動」→「文書・電話・訪問などによるお支払いのお願い」→「裁判所を通じた法的手続きの実施」と刷られている。
僕は文書と無礼きわまる訪問は受けたが、最初の「受信料制度についての理解促進活動」、これを受けた記憶はまったくない。理解できれば、僕は喜んで受信料を払う。集金請負業者からは「ここで個人情報をバラしてもいいんですか?」とマンションの廊下で怒鳴られ、ドアを開けないでいたら電話がかかってきて、無言のまま切られた。
さすがにNHKにクレームを入れたが、一言のお詫びもない。お詫びがないまま、「裁判所を通じた法的手続きの実施」をちらつかせる、その脅迫的態度には抵抗せざるを得ない。

払いたくないというより、脅迫に屈したくないだけだ。

(C)1965 - SNC

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